記事一覧

Z6とZ7をまとめて触ってきたが・・・。

梅田にある某Y店に行く用事があったので、早々に所用を済ませて、ついでにカメラ売り場に立ち寄ってみた。さすがに名の通ったお店だけあってニコンのZ6もZ7もレンズを付けた状態で展示されていたので、遅蒔きながら私も初めてそのフルサイズミラーレスとやらを手に取ってみました次第です。
最初に驚いたのはシャッターを押すとカシャって音がするんですね~(笑)。当たり前と言えば当たり前なんだろうけど、よく考えてみると、どこで何が動いてこの音が鳴っとるんでしょうね・・・?
違和感の無いようにレフ機のシャッター音に似せた音を作り出して、電子音を鳴らしているのだとしたら余計なお世話だと思うのは私だけですかね?電子音でこの音を作っているのかと思ったら、なかなか凝った音なので私には少々笑えた。そんなにレフ機ライクにしなくても、独自の世界を作っていけば良い物を・・・。まぁどうせ無音とかも出来るんでしょうけど。
などと、チクチクと言ってもしょうが無いので最初に結論を言いますと、私には高すぎる玩具だと感じました。また、こういうのが今後の主流になるのだと思ったら、何だか悲しくもなってきました。ニコンのフルサイズミラーレスに限らずキヤノンもソニーも含めて、なんでこんなカメラが手放しに喜ばれているのか私には理解出来なかった。

でも、カメラという機械に於ける進歩も感じた。
フィルム一眼レフは、撮影して現像、焼付けしてみなければどう撮れているのかが分からなかった。
デジタル一眼レフになって、撮影して、すぐに画像として確認出来るようになった。
ミラーレス一眼になって、撮影する前に、どう写るのかが分かるようになった。
という進歩。つまり、カメラがミラーレスになるメリットは「撮影前にどう写るかが分かる」という、ここにしかないと私は思う。
電子ファインダーをのぞいて、リアルタイムに明るさやボケを確認しながらダイヤルを動かし、見ている撮像が気に入った物になったらシャッターを切る。これが出来るのはミラーレス機しかないからだ。つまり、操作法さえマスターしておけば、ド素人でも失敗はしないのである。それは画期的な事なのかと言われれば、実はそう言うわけでもありません。なぜならこれと同じ事は既にスマホが、もっと言うとガラケーが実現していたからだ。スマホでは紛れもなく撮れる画像をリアルタイムで見て撮影しているわけで、ミラーレス機のようなややこしい操作すらない。最近のスマホではその気になれば絞りや露出だと凝った事も出来るようになっている。シャッター音だって消す事もできるし変える事もできる。
要するに、フルサイズミラーレスという名の有難い名前のついたカメラは、単純に「スマホに一歩近付いたややこしいカメラ」という訳だ。もう少し穿った言い方をすると、「撮る前に結果を見る事が出来るややこしいカメラ」と言う事になろうか。申し訳ないがそれ以上でもそれ以下でもないと言うのが正直な意見だし、ここに異論を挟む余地もないだろう。レンズが交換出来るので、スマホよりも表現の範囲は格段に広がります。それはスマホよりも優れてはいるが一眼レフとは同じ。
何が言いたいのかというと、要するに、何を有り難がって「フルサイズミラーレスだ!」と買い急ぐのかが私には分からないと言う事です。ましてやレンズも変換器を使って昔の物を使っているともなると、いよいよ分からないです。そのまま一眼レフ使ってりゃいいんじゃないのかって思う。一眼レフで腕を磨いてきた人が、そんなに「撮る前に結果が分かる撮影」に拘りたいですか?って話。

一番印象付いたのはZ6の電子ファインダーを覗いたときでした。今から30年程昔に、ソニーがパスポートサイズと銘打って発売したハンディカムのファインダーを初めて覗いたときのノスタルジックな気持ちが蘇ってきたからです。若干のジャギを感じさせるファインダー像のデジタライズな動きもそっくり。違和感なんて感じませんよ。だってこの動きは今もスマホの動画モードで見ていますから・・・。けど、この先どんなにがんばっても光学ファインダーとイコールにはならないと思います。なるなら数十年も前からリーディングメーカーとしてカムコーダーを製作販売しているソニーが実現しているはずです。有機ELだ原子力だとやっても絶対に光学ファインダーとはイコールにはなりません。なるとしたらミラーレス機に光学ファインダーが搭載された時でしょう。しかしそれをやると「撮る前に結果が分かる撮影」はファインダー内では出来なくなってしまいますから、ミラーレス信者の人からすればあり得ませんね。つまり、イコールとはならない以上、光学ファインダーの存在理由は残る訳で、結果レフ機もそれなりにしぶとく生き抜いてゆく事になります。って言うか、私はもうずーっと前に、カメラとビデオは融合するって言ってますけどね。例えば、フルサイズセンサーを搭載したレンズ交換式の8Kビデオが出てきたら、フルサイズミラーレス機なんていらなくなるんじゃないの?パナソニックは密かにそこを狙っているように見えるんだけどねー。
 
そんな(私的には)撮っていて楽しいとは思えなかった完全電気仕掛けのフルサイズミラーレス機ですが、こんな事が出来たら面白いのになぁ・・・という機能を少しご提案しましょう。

<ネットワーク機能>
複数のカメラをWi-Fiでアドホックにつなぎ、撮像をリアルタイムに共有する機能だ。A、B、C、Dの4人で撮影に臨場しているとしよう。その4台がWi-Fiでつながっており、例えばAの見ているファインダー像がB、C、Dにも配信される。で、それぞれがAの撮影を高みの見物をする事も出来るし、個別のタイミングでシャッターを押して自身の写真にする事も可能という訳だ。主に教育用に使える機能かもしれないが、大人数で行くと逃げてしまう野鳥や動物撮影でも使えるかも知れない。電子ファインダーならではの機能だろう。

<VPN機能>
ルーターを介してVPNでスマホや離れた所にあるカメラと情報を共有する機能だ。上記のネットワーク機能の拡張機能と言っても良い。アドホックと違いインターネットを使うインフラストラクチャー形式なので、北海道にいる友人が今見ているファインダー像を、大阪にいる自分のカメラやスマホ、パソコンでも確認、撮影ができるという物だ。ファインダー像をコントロールする事は出来ないが、シャッターを切る事は出来るので、報道ステージでも役に立つ機能かも知れない。また、自宅のパソコンに撮影データを転送する事も可能にすると、メモリの残量を気にする事も少なくなるだろう。これらも電子ファインダーだからできる事だろう。

他にも色々と思いつけば有るがキリが無いのでとりあえずこの2つだ。今までのカメラに出来なかったのが、ネットワークによるカメラ同士の連携だ。ファインダー像から記録画像までが全てデジタルと言う事になると、それが可能になる。自衛隊の10式戦車ではないが、複数のカメラ同士が情報を共有出来るようにする事で、教育、趣味、仕事と色んな分野で実用的に使える幅が広がるのではないかと思われるがいかがだろうか。たまたまここを見たカメラ開発者がいたら私は何も言わないので「私が思いつきました」みたいにして是非企画書をぶち上げてみてくれ。すぐに他のメーカーも追随してくると思うぞ。笑

さいごに、
閉塞気味だった一眼レフ市場ではあったが、柳の下にたくさんのドジョウがいるのが見えたかの如く、一斉にミラーレス機へのシフトをした訳ですが、私ははっきり言ってこれはカメラメーカーとしての大きな賭けだと思います。なぜなら先述したように、ミラーレス機の最大のメリットは「撮る前に結果が見える撮影ができる」事に尽きるからです。少なくともブライダル関連などの一発勝負のプロカメラマンはそこに優位性を感じて乗り換えるのは間違いないでしょう。しかしそれは、スマホに一歩近付いたと言う事です。まだ分からない人に更に言いますと、スマホがRAW撮影出来るようになり、Lightroomなどでスマホ内RAW現像ができるようになると、この2つは殆ど同じ物になると言う事です。違うと言えばレンズ交換ができると言う事だけでしょうか。しかし、通常の撮影できる焦点距離の範囲をカバーしていれば普通の人は文句はないはずです。となると、最終的にはスマホが有るのになんでわざわざ数十万円もするようなミラーレス機を買って、仰々しい撮影なんかせなあかんねん・・・と、なる訳です。一眼レフ機にはプロ志向な部分が多くあり、そこにこそ所有欲を満たす物がありましたが、スマホに近いミラーレス機に、それらは私は殆ど感じなかったのです。だから20万円でも「高い」と感じたのです。正直Z6やEOS-Rを買うぐらいなら、スマホで充分と思いました。私が思うくらいですから、カメラに興味のない人はもっと思うでしょう。だから賭けなのです。私にはNikon1がダメでZ6やZ7ならOKという意味が分かりません。メリットに軽さを挙げたらα6000やEOS-MやNikon1の方が遙かに上でしょう。インスタの画像を見てZ7で撮った写真とNikon1のそれとの区別が一目で分かるとでも言うのでしょうか。ホント、ちょっと何言ってるか分かりません状態です。

