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喉元過ぎれば・・・。

テレビを見ていても、ネットを開いても、毎日毎日某かの新型コロナウイルスに関するニュースが報じられている。

私もこの日記でコロナの話題は連続3回目だ。

他に話題が無いわけでは無いが、これだけ世間がザワついていると、やはり素人の私でも、否応なしに色々と考えさせれてしまいます。
で、
私なりの今後のコロナに関する予想ですが、当たるも八卦当たらぬも八卦という事で、ここに書き記して、どこまでその通りになるか見守ってみようと思う。無意味な事だが暇なもんで・・・(笑)。
 
新型コロナウイルスと言うと、とても物騒な感じがするが、実は世間で言われている「風邪をひいた」という風邪の原因には、ウイルス系ではインフルエンザ、アデノウイルス、そしてコロナウイルスを源にしている物が代表的だ。特に重症化して毎年世界的に多くの死者を出しているインフルエンザには、今は色々なタイプの抗ウイルス剤が開発され、初期に服用すれば数日の安静で快方するようになった。一方でインフルエンザ以外のアデノウイルス、コロナウイルスに由来する「風邪」の場合は、今も抗ウイルス薬があるわけでは無く、基本的には対症療法の薬が処方され、自己の免疫機能に依った治療がなされる。なぜならこの二つに関しては「殆どが重症化しない」からだ。
今般のコロナウイルス、所謂COVID-19が突然の彗星のように話題に上ったのは、今までのコロナウイルス感染とは違って、比較的強い感染力と死に直結するほどの肺炎を引き起こし重症化する度合いが高いと判断されたからだと思われる。
しかし、実際には重症化して死に至る確率からすると、インフルエンザほど高くはなく、感染力と重症化というリスクでは高いかも知れないが、形的には今までのコロナウイルス感染による「風邪」とさして変わらないような感じがする。

これは素人の私の個人的な意見ではあるが、いずれにしても、インフルエンザを含めてウイルス感染による「風邪」の本当に怖い所は、そのウイルスによって引き起こされる症状そのものでは無く、身体の免疫反応によって体内のウイルスを駆逐した跡にくる「二次感染」にあると思っています。
二次感染というのは何かというと、人間の免疫反応というのは、身体に入り込んだ異物(ウイルスなど)を、攻撃して駆逐するという器用な機能ではあるのだが、実はそれだけに集中してしまい、他は手薄になるという不器用な側面も持ち合わせていたりする。風邪の治り始めに花粉症の症状やアレルギーが治まったりするのはその為だ。なので、その免疫機能がお留守になっている隙を突くように、別の「細菌感染」を起こす事が多々ある。ウイルスと細菌は全く別物なので、抗ウイルスの免疫機能は細菌には効かない。これも風邪と同じような初期症状を示すため「ぶり返した」という状態になるのだが、当然ながら細菌の場合は全く別の病状を引き起こす。肺炎、腎臓疾患、多臓器疾患など重篤な物から発熱、咽頭炎、気管支炎と言った物まで色々だ。これらを指して昔の人は「風邪は万病の元」と言った。
抗ウイルス剤があるインフルエンザには今は処方はされないが、風邪を引いて病院へ行くと「抗生剤」が処方されるのは、実はウイルス感染が落ち着いた後に引き起こす「細菌感染」から守るためなのだ。抗生剤は「抗菌剤」とも呼ばれるように「菌」に対して有効なので、ウイルス全盛の期間に服用しても実は効果はあまりなく、3日ほど飲むと身体に耐菌性が付いてしまって無意味になるので、治りかけから飲み始めるのが良かったりする。これがアデノウイルスやコロナウイルスの「風邪」に今も施される処方だ。新型コロナに関しても抗ウイルス剤や治準が無いため、やはり同じような対症療法を施しているのが現状であると思われる。ただ新型コロナウイルスは肺(呼吸器)を狙ってくるので厄介なのである。
 