結局カメラはどこに行き着くのでしょうか。
これを考えると、私は「全て後から何とか出来るカメラ」に行き着くと思っています。
例えば、絶望的にピンボケになった写真も、後からピシッとした写真に修正出来るとしたらどうでしょうか。
例えば、目の前の広大な風景全てを高解像度の画像としてお持ち帰りし、家に帰ってゆっくりお気に入りの箇所をトリミングして数枚の写真にできたらどうでしょうか。
例えば、一見黒一色の真っ暗な写真でも、明るさを持ち上げて違和感なく雰囲気のある写真に補正出来たらどうでしょうか。

これらの幾つかは、すでにやろうと思えばできますが、それなりに一工夫必要だったり、専用の機材が必要だったりします。が「全て後から何とか出来るカメラ」となるには、手軽にできなければなりません。それを可能にするのが8K以上のビデオカメラだと私は考えています。8K=3300万画素。現在の一眼レフ機の高画素機に匹敵する高密度な画素数です。このビデオは録画ボタンを押すと秒間30~60コマの連写を行います。当然全てを自動で撮影しますので、「全て後から何とか出来るカメラ」になり得る可能性を秘めています。ここまで来るとカメラで写真を撮るという概念その物が変ってしまうでしょう。そう、タイミング良くシャッターを切るのではなく、予め録画ボタンを押しておく・・・という撮影に変るからです。
それってスチル写真を趣味にしている人にとってはどうでしょうか?
撮影が面白いと感じる事は出来ますでしょうか?
電子音でそれっぽいシャッター音を鳴らせば楽しいのでしょうか?
それではまるでおもちゃのカメラで遊ぶ子供のようですね。
私には撮影という事に於いては可能性は感じる事は出来ますが、面白いと感じる事は出来ないと断言できます。そう、撮影がリアルタイムに分かり、更に後から何とでもなるようになってくると撮影その物のスタイルも変り、面白くなくなるのです。今回一眼レフ機を触ってきた人向けに開発され、今後本流にしてゆくというメーカーの決意も籠もっているのであろうフルサイズミラーレス機を触り、本来鳴るはずのないシャッター音が聞こえ、ジャギっぽいファインダー像を見た時に、私は撮影の新しい可能性を感じると共に、カメラがまた一つ面白くなくなったと感じました。面白いと感じられる撮影をする機械という点においては、デジタル一眼レフというカメラはギリギリのラインではないのかと私には思えたのです。これ以上はスマホの領域、その更に先はムービーの領域です。スマホもムービーも一眼スチルカメラには近付いてはいません。一眼スチルカメラが近付いていっているのです。私にはそんなカメラのファインダーの向こうに見える未来の景色は、あまり良い物は見えてきませんでした。

京都の古の暗黒?の歴史

京都。
いい所ですね~。
昔も今も、外国人にとっての日本の観光地ナンバーワンであります。それもそのはず、太古の昔に存在した古の日本の面影が、今も色濃く残っており、特に外国人に取っては一番日本という風土を感じる事ができる所となっているからだろう。それは日本人である我々も、京都というと着物を着て歩いても違和感なく溶け込む雰囲気など、どこか遠い昔の風情をDNAが感じ取って呼び起こされるからなのでしょうか、何となく京都観光をすると、まったりと落ち着いた気分になります。

そんな京都ですが、今からおよそ1200年もの昔、西暦794年に平安京という都(=首都)が置かれ、以後鎌倉幕府に至るまでの390年間という日本史上最長となる大時代を築いた頃がございました。学校の歴史の時間にならったであろう俗に言う平安時代と呼ばれる時期にございます。
この平安時代の京都という所は、一体いかなる所であったか・・・。
イメージ的には貴族が闊歩し、絢爛豪華で「雅」という文字が似合う感じですが、実は裏側から当時の「平安京」という都を見て行くと、これがなかなかカメラマン心をくすぐるというか、取材魂を揺さ振られるというか、非常に興味深い物を感じるのであります。今日はそんなお話。

京都の有名観光地で、京都で取り敢えず行ってきましたという名所を挙げますと「清水寺」「鹿苑寺(金閣寺)」「嵐山」なんてどうでしょうか。大抵の方は回られたと思うのですがいかがでしょう?
この3つの超有名観光地、昔の地名で言いますとこうなります。

1)清水寺周辺・・・鳥部野(鳥辺野、鳥戸野)
2)鹿苑寺~船岡山間・・・蓮台野
3)嵐山から北部・・・化野

平安京という桓武天皇が置いた都は条坊制と言われる街造りがされており、きっちりとした碁盤の目のように道路が敷かれた街になっていました。今の京都市よりもかなりこじんまりとした街で、中心の通りが朱雀大路と呼ばれ、これは現在も千本通として現存しています。北限は現在の今出川通よりも少し南。一条通りがクネクネと走っていますがそれよりも少し北辺り。
西は読んで字の如く西京極を通る縦のラインです。
南限は現在の九条通で、東は鴨川の正面通の所からの縦のラインです。この四角形の内側が平安京の街で、推定で約12~14万人の人々が暮らしていたとされています。この外側は「洛外」と言われ、現在は市街地になっていますが当時は周囲の原野原林の山へと連なる深い野原でありました。都という割には案外少ない人口のように思われますが、当時の日本の人口は、これも推定ですが500~600万人と言われていますから40人に1人は都に住んでいた訳で、そう考えるとやはり結構な密度であったと思われます。まぁ、この人口格差が地方の治安に影響し、次の鎌倉時代を迎える燻りになってゆくのですが・・・。
さて、この「雅」という文字が如何にも似合う平安京の街ですが、実際はどういう街であったかと言いますと、実は欠陥だらけのひどい街だったと推測されています。その最たる物が屎尿処理施設が皆無だった事。下水道はもちろん、汲み取りのシステムも無かったんですね。ではどうしていたかと言いますと、東西の河川が近かった者は川へ捨てに行っていたと思われます。南北限の者は洛外でしょう。しかし洛中の中心街に住む者は、目立ちにくい裏通りに捨てていたようです。これは現在の不法投棄と同じで、どこかで溜まり出すと人はそこに集め捨てるようになります。なので洛中の場所によっては屎尿の臭いが立ちこめていた・・・とされています。こりゃ溜まりませんね。(;゚ロ゚)
二つ目は、平安の時代ではまだお風呂という物が無かった。だから帝も貴族も庶民も皆、体中から垢が吹いているにも拘わらず、そのまま暮らしていたんですねー。これは女性の着物の内側から、白粉と呼ばれる、いわゆる垢がたくさん付着していた事から推定されています。なぜ風呂が一般的でなかったと言いますと、要は薪が貴重だったからです。その上お風呂の習慣も無かったからです。西洋でもお風呂が一般的になるのは近代に入ってからですから、裸の付き合いというのは実は割と新しい文化なのです。
そして、三つ目が遺体処理施設がなかった事です。人はいつか死にます。現代では死者を敬い、丁重に葬儀を行い、火葬されて埋葬され、その後は縁ある者が墓参りもしますが、平安の世では死んだ者の遺体はそこまでの値打ちを見いだしておらず、どちらかというと呪いが移り、災いが自分に降りかかってくるという迷信が信じられており、忌み嫌われるものであったようです。そう、平安時代はまだ陰陽道や占いによって治政や行動をしていた時代だったのです。しかし貴族など高貴な身分の遺体は、お祓いが為された後に火葬され、それなりの墳墓に埋葬されていたようです。それらの遺構は現在の泉湧寺周辺にある墳跡に見る事ができます。しかし、そうではない者の遺体はどうしていたかと言いますと、なんと当時の平安京では「風葬」が行なわれていたのです。
風葬とは何かと言いますと、要するに遺体を野原に捨て置き、風化するのを待つと言う葬儀です。先ほども言いましたが薪は貴重な物でした。なので一般庶民が薪を使って火葬するなどあろうはずも無い事だったのです。土葬にしても穴を掘るのに人手がいりますのでこれもお金がかかります。一番リーズナブルで手軽な方法として風葬という方法が一般化したのだと思われます。その遺体葬送の場所として平安京では洛外となる鳥辺野、蓮台野、化野の三カ所とされていました。そうです、先に出てきた現在の超有名観光スポットと微妙に重なるのです。興味深くなってきましたねー。

先の三カ所は、京都の三大風葬地とも呼ばれている所で、現在もか大きな墓所があったり、寺院があったり、火葬場があったりするので、地元京都の人なら大抵の人は知っています。では順番に見ていきましょう。
 
1)鳥部野
「とりべの」と読みます。現在の清水寺から南の泉湧寺辺りまでの阿弥陀ヶ峰の麓一帯です。現在の五条陸橋辺りまでの北部は一般庶民の風葬地で「鳥辺野」と呼ばれ、南部は高貴な人達の葬送地で「鳥戸野」と呼ばれました。その総称が鳥部野というわけです。読み方はどれも同じです。
平安京中期以降では特に左京が栄えていたため人口も多く、一番大きな風葬地であったと思われます。葬送者は荷車に遺体を乗せ、当時の五条通であった現在の松原通を通って洛外へ出、鴨川を渡り、六道の辻と呼ばれるあの世とこの世の交差点を越えて、阿弥陀ヶ峰へと続く林野に遺体を捨て置いていたようです。そのうち山裾まで持って行くのも億劫になった者が、手前に捨て置くようにもなり、ついには鴨川縁にまで遺体が捨て置かれるようになったようです。現在、轆轤町と呼ばれている辺りはドクロがゴロゴロしていた為、江戸時代より前までは髑髏町と呼ばれていたと言います。また大雨で鴨川が氾濫すると、遺体がそこら中に散乱したとも・・・。あまりに無情な惨状だったため、音羽の滝に祠を造って死者を祀ったのが清水寺の始まりとされています。ちなみに、鳥辺野では遺体を木に括り付けて鳥に食わせて葬送を行う「鳥葬」も行われていた事から「鳥辺野」と言われていたようです。清水寺の横にある大きな墓地は、当時捨てられた無縁仏を祀る所でもあります。また清水寺が舞台と呼ばれている高床式の造りになっているのは、遺体の腐臭がキツかったためと言われています。なお、舞台から投げ捨てていたというのは諸説あって私には分かりませんでした。
 
2)蓮台野
「れんだいの」と読みます。
一般的には船岡山から紙屋川(現在の天神川)に至るまでの北西一帯の地域で鹿苑寺は含まれないようです。
千本今出川の少し南にあった平安京の北限から洛外に出て、千本通を更に北進すると閻魔前町に着きます。読んで字の如くここからが死者の世界との境目とされていたようで、その先は蓮台野へと一直線に道が続いています。現在では北大路の更に北の方までが市街地になっていますが、当時は原野が広がっており、風葬地以外の一帯では貴族たちの遊猟場であったり薬草の採取場にもなっていたようです。とりわけ紫の色粉が取れる植物が群生していた事から蓮台野を含む広範囲な場所を指して「紫野」と呼ばれるようになったと言われていますが、これも諸説あるようです。
しかし、貴族の遊び場が風葬地と重なるというのは、私的にはどうも合点がいかないんですね。陰陽道や占いを特に信じていたのは貴族であり、遺体を不吉な者として洛外へ捨て、生ける者の近づく場所ではないという風にしたのも貴族が主体です。その貴族たちが蓮台野に近づくような事をするでしょうか・・・。これは私の推測ですが、風葬地として指定したのは実はきぬかけ山(衣笠山)だったのではないでしょうか。現在の大文字山から鹿苑寺を含む衣笠山一帯です。しかし、いつしか民衆はその手前の紙屋川辺りで捨て置くようになり、蓮台野が形成されたのでは無いかと言う方が、鳥辺野の例を踏まえても自然な感じがするのですが、いかがなもんでしょうか。
 
3)化野
「あだしの」と読みます。
嵐山から北へ徒歩20分ほど歩いた鳥居本と呼ばれる一帯です。現在の愛宕街道の辺りは遺棄された遺体がゴロゴロとしていたと言う事です。その余りにもはかなく無情な惨状を憂いた弘法大師空海が、散らばった遺骸を集めて土葬を行い、供養をする為に建立したのが「化野念仏寺」の始まりとされています。現在でも夏に千灯供養と言ってたくさんのろうそくを灯して8000体とも言われる無縁仏を供養する大祭が行われています。しかし、このお寺の周辺だけに遺体が捨て置かれたと言う訳では無く、私の推測ですが、恐らく現在の愛宕街道周辺の山肌、鳥居本から嵯峨野一帯に遺体がそこかしこに捨て置かれていたのでは無いかと思われます。
ところで、私的にはこの化野という風葬地が三大風葬地の中で一番奇異な存在に映るのです。と言うのは、鳥辺野には六道の辻、蓮台野には閻魔前町と言う風に「あの世への入り口」があるのですが、この化野だけはその入り口の言い伝え(情報)が無いのです。ただ漠然と化野念仏寺周辺に、遺体を捨て置いていたという事だけなのです。しかも地理的に見ても蓮台野へ行けばいいんじゃないのか・・・と思わされる程に、化野だけが平安京の西端から結構離れているんですね。しかも、どこを通って化野へ捨てに行ってたのかも私的には謎です。新丸太町通は当時はあったのでしょうか。とにかく一番謎が多い風葬地なのです。それ故か、今も一番寂しい雰囲気が漂う所でもあるのです。当時の都の民は遺体を荷車に乗せて、どこから洛外へ出て、どのルートを通って化野の風葬地へと運んだのでしょうか・・・。それが今の私の一番の謎なのです。謎があると興味も湧く訳で、何かと一番足を運んでいるのも化野だったりします。
 
いかがでしたでしょうか。
京都の裏側の歴史の数々。特に1200年前に風葬地として存在していた場所が、今も色濃く面影を残していると言うのもとても興味がそそられないでしょうか。平安京の話に戻りますと、実は屎尿の他にも遺体でさえも風化するほどまでに洛内に転がっていたという事です。それほど迄に人の死という物が忌み嫌われていた時代だったんですね。故に平安京の街は異臭と疫病が漂う「雅」とはほど遠い汚濁の街であったという説が有力です。
ちなみに京都で「野」が付く地名は、大なり小なり葬送の場所であったと言われています。とりわけ「風葬」という現代では奇異な葬儀方法が、この日本のかつての首都で当たり前のように行われていたというのが、取材心を擽られるんですね。私は「風葬」とは言っているものの、実際は遺体を「忌むべき物」として、単にうち捨てていただけでは無いかと考えています。それほど迄に人の死に対する尊厳も値打ちも無かった時代、それが平安時代という時節なのかな・・・等と思いを巡らせてしまいます。そんな自分の想像がどこまで当たっているのかを確かめるべく、近いうちにこの三大風葬地を、その視点で巡ってみたいとも思っています。

イージーカバーのよろしくない点を改善

先日ここに書き記したイージーカバーというシリコン製のカメラ用保護カバーであるが、使っているうちにどうしても妥協できない点がこのD500用で2点程出てきた。ちなみにイージーカバーとはこの黄色い部分の保護カバーです。
ファイル 108-1.jpg

妥協できない点は以下の通り。

1)カバーの自然圧でAF-ONボタンが押しっぱなし状態になる事が多々ある。フリーズ状態になるので肩液晶の下部分をムニっとやって圧を取ってやる事頻繁。

2)L型プレートなど大きめの三脚雲台用プレートを使うと、イージーカバーが干渉してしまう。

上記2点だ。1)については相変わらずムニっとやって解除している。シリコン製なのでそのうち変形して・・・って言うのがほぼ無いんだなこれが。だから何か対策を考えないといけないがとりあえずムニっとやって凌げるので放置。
深刻なのは2)の方だ。
ファイル 108-2.jpg
イージーカバーを付けたD500の下回り、ちょっと見にくいがこんな感じになる。私は現在、全ての三脚及び一脚に、雲台の種類を問わずアルカスイス互換のクランプを付けており、当然対応する互換プレートを取り付けて三脚に固定しています。このプレートがイージーカバーと干渉しないような50mm四方位までの小さな物なら問題は無いが、L型プレートや100mmクラスの物になるとプレートとカメラの間にイージーカバーを挟んで固定する事になるので、しっかりと固定できず、撮影中にプレートがずれたりしてしまうのだ。実際に夜景の撮影で知らないうちにプレートが滑ってカメラが動いていたようで、ブレた写真を量産してしまうと言う失態をもたらされてしまった。ちなみに50-150mmや150-600mm等の三脚座が付いたレンズに関してはレンズサポーター(SPT-2)を使うのでカバーとは干渉しないので問題は無い。
私は普段からカメラ保護にもなるし、いつでも三脚に載せられて便利なのでD500にはL型プレートを常時付けているので、この点の解決をしなければならなくなった。
一番早い解決方法は、イージーカバーを使わない事だが、それは解決と言うよりも逃げている感じがするので、私のスピリッツが許さない(笑)。やはり真の解決は、

イージーカバーも使う!
L型プレートもしっかり付ける!

と言う事に尽きるだろう。ちなみにイージーカバーは、なかなか良い物なのに巷での評価は思ったよりも低く、イマイチ人気が無いような気がするのは、こういう痒い所に手が届いていないからではないだろうか・・・という気がしないでもないので、今回は割かし簡単に解決できる方法を考えて実行してみた次第である。
 
先ほどの写真で下回りを見ればすぐにお解りになるように、要するにプレートとイージーカバーが干渉するのがよろしくない原因なので、イージーカバーの厚みをクリアするようにスペーサーをかませれば良い訳だ。
これまた安直な方法だと、エツミのE6599と言ったカメラ用の止めネジをスペーサー代わりにする方法がある。実際それでOKだと思う。実際に私も似たような物を持っているのでやってみたが、何だかスマートじゃ無いんだよね。厚みがありすぎて大層な感じになるのと、持ち歩くと邪魔ウザい感じになります。またL型プレートの受け役としてはやや面積が小さくて頼りないです。シャッターブレとか簡単に起こりそうで納得できないんですよね。正直あまりオススメじゃないです。やはりしっかりと大きな「面」でL型プレートを受け止めるような、それでいて目立たないスペーサーが欲しい。
アコーディオンドアの受け金具に穴を開けて使うとか色々と考えましたが、結局私がとった方法は、アルミ板を使って自作するという方法だった。
イージーカバーをクリアするように定規で大きさを図るとこんな感じの設計図になった。
ファイル 108-5.jpg
自分流の設計図なので、汚い字と分かり難さ満開で申し訳ないが、35×55mmのプレートに斯様な場所に6.5mmちょいの大きさの穴を開けると言う物。一番気を付けたのは厚み。スペーサーだから当然だが、イージーカバーの厚みは2mmある。なので2.1mm以上の厚みがないとクリアできない。かといってあまり厚くし過ぎるとL型プレートの止めねじがカメラに届かなくなって固定できないというアホな事になる。ホームセンターへ行くと既製品のアルミ板には結構な種類があったがL型プレートのネジの長さを考慮して2mm厚のアルミ板(15cm四方)と1mm厚のゴムプレートを購入した。2つ合わせて1000円ほどの買い物になった。
設計図通りにアルミ版にカッターで書き込み、金のこでギコギコと切り取り、サンドペーパーでバリ取りを行い、プレートのカメラ側面にゴムシートを両面テープ(普通の紙両面でOK)で貼って完成したのがこれです。
ファイル 108-3.jpg
あまり器用じゃないので、出来上がりはこんな無骨な物になっちゃいましたが、イージーカバーを微妙に躱してくれています。厚みは3mmでOKだったようである。ちなみにカメラとこのスペーサーを両面テープで固定してしまっても構わないが、カメラ側には銘板やバッテリーグリップの接点カバーなどがあるので、あまりオススメはしない。っていうかゴムプレートがそれなりに密着して張り付いてくれます。紛失の可能性は否定できないが充分です。

で、L型プレートを装着してみた。
ファイル 108-4.jpg

おおおー。
ネジもきちんと届いたし、がっちりと固定できるようになりました。実はこのL型プレートのネジですが、少し長くてカメラ直だと少し浮いてしまうのでワッシャを噛ませていたんですが、その必要も無くなったのも嬉しい。相変わらずバッテリーの扉には干渉してしまうが、とにかくこれで今まで通りに使えるし、イージーカバーの保護機能も生かされました。(^^)
 
ところで、このL型プレートであるが、これを使うと三脚使用時の機動性は確実にアップします。画角を縦にしたり横にしたりするのに雲台の操作で行うよりも、カメラをクランプから外して装着し直した方が水平を取り直す必要も無く、また同じ操作で画角を決め直せるので圧倒的に早い。今は軍艦も戦車も素早く動いて素早く撃つ(撮る)時代だ。撮影とて同じ事。フィールドでの三脚撮影での機動性については後日述べたいと思う。

取り揃えのスキマを埋める三脚。

三脚は二度買い換えるアイテムと言われるが、私の場合二度どころではない程買い換えている。大型三脚では161MK2Bから小型ではSLIKの卓上ミニ三脚まで取り揃えて使い分けているが、半年ほど前に山行用で使用していたSLIKのF740をカメラデビューした友人にお嫁に出してしまったので、この規模の三脚の取り揃えにポッカリ穴が開いておりました。と言っても山行はここ数年行ってないし、行く予定も余りないので無くても困らないし、かなり使い倒したF740でもあったので写友に献上したわけであるが・・・。
しかし今秋になって、とある山の中へ撮影に行く予定を立てた為、やはり数時間単位の山歩きにも苦にならないような軽くて小型の三脚のニーズが発生してしまいました。ならば手っ取り早くもう一度F740を買い直せば良いのだが、半年前まで持っていた三脚をまた買い直すのも能が無いし、何よりも性分に合いません。それに、好きじゃない3ウェイ雲台で、あまり使い勝手の良い三脚でも無かったしなぁ・・・。
と言う訳で私の今のニーズ、つまり軽くて、コンパクトに収納出来、機動性があって、一眼レフに便利ズームを付けた約1.5kg以上の耐荷重がある製品を探してみた。
どうやら、私が探している三脚は俗に「トラベル三脚」と呼ばれる物に相当するようだ。その類でググると結構良い感じの物がわんさかと出てくる。縮長はやはり短いほど良いが、短くなる代償として高さが犠牲になる。あまり拘りすぎると卓上三脚になってしまうし、アイレベルを求めると縮長は50cm近くになり重くなる、それなら今持っているSLIKのプロ500DXでOKという事になってくる。ここは割り切りが必要だ。と言う訳で、色々とネットで物色した揚げ句、某Y社の展示コーナーにまで実地踏査を行った結果、私が選んだ三脚は以下の物と決まった。

VANGUARD VEO2 235AP
ファイル 107-1.jpg

私は三脚はマンフロットが一番好きなんだけど、しっくりくるサイズ感の物が無かったんだよねー。それにカーボン製でやたら高いし・・・(;^ω^)。このサイズの三脚だったらアルミも三脚も余り変らんでしょ。それに私はある理由があってアルミが好きなのさ。
しかし、バンガードはリュックやバッグは使っていますけど、三脚っていう選択肢は無かったなぁ・・・235APは展示コーナーでたまたま目に付いた商品で、やはり実地踏査は必要だと感じた今日この頃ですわ。
ちなみにこのVEO2-235には自由雲台仕様の235ABと私が選んだハンドル付き雲台の235APとがある。耐荷重は前者が6kgで後者は3.5kgとなっているが、雲台は交換が可能で私の場合マンフロットのガッシリ自由雲台が1個余っているので235APを選んだ次第だ。ちなみにお値段は12000円程で、更にメーカーが3000円のキャッシュバックをやっていたので実質9000円そこそこで買えた事になります。バンガードいいじゃんいいじゃん(笑)。
雲台は別売りもしているPH-25と言う物が始めから付いてきます。
ファイル 107-2.jpg ファイル 107-3.jpg
自由雲台よりも少し複雑になるので耐荷重が減るのは仕方の無い所だ。取付は付属のシューをカメラに付けてアルカスイスのように挟み込んで締めるタイプ。滑り止めのボッチも付いているので滑落する事もほぼ無いようになっている。ここで注意したいのだが、一部の書き込みや記事では「アルカスイス互換」と書かれているが、実は違う。アルカスイス互換のプレートを挟むには幅が僅かに足りず挟み込めないのだ。端っこから滑り込ませれば固定はできるが、それをやると取外しの際に滑り止めのボッチが邪魔になって外せなくなります。これは実際に複数のアルカスイス互換プレートを使って試したので間違いないです。これは「なんちゃってアルカスイス互換」なのだ。モノによっては合うプレートもあるかも知れないが、基本は合わないので注意が必要だ。私の場合は紛らわしいのでこの雲台の上に更にアルカスイス互換の50mmクランプを取付けて解決しております。
収納時に邪魔になりそうなハンドルは、根元のネジを緩める事でハンドルが寝て収納しやすいようになります。私的には引っ張って固定するバネのラッチ式にして欲しかったがコストと耐久性を考えればこれはこれで正解かも知れない。雲台の動き、固定はすこぶる優秀だ。D500にSIGMA18-300mmを付けた1.5kg余のセットも難なくハンドルを振って画角を決める事ができる。パン方向はやや抵抗があってヌルヌル・・・とやや重く動く。ビデオ撮影や動止撮影(流し撮り)には良いかも知れないが、野鳥の追いかけなどではやや重いかも知れない。そっち方面が主体なら自由雲台の235ABの方が良いと思われる。チルト方向はカウンターはないのでしっかりと止めないとカックンするので注意が必要だ。が、特筆すべきはカメラの画角固定だ。ハンドル操作で画角を決め、雲台のレバーで固定するのだが、この時、画角は全く動かないのだ。決めた画角をそのまま固定してしてくれる。このサイズ、このクラスの雲台だと、レバーで固定した後、ハンドルの手を緩めると画角がプニュっと動いて面倒な事になり勝ちだが、この雲台はかなり優秀なデキだと思った。
続いて脚部だが、最伸長は1440mmとなっているが、エレベーションはできれば伸ばさない方が良いので、そうなると1mそこそこの高さになる。あくまでコンパクトなトラベル三脚なのでここはあまり贅沢を言ってはならないだろう。どうしてもアイレベルが欲しい人はもう一つ上の265シリーズ等を選べば良いが、当然重量も嵩も増える。私の場合は500DXが・・・。笑
脚部の開きは3段階になっており、根元のボタンを押しながら途中45°位の所と、最大でスタンドマイクの足のように開く事が出来る。このセンターポールの雲台とは反対側にはフタが付いていて、これを外すとセンターポールが抜けるようになっており、代わりに付属のローアングルアダプターと言う簡易雲台を付けると、超ローアングルでの撮影が出来るようになっている。
ファイル 107-5.jpg
(写真は元の心棒のままです。)
収納時は、3本の足を反転して・・・ではなく、センターポールを反転させて最小収納サイズにするという攻めたデザインになっている。
ファイル 107-4.jpg
私は物ぐさで面倒くさがりなので、センターポールは反転させずにそのままの状態で付属の袋に入れて持ち運んでいますが・・・。山行用のリュックになるとむき出しで取付けますしね。
 
この三脚、235APの重さは1.4kg。
私は普段は475Bや055を持ち歩いている人間ですので、充分に軽いです。もっと軽さを!と言う方にはこの235シリーズのカーボンでは100g程軽い程度で、あまり効果がないので、もっと小型の1kgを切るような小型三脚がお奨めだろう。その代わり耐荷重は殆どが1.5kgとなってくるので、一眼レフと望遠ズームの組み合わせはちょっと厳しいかも知れないが・・・。
あと、VEO2では前バージョンと違ってツイストロック式になっている。と言ってもネジは1周ほど回して固定するタイプなので、ネジをどこまで回すねん?って言う面倒臭いタイプの物ではないので、これも好感が持てます(でも私はレバー式が好き)。

これを持って、山行用の三脚というスキマが埋まりました。
実際の使用感はまた後日レポートしたいと思います。

イージーカバーと言うのを買ってみた。

妖しげなバッテリーグリップを外してからこの方、超快調に動作しているマイバディのD500ですが、実は幾度となく落下の危機を乗り越えていたりします。その何れもが家の中や車の中での柔らかい所に転げ落ちているので大事には至っていないのでありますが、これが地面やコンクリートの上だったらと思うとやはり冷や汗が出ます。それに私は結構過酷なステージにも足を運んで荒い使い方をする事があるので、本体に小傷がビシビシ着いたりする事もままあります。
と言う訳で、現在はまだ奇麗ななりをしている相棒の為に、カメラ本体をシリコン製のカバーで覆って保護するというイージーカバーという物を買ってみた。百聞は一見にしかず、要するにこういう物だ。
ファイル 106-1.jpg
カラーは黒、黄、迷彩とあったが、あまり人が選ばなさそうな気がした黄色を購入しました。笑
概ね本体全体を覆っているものの、操作性には極力影響を与えないようにと考慮されているのが特徴だ。カメラカバーは使う時には外して荷物になるが、これは相変わらずレンズには気を遣う必要はあるが、そのまま稼働出来るのがちょっと良い所だ。
取付には少々悩んだが、シリコン製で少し伸びるので、カメラの上部から服を着せるようにガバッと被せるように取付ければ専用設計なので勝手にしっくり懐いてくれる。ストロボ接点の純正カバーは取り外してイージーカバーが代わりにはまります。これで完了。あ、ストラップは外さないとダメですよ。
ファイル 106-2.jpg
使ってみた感じは、少しカメラがゴツくなった感じはするものの、専用設計だけあって各ボタンの凹凸や、扉の開閉などが上手く工夫されていてレンズ交換、バッテリー交換、カード交換など特に違和感はない。巷の下馬評では上部のカバーが足りないとか、D500のエンブレムが隠れるなどと言った意見も聞かれるようだが、実際の操作性と言う事を考えたら、これがベターでは無いかと思われる。
ファイル 106-3.jpg
ただ、カメラ本来の手へのフィット感はイージーカバーに取って代わられてしまうので、新しいフィット感を持つ事になる。これに懐けるか懐けないかは使い手次第と行った所か。それと、シリコン製なのでやはり滑る。手から滑り落ちる事はほぼ無いとしても、少し困るのは三脚への固定の為のアルカスイスプレートやクイックプレートの取付時に、イージーカバーを挟む大きさの物だと滑るのだ。私は汎用のL型プレートを使っているのだが、イージーカバーを挟んでカメラに固定する事になるので、結構締め込んでもやはりヌルッと動いてしまう。自由雲台等のカメラを手に持って操作する系統の雲台の場合は、カメラだけがネリっと動くような気がして、ちょっと気を遣わされてしまう気がする。
ファイル 106-4.jpg
それでも、このイージーカバーによって多少のスレや衝撃からは守ってくれるし、撮影の合間の休憩時にカメラをポンと置く事もあまり気兼ねしなくなる。元々はそういう機能の物であって、落下の衝撃から守ってくれるという物ではないと思われる・・・。
そうなると、当初の目的からは外れてしまうのだが、そんな事どうでも良いくらい良い感じなので、当分はこのまま使い続けてみたいと思う。
ファイル 106-5.jpg

結局新しいマウントのレンズなんだよ。

ニコンがZマウントという新しいレンズシステムをしてフルサイズミラーレスの市場に入り込んできた。その後、間もなくしてキヤノンもRFマウントという新しいレンズシステムを採用してのEOS Rというフルサイズミラーレス機をして市場への参入を表明した。
それぞれの2台メーカーは口を揃えて、
「従来のマウントシステムも残し、フルサイズミラーレス機でも違和感なく使えるようにする。」
と、宣伝しております。
要するに、新しいミラーレス機に買い換えても、今持っているレンズは無駄になりませんよ~。だから新しいカメラ買ってね。と、言っているわけです。両メーカーとも、発売前から「画期的」だの「違和感のない」だのと色々と申しておりましたが、要するにフルサイズミラーレス機の方がフランジバックが短い事を利用したマウントアダプタによる対応でオールドレンズの対策を取ったわけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、相変わらずコマーシャルが上手いなぁと思ったのはやはりキヤノンですな。EFマウントとRFマウントは、実は全く別物のマウントなんですが、口径を同じ54mmにする事でユーザーの違和感をなんとなく取り除いている点だ。同じ口径だからマウントアダプタを噛ましてもレンズ性能に違いは出ない・・・等というような事を匂わせているのは何とも言えませんな。はっきり言っておきますが、メーカーを問わずマウントアダプターを噛ませればそれなりに光学的なハンデは背負いますし、機能的にも制限が出ます。
早い話が、FマウントレンズはFマウントカメラに、EFマウントレンズはEFマウントカメラに、神の物は神に、カエサルの物はカエサルに・・・。すいません。興奮しすぎました。(;^ω^)
つまりは、そのマウントのレンズは、そのシステムのカメラ用に開発され、最適化されているという事です。ですからZシリーズやEOS R用に開発されてくる新マウントのレンズ群には逆立ちしたって敵わないというわけです。それ以前に悲しいでしょ、カメラは新しいのにレンズは旧仕様だなんて・・・。
今のデジカメEOSにマウントアダプタを付けてFDレンズを使い続けるようなもんですよ。周囲が新システムのカメラマンばかりになってくると虚しくなってきますよね(笑)。
つまるところ、ニコンもキヤノンも何だかんだ言ってますけど、FマウントもEFマウントも捨てたってワケです。キヤノンに至ってはEF-Mも捨てましたってね。そこはユーザーとしてしっかり認識しておきましょう。ニコンユーザーもキヤノンユーザーも一旦ガラガラポンされるわけです。俺はいち早くミラーレス機に移ってやるぜ!っていう元気な方は、今後今持っているカメラを手にしてノスタルジーに浸る気がないなら、早々にカメラとレンズを全て叩き売って、全ての資産をミラーレス機に注ぎ込んだ方が良いわけだ。その時、ソニーか、ニコンか、キヤノンか・・・それらは冷静に選択した方が良い。ファン心理も働くだろうが冷静に・・・冷静に・・・。
ガラガラポンとはそう言う事です。
ユーザーは、全く新しくどこのメーカーに追いて行くかを決める機会が巡ってきてしまった訳です。マウント径54mmに拘っている場合じゃ無いです。ローンで買った大口径単焦点に拘ってる場合じゃ無いです。フォトサロンのおねーちゃんが奇麗で親切だったからとか言ってる場合じゃ無いです(笑)。
フルサイズのミラーレス一眼の市場ではキヤノンはトップメーカーではありません。ニコンも初陣であります。数年前から挑戦し続けて先を走っているのはソニーです。でも間もなくその性能差は埋まるでしょう。だから・・・
 
冷静に、選んでください。
 
そして、持っていたカメラ資産を投げ打った結果、例えまたレンズ1本になってしまったとしても・・・。その代わりその1台のカメラと1本のレンズは、確実に新しい世界を見せてくれるはずです。今まで撮れなかった物がいとも簡単に撮れるようになるかも知れません。
そうしてまた、貴方自身の新しいカメラライフの第一歩が始まるのです。
 
なーんちゃって。
 
(とある映画のマネ:笑)

インスタグラムで実験を行ってみた。

インスタグラム(インスタ)のいいね!やフォロワーを集める関連のネットの書き込みや記事を見ていると、投稿した写真の検索ワードとなるハッシュタグという物が非常に大事だという記事をよく目にする。そりゃそうだ、漠然と写真1枚を第五空間に放り出しても、誰かが見つけて同行してくれる確率は限りなく低い。インスタだけで考えても1日に世界中のユーザーが数億枚以上の写真を思い思いに投稿するんだから、自分の写真をそれなりに見てもらうには、それなりに「検索」に引っかかるように、それなりの仕掛けをしておく必要があるのは道理だ。それがハッシュタグという物で、写真に関係するキーワードをキャプションの末尾などに「#」記号+ワードという形で書き込んでおく事で、検索にかかり易くし、より多くの人に見てもらえる機会を得やすいようにする訳だ。
具体的には・・・
ファイル 104-1.png
このような写真を投稿したとして、その写真のキャプション欄の末尾などに
「#神戸港 #夜景 #ポートタワー #海洋博物館 #海の景色」
という要領で書き込んでおく訳だ。
このハッシュタグには当然の事ながら「人気ワード」という物がある。多くの人が検索欄に打ち込むワードの事だ。多少の関連性があると思える人気ワードもハッシュタグに入れておく事で、より多くのユーザーの目に触れる機会が増えるという訳だ。
 
ところがだ・・・。
 
このハッシュタグの内容が「イタイ」と言い出す輩がいる。
確かにいいね!やフォロワーを増やしたいローカルバンドのオーナーや、駆け出しのタレント等によく見られるが、そこに問題は無い、私が「??」と思ったのは、この輩どもが言うには
「ハッシュタグなど入れなくても、いいね!やフォロワーはたくさん増える。」
という言い分だった。確かにこう言う事を述べるヤツが、ネットの関連記事を見て回っていると実は結構いる事に気づく。
これに対する私の反応は、
  
「うそつけ。」
 
である。
確かにある程度のフォロワーが付いていれば、フォロワーは投稿された事に気付く機会があるので、それなりに「いいね!」は入るだろう。さらに友達の友達が気付いてフォロワー増に貢献するかもしれないが、理論的に考えて検索ワードがないデータに、不知の誰かが気付く事など、偶然が重ならない限りあり得ないのだ。
 
と言う訳で・・・。
 
インスタ知ったかぶりの輩の言う事が本当かどうかを、現在フォロワー300程度しかない私であるが、実際に検証してみたので、その結果をそのまま書きます。

まず、ハッシュタグをたくさん入れた場合・・・。
写真の内容にもよるが、大体平均して100~150のいいね!を戴き、フォロワーさんも5~10位増えます。ありがたや・・・。
更に、フォロワーさんではない人のいいね!が結構入ります。なので、何がどうなるのか分かりませんが、フォロワーさんの数よりも多いいいね!を戴いたりする事もあります。
 
では、輩どもの言うハッシュタグを一切入れなかった場合はどうなったかと言いますと・・・、結果は推して知るべしです。平均のいいね!数は65~75で、それもフォロワーさん以外の方からのいいね!はほぼありません。また65~75のいいね!を戴くにも、1週間位かかるほどに反応が鈍いです。しかも新しいフォロワーさんが付く事は皆無でした。
 
分かり易すぎる、しかも理論的に合致した歴然とした結果が得られました。つまり、ハッシュタグなどそれほど重要ではない等と言っているヤカラの言う事は「うそ」です。ボットでも使っていないとそのような事は言えないはずですから、インスタな皆さんは、このようないい加減でネットの仕組みがあまりよく分かっていないクセに知ったかぶりの自称インスタのプロ的なヤツの言う事など相手にせず、きちんとハッシュタグを入れた方が良いですよ。
 
あー、いい加減なバカどものお陰で、面倒くさい検証作業をしてしまったやないか。大体、検索で成り立ってるSNSが、検索ワードなしでワンサカと人が集まってくるなんて、あるわけないやろ。頭おかしいんと違うか、ネットでいい加減で無責任な事を言うヤカラには本当にムカつきます。俺の時間を返せ。

インスタグラムって・・・。

写真という媒体を利用して、自己の持つスタイルを不特定多数の人に拡散する方法としてはSNSという物があるが、とりわけ写真に特化した物で、芸能人などのアカウントも多く、それに比例して最近特に人気が高いのがインスタグラム(=インスタ)だ。
私は現在フェイスブック(=FB)のアカウントで、撮ってきた写真を紹介しているが、FBを利用して有名になってやろうとか、どこかのサイトに投稿して賞を取ってやろうとかいう気分があるわけでも無く、現在はただダラダラと続けている感がある。たまに行った先で知り合ったカメラマンとアカウントを交換し、たまに友人が増える・・・。その程度だ。
インスタは存在は知ってはいたが、Tumblrに並んで私的に意味不明な点が多く、ただひたすら自己満足な写真をサイトに並べて公開し、ただひたすらいいね!を集めて、ただひたすらフォロワーを増やす・・・という一種のロールプレイングゲームのレベル上げのような「作業」を行うプラットフォームにしか感じていなかったので、面倒なので近寄ろうとしなかったのだ。
しかし、旧友がインスタのアカウントを持っており、フォローもフォロワーも10前後で、スマホ写真をぼちぼち上げているのを知り「これは一体何をやっているのか?」と、改めて聞いてみると、「おれは単に釣りの情報をもらいたいから使っているだけ。写真はおまけで上げてるだけ。」という答えが返ってきた。旧友もどうやらこれで何かをしようとは考えていないようだった。
そんな遊んでいるようなアカウントがあるならと言う事で、私の適当な数枚の写真を用意して「これをアップしてみてくれ」とお願いして、適当なハッシュタグを付けてアップしてもらった。
すると、一眼レフの写真クォリティなのかハッシュタグの効果なのか今まで殆ど入らなかったといういいね!がダダダ!っと付きだすと同時にフォロワーも増えだしたのだ。当然旧友は写真を知らないので、コメントの返事にも苦慮していたようだが・・・。笑
その様子を見ていて、私はなんとなくインスタという物がどういう物か実際に理解できたのだ。
要するにインスタは冒頭で言ったように、

1)ただひたすら、自己満足な写真をアップし、
2)ただひたすら、いいね!を集めて、
3)ただひたすら、フォロワーを増やす。
 
というドラクエのレベル上げのような物だとわかった。RPGでもハマった人間は人一倍レベルを上げ、アイテムを集め、ゲーム内で「神」扱いされる事を目指す。それと同じ事なのだと・・・。
いやいや、そうじゃないんだよ。と、上から目線で知ったかぶった輩が湧いてきそうだが、どうせマニアが総論で語るか各論で語るかの違いであって、冷めた目で見ると結局そう言う事だ。
ただ、相手はどこかのサーバーという機械では無く不特定多数の人間なので、レベル=フォロワーの数が一定数増えてくると、社会的に(=ネット的に)それなりに影響力があるユーザーだと見なされて、とある企業から商品のレビュアーになって欲しいとか、新商品のレセプションに参加して情報を拡散して欲しいといった実際の仕事に繋がる面がある事だ。そういう多くのフォロワー数を背景に収入に繋げている人達を「インスタグラマー」と呼ばれるようである。
さて、話を私個人のステージに戻すと、その後その旧友のアカウントに写真を提供する形でどんどんと写真をアップしていった所、現在は400位のフォロワー数になった。ついでに言うと旧友も中古で一眼レフを購入し、現在は一緒に相談しつつアップしている共同アカと化している。ちなみにその400のフォロワーは、全て会った事も話した事もない人ばかりであり、純粋に私たちの写真のファンになってくれているのか、いいね!率は現在も7~8割前後と異常に高いのが自慢だ。
インスタはスマホでアップしてスマホで見る事を前提としている特性上、縦写真が効くと聞いたので、今度は資源の再利用というわけで、専ら縦位置撮影を行った写真ばかりに特化してアップするアカウントを私個人で作成し、これも組織票や友人票が入らないように内緒でアップしてみた所、現在で1ヶ月程になるが300程のフォロワーが付いてくれている。ちなみに私のアカウントは基本的にどこのサイトにもフィーチャーされないようにしています(フィーチャーはくだらないし後が面倒くさいから・・・)。
 
で、
ここからが本題。(長くてごめんよ)
多くの方が知っての通り、インスタにはいいね!をしてもらったらその人のアカウントの写真にいいね!を返す、フォローをしてもらったらフォローをし返す(フォローバック)という暗黙のエチケットルールが存在する。別にやらなくてもいいが、何となくやらないと悪い気がするし、私の性格的にもやってあげたくなるのだ。
しかし、(フォロワー300の私のアカウントの場合だが)写真を1枚アップすると、大体100前後のいいね!が入ります。フォロワーも5~10前後増える感じかな。これにいちいちエチケットルールで応えるのがなかなか大変な作業になってくる訳である。旧友が管理する共同アカウントではフォロワー400でいいね!が300以上入るので、さらに大変なようだ。
と言う訳で、そこで恐らく誰もが考えるのがそれらを自動化するアプリを使う事だろう。今回私自身も、そんなインスタ用アプリを探してみた次第である。
しかし、自動でいいね!返しをしたり、フォローバックをしたりするアプリはなく、ほぼ全てが予め登録しておいたハッシュタグに基づいて自動で写真やユーザーを探してきては、自動でいいね!やフォローをすると言う物だった。インスタにはツイッターのリツイートのような一挙拡散の機能が用意されていない為、フォロワーを増やすには、多くのハッシュタグで呼び込むか、あちこちでいいね!をしまくって未知のユーザーに振り向いてもらって自己サイトを見に来てもらうと言った事を地道に行わなければならない。この地道で機械的な作業を24時間自動でアプリが行う事によって、10、20と新たなフォロワーを増やしてゆくというスンポーだ。いいね返しやフォローバックはしないので、こちらは相変わらず地道にしなければならない訳だが、このアプリを使う事によってフォロワー数は(理論上)どんどん増えてゆくので、エチケットルールを無視したと言う理由でフォローを外してくるユーザーが多少いた所で痛くも痒くもない・・・という訳だ。
そんな便利なアプリなら是非使ってみようかと思い、私も例に漏れずダウンロードをし・・・ようと思った。思ったよ。思ったんだけど「ちょっと待てよ」と、ダウンロードボタンを押す指が躊躇った。
 
よくよく考えてみたら、ひたすら写真にいいね!を付けて、未知のユーザーに振り向いてもらってフォローを期待したり、いいね返しをしたりとか、フォローバックをしたりとかって一体全体なんなんでしょうね?
少なくとも、今挙げたそれらの「作業」の中には、「写真そのものが素晴らしいからいいね!をした。」とか、「素晴らしいギャラリーだからフォローしたくなった。」という要素が全く無いのではないか。本来は、自分の興味を持った分野の写真を検索してみて一覧で見、感銘を受けた「作品」にいいね!を付け、素晴らしいと思えたアーティストにフォローをして新作情報を得ると言うのがインスタの使い方なのではないのか。
そう考えると、肝心の写真(作品)を見て感銘を受けるという肝心な部分をアプリに任せて自動化し、フォロワーをかき集めてくるって、これってたまにオンラインRPGなんかで問題になる「ボットによるレベル上げ」そのものではないか・・・?
確かに集まってくる相手は人間で、いいね!をもらっているので気になって自己の作品は見てくれるだろう。一定の方たちは、いいね!やフォローもしてくれると思う。が、アプリを使っているこちらは相手の作品など実際は全く見ていないのだ。これって何なんでしょうね。これこそがまさに血の通っていない、見ず知らずの相手を手玉に取れるSNSの醍醐味ってヤツですか?

いやいや、なんか違うでしょ。

そんな事をふと考えるに至り、結局ボットアプリをスマホにインストールするのはやめました。相手に分かる事ではないが、やはり作品も見ずにいいね!やフォローを付けて人を集める事に徹するって、何となく詐欺っぽい感じがするし、気がとがめて自分自身が許せない。でも実際にはこうしている現在もインスタ上ではボットが動き回り、自分の作品に感銘を受けてくれたと思い込んだユーザーは何も知らずいいね!やフォローをしているのだろう。
 
結局インスタってなんなんでしょうね?
私の結論としては、MMORPGと同じ次元のものという結論に達しました。みなさん、せいぜいレベル上げ(フォロワー集め)にボット・・・じゃなかった、没頭してください。

あー、なんだかあほらし。

コンポジット撮影→比較明合成という流れについて。

デジタルカメラでの夜景撮影とか花火撮影など、長秒露光を必要とする、あるいは長秒露光した方が綺麗な写真になる可能性がある撮影でのその方法として短秒撮影した写真を複数枚撮影して、それをPhotoshopやSiriuscompといったパソコンソフトで重ねて、比較明合成を行い、1枚の写真に仕上げるという方法がある。これを俗にコンポジット撮影とかインターバル撮影とか呼ばれており、最近のデジタル一眼ではこの機能が搭載されている機種も少なくない。
コンポジットやインターバル撮影とは、厳密にはその撮影方法を指すのだが、その方法で例えば花火を撮影すると、長秒撮影ではセンサーの捉えられる輝度がオーバー・・・つまり白飛びさせる事無く花火の光を複数枚のコマで撮影し、比較明合成することで綺麗で輝度の高い派手な花火を再現する事が可能になる。ところが最近ではこのコンポジット撮影は「邪道」とする向きが強くなってきており、花火も夜景も「一発撮り」と言われる無合成で撮影された写真を自慢する風潮がくすぶり始めた。私的にはデジタルカメラでの表現方法、撮影方法の幅を狭める風潮だと思えたので、改めてコンポジット撮影という手法の意味をここに記しておきたいと思い立った訳です。とりあえず、始めに言っておきますけど「一発撮り」って、それほど偉そうに自慢する事でもないと思いますよ。正直な話、1枚の処理で終わる分、コンポジット撮影よりも簡単だし・・・。
 
フィルム時代には無かったコンポジット撮影が、なぜデジタルカメラになった昨今になって言われるようになったのか・・・。これを語らずしてコンポジット撮影を理解する事はできないので記しておきますと、要するにデジタルカメラはイメージセンサーという電気仕掛けのフィルムに、光を当てて撮像をイメージ化し、演算によって色を付けて1枚の画像を起こしているという仕組みで、フィルムで言うと昔のコダクロームのような外式フィルム(後から色付けをするフィルム)のような処理をカメラ内部で次々に行っているわけだ。
レンズを通した光をフィルムに当てて撮像をする場合は、電気を使わないので、フィルムが露光オーバーにならない限りは事実上幾らでもシャッターを開けて長時間露光を行う事が可能だ。実際に夜景からより多くの光跡を得る為に、低感度フィルムで減光フィルターを用いて撮影すると言った場合、30~60分、もっと言えば90分の露光を行う事だって、フィルム時代は別に珍しい事では無かった。しかしこれと同じ事をデジタルカメラで行ったらどうなるだろうか。さてさて、興味のある方は百聞は一見にしかずと言いますから、実際にそのデジタルカメラで夜景を相手にやってみるとよい。
 
・・・・・・・・・。
 
する気しませんよね。
デジタルカメラで60分とかの露光なんて。
カメラ壊れちゃうんじゃないかとかも考えてしまったりして。笑
実際にそれだけの露光をデジタル一眼でやってみると、センサーが帯電してしまって熱を帯び、いわゆる長秒露光ノイズ(カラーノイズ)が発生します。また、撮像のあちこちに赤潮のようなムラが出る物もあります。その為に撮影後すぐにレンズカバーをして1枚撮影し、合成時にそのノイズを差し引くという手法を特に星景写真の処理で行うようですね。
要するに、カメラマンの本能が長時間露光をやりたくないと思わせる以前に、電気仕掛けで撮影を行うデジタルカメラとは相性が悪い訳です。その本能、信じて良かったですね。笑
 
しかし・・・、
 
長時間露光ができないと言う事になると、フィルムには撮れてデジカメには撮れないと言う写真ができてしまいます。例えば、その昔香港旅行に行くとバスガイドに必ずと言ってよいほど買わされてしまう香港の夜景のスライド写真とか、道路上に長く強く光跡が残るような写真などです。これらを撮るにはやはり数十分単位の長時間露光が必要になってきます。
そこでデジタルカメラ向けとして考え出されたのが、数秒単位の露光写真を連続で撮りつないで、それらをパソコンソフトで合成し、長時間露光を施したような1枚の写真に仕上げるというコンポジット撮影という撮影方法なのです。つまり、コンポジット撮影を否定するという事は、それに比肩する撮影方法がありませんので、そのカメラでは絶対に撮れない景色ができてしまうと言う事です。花火の撮影についても同じ事で、時間が極端に短いだけで、理屈はセンサーの受光容量を超えない光量に制限する撮影方法であり、何ら否定される撮影方法ではありません。むしろ、コンポジット撮影の方がカメラを絶対的に固定する必要があり、撮影条件を揃えるために全ての設定をマニュアルにしなければならないなど、一発撮り=単発撮りよりもむしろ高度な撮影技術と器具、そしてソフトウェア技術が必要になります。こう言うと「一発撮りにこだわっている」という特に花火カメラマンに「別にコンポジットを否定しているわけではない」などと事程左様な理屈を付けて怒られそうですが、残念ながらコンポジットの方が準備も多く、高い技術が必要なのは否定できないところでしょう。ましてや花火となるとBULBモードでの目押し撮影が定番ですので、カメラが一定間隔で撮影してゆくコンポジットだと名シーンも撮り逃す可能性だって出てくるわけです。私もメインカメラでは目押し撮影、サブカメラでコンポジットをしますが、しかし手間がかかるのは圧倒的にコンポジットの方です。
 
要はコンポジット撮影とは、長時間露光とは相性が悪いデジタルカメラ向けの撮影法として考え出された物であるという知識(認識ではない)があるかどうかです。コンポジットを否定するカメラマンは、単に後で合成写真を作る為の伏線技術だという認識しかないのではないでしょうか。
合成写真というのは・・・
そこにあるはずのない物がある。
その時間には見られない物がある。
と言った写るはずのない物が、複数の写真の一部から事後の加工によって画像内に移植されている写真の事を言うのです。一番分かり易い例は心霊写真ですね。デジカメでPhotoshop等の加工ソフトを知っている人なら簡単に作れる事は察しが付くでしょう。UFO写真もそうです。静止画で簡単にできるようになってしまったので、オカルトなスチル写真では説得力が無くなってしまったため、その業界?の人々は、更に高度な技術と機材と手間のかかる動画へとシフトしているのです。
花火にしても、東京タワーの横で上がっている物は言うまでも無いとして、例えば最初に上がった花火と最後に上がった花火をあたかも同時に上がったかのように加工するのは私は合成だと思っています。しかし、ほんの十数秒のうちに上がったワンシーケンスの花火をコンポジット撮影し合成して劇的な写真になったなら、それは合成では無く立派な写真だと思っています。なぜなら同条件で撮影し撮像全部を単純に比較明合成しているからです。それに同じ物をそこにいた万人の方も見ていた光景でもあります。ならば花火大会の最初から最後までをコンポジットして、全部を合成した物も写真じゃないかと屁理屈を捏ねてくる方に言っておきます。それがあなたにとって誇れる写真になるというのなら、それはそれで立派な写真です。どうぞ私なんぞに構わず最初から最後までコンポジットして、素晴らしい花火写真にしてください。
でも、これも言っておきます。
(香川照之の大和田常務の口調で)「やれるもんなら、あ、やってみな。ってか。笑」
 
憎まれ口はこの辺にしといて、今回は、最近デジカメを始めて、たまたま一発撮りにこだわるカメラマンと花火撮影でツルんでしまったが為に、コンポジット撮影に誤った解釈をしてしまっている初心者カメラマンが、ボチボチ出回りだしてきているような気がしましたので、コンポジット撮影の技法について、少々ウンチクを述べさせて頂きました。
デジタルカメラは、元々は撮影後にパソコン上で直接加工ができる事を利点にして生まれた撮影機材であります。スキャナーでは無くカメラでデジタル画像として直接パソコンに取り込めた時は、それはそれは画期的でした。Windows時代以前からパソコンとカメラを知っている人は、その画期的な瞬間を皆知っています。
これによりフィルム機では為し得なかった劇的な画像処理も簡単にできるようになりました。その発展型が今のデジタルカメラの世界として確立されたのです。タダそれだけの事。
一発撮りはフィルム時代では当たり前にやっていた事です。
デジタルカメラになって、その必要が無くなったわけです。
それをまたデジタルカメラで一発撮りでなければならないというのは、スタン・ハンセンがアメフトのハイタックル(現在は禁止技)をヒントにウエスタンラリアットを編み出したのに、後年になってプロレス技で「ハイタックル」を編み出した!と、騒いでいるような話で、「せっかく新しい技法を編み出したのに、なんでお前はまた元に戻すんじゃ」っていう、聞いている方が恥ずかしくなる程に本末転倒の理屈なのです。撮影方法にコダワリを持つのは良い事ですが、それを周囲の人間にもひけらかすのは、私のようにカメラ技術の経緯を知っている者が聞くと笑い話にしかなりません。
だって一発撮りの方が簡単だし。できればそうしたいよ。できないからコンポジットなんだよって・・・。
 
一発撮りです!なんてSNSで自慢げに書かない方がいいよ。サラッと撮影機材と条件を書いているだけの方がスマートです。
知るは一時の恥と言います。知らなかった人は、ここでこっそり知っておきましょう。あなたにとって豊かなカメラライフとなりますように・・・。

謎のレンズが意外に使えたと言う話。

自身初のフルサイズ一眼レフカメラNikon D610。
中古で買って、まもなくしてシャッターがバカになって1週間ほど入院し、無事に退院してきてからはすこぶる調子が良い。って言うか、今なお使える普段レンズが15mm魚眼、28mm、50mm、90mmマクロと単焦点4本なので、出番があまりないって言うのが正直なところ。色々と撮影には赴いているのだが、どうしても豊富なレンズ群を使う事ができるD500を持ち出してしまうんだよね。って言うか操作性も機動性もダントツD500の方が上だし。レンズ的に同じ品揃えになっても多分持ち出すのはD500だな。でもそれを言ってしまうと今日の日記の趣旨がなくなってしまうので、そこは一旦無かった事にしておきましょう・・・。(^_^;
 
と言うわけで、一応標準域のズームレンズがないという理由で不遇な毎日を過ごす我が家のD610君なのですが、やはりそこにあるからにはガシガシ使いたいと言うわけで私、色々と探しました。リーズナブルでお便利なフルサイズ対応ズームレンズを・・・。
で、AF-S VR Zoom-Nikkor 24-120mm f/3.5-5.6G IF-EDっていう長い名前の今はもう旧型になってしまったレンズを程なくして見つけました。中古で大体2~2.4万円で売られているようだ。ちなみに新しいのはナノクリが施されてF4通しとなった。これは10万円位するので私にはムリクリなレンズだ。
で、先日シグマの150-500mmをドナドナしたら、思った以上によろしいお値段が付きまして、一気に24-120mmを買える立場に躍り出ました。しかも某カメラの728で18000円というお買い得な玉も・・・。
 
しかし、
 
150-500mmを売ったら私は今度こそマンフロットの410というギア雲台を買うと決めていたので、若干後ろ髪を引かれながらも728を後にしてYodoで410をゲットしてしまいましたとさ。笑
で、D610を一躍バディ候補に押し上げるであろう標準域ズームの導入は見送られたわけです。
で、相変わらず不遇な毎日を過ごすD610でしたが、そう言えば我が家には謎のレンズが1本ある事を思い出した。
そのレンズはこれです。
 
AF NIKKOR 35-70mm F3.3-4.5 MACRO付

そう言えば、その昔フィルム機のF801を中古で買った際に、F801でも使えるレンズという事で一緒にオクで落として買った覚えがあった。F5でも数回使ったっけ・・・。あまりに昔の話なので全く記憶から消え去っていましたが、保管庫の隅に今もきちんといてはりましたよ。ありがとう。
ファイル 101-1.jpg ファイル 101-2.jpg
こんなレンズです。
このレンズ、ちょっと調べてみました所、1980年代に作られていたオールドレンズのようで、この頃のニコンのレンズにはカニ爪はさすがに無かった物の、距離計の小窓が付いていて、ちょっとナウい感じになっていましたが、このレンズにはその小窓もありません。なので更に古いのかと思いましたが、実はそれらよりも新しいようで35-70mm/F3.3-4.5の最終型と言う事が分かりました。要するに簡略化された物を新しい型として出し直したのね・・・。先代よりも小さく軽くなってるし・・・。(..;)
 
このレンズ、名前が示すとおりAFは付いていますがCPUは内蔵されていないらしい。ですからAE機能は働かないとか・・・。またAFモーターは内蔵されていませんのでD3000系やD5000系と言ったAFモーターがカメラ側に内蔵されていないデジカメだとAFは働きません。D601やD500には内蔵されていますのでAEは限定的ですがAFは動きます。って言うかだからいくら高性能化されてもD5000系以下には興味が無かったんだけどね・・・。あ、D90はAF動きまーす。
 
あれこれ考えるよりも実際に付けて撮ってみるのが一番というわけでD610に付けてみました。
ファイル 101-3.jpg
バツグリが厳ついですが、意外にしっとり落ち着いて見えます。
AEが効かないとの事ですが、私はこの辺になるとイマイチよく分かりません。とりあえず見たまんま書きますと、Aモードでちゃんと絞り値は勝手に動きます。補正もできます。撮るとちゃんと撮れます。シグマの28mmのように+1.7の補正をしないといけない・・・なんて事もありません。要するに普通に使えています。どういうことなんでしょうね。非CPUレンズの意味がわかんないです。すいません。
 
で、ボケも何とかボケとやらで好ましくないような事が書かれていましたが、私の見る限りではどう見ても綺麗な丸ボケの形です。ネット上に出回っているこのレンズの情報は一体何なのでしょうね。この先代レンズのことを言っているのかな?
とりあえず、写り具合はこんな感じです。
ファイル 101-4.jpg ファイル 101-5.jpg
Nikon D610 70mm f4.5 1/200秒 ISO6400 補正+0.7
 
何か言いたい事があればあればどうぞ・・・
みたいな。
どう見ても綺麗な丸ボケですよね? ね? ねーー?
 
いやいや、80年代という前世紀に作られたレンズの割には、かなり綺麗に写っていると思うのは私だけだろうか。背景のボケも買おうと思っていた24-120mm/F3.5-5.6VRよりも遙かに自然で綺麗です。ただ、オールドレンズらしく絞り開放だとパープルフリンジは盛大に出る予感満々です。いやいや絶対に出ますね。でもf8位まで絞ると無くなるというパターンだと思われます。
 
とりあえず、気に入った!!
 
買おうと思っていた旧24-120mmにも引けを取らない写りなので、D610にこのレンズを繁々と持ち出す事にしました。24-120mmに比べたら便利度は落ちるかもしれませんが、35-70mmはフィルム時代によく使っていましたから、全然苦になりません。って言うかD610にもようやく春が来るという気がします。
 
早速このセットで何かを撮りに行こうっと。