しかし・・・、
新型コロナウイルスだCOVID-19だと言ってもウイルス由来の「風邪」は「風邪」なのである。つまり、夏にはあまり流行らない傾向がある。もちろん無いわけでは無い。「夏風邪」という言葉があるように、効き過ぎた冷房下に身を置いて免疫機能が損なわれて風邪をひいたりもする。が、大流行はしない。COVID-19は赤道直下の国でも流行していると言う向きもあるが、私はこの「風邪」も例外なく夏には流行はしないと思っている。遅まきではあるが恐らく5月中旬から下旬辺りから徐々に新規感染者が下火になっていって、次第に一旦の収束を見る事になるのではないかと踏んでいる。素人の考えなので経験則が主で根拠は無いが「風邪」であればそうなるはずである。

と、すればだ。

COVID-19が変異して麻疹や水痘のように空気感染の機能を獲得しなければ、6月や7月にもなってくると、あれほど多くいた新型コロナの患者もいつの間にか殆どが退院し「あの騒ぎは何だったんだろう」と言わしめる程に落ち着いてしまうような気がしている。
そうなると、すっぴんや脳内補完で可愛く見せたい女子くらいしか好んでマスクもしなくなって、不足により高騰したマスクも元のように30枚入りの箱が百均でも売られるようにまでなってくると思われるのだ。
特に7月下旬から9月中旬に至るまでのお祭り系を、早々と中止にした所は、多少後悔するかも知れませんね。
で、秋も深まった頃に、もしかしたら全く別の新型ウイルスが発現してくるかも知れないが、それは置いといてもCOVID-19の感染者の話題が、徐々に出てくるのでは無いかと予測する。
しかし2020年末辺りには、ワクチンとまではいかないまでも、アビガンやレムデシビルと言った既存の物や開発された新薬など、かなり有効に働く複数の治療薬が実戦投入されると思われるので、今年ほど死者を出すには至らなくなっている可能性が高いと思われる。私は前回の日記で感染による自己免疫の獲得が先になると言ったが、これには10年単位の時間がかかるため、お詫びと訂正を入れておきたいと思う。
要するに、人間の意思や対処とは関係なく、季節的に間もなく収束の兆しが見えてくる・・・と予測するのだ。
今やっている都市封鎖の一歩手前のような外出自粛などの対処も、やれば、これのお陰で早期に収束したと言う事もできるかも知れないが、まぁ季節的な要素の方が大きくなると思う。恐らく安倍政権もそれに与する役人連中も、のらりくらりと対処政策をやっているのは「夏には一旦収束する」と読んでいるはずだ。と思わされるのだが・・・。
しかし、問題は夏場の収束後の備えである。
自粛を半強要された国民の多くは、その反動でコロナ以前の生活を取り戻そうと行動するはずである。つまり、夏も終わる頃には「喉元過ぎれば熱さ忘るる」状態になっている可能性が高い。国民に関しては仕方の無い事だが、私が懸念するのは政府や役人も「喉元過ぎれば熱さ忘るる」状態になってしまう事である。これだけ衛生材料の不足に悩まされながらも、再びコロナ騒ぎが盛り上がるまで、何の対処も打たない気がする・・・と思ってしまうのは私だけなんだろうか・・・?

新型コロナウイルスの今。

前回の日記で、新聞やテレビ、ネットニュースなどの記事を元に、今話題の新型コロナウイルスについて、どんな物なのかと言うのを庶民的にまとめてみたのを、もう一度書く。
 
1)感染源は武漢市内の食料品店である。
2)宿主は食料として売られていた動物のようだ。
3)人から人に感染する。空気感染能力はない。
4)5マイクロメーターの飛沫感染をするので一般的なマスクは効かない。
5)顔を触らない、15秒以上の手洗いが予防に有効である。
6)接触感染をするので、同じ部屋での食事などでも感染する。
7)感染力は強くインフルエンザ、SARSウイルスと同等である。
8)致死率は2%であるが、非顕現感染者も含めるともっと低い。
9)強毒性変異の可能性はウイルス自体に不利の為低いと思われる。
 
あれから約2ヶ月経ったわけですが、当初語られていた上記の中で、違っていた事が幾つか出てきているので、訂正がてら日記に記したいと思い、キーボードを叩く事にしました。
その後の報道内容からすると、どうやら

1)感染源は武漢市内の食料品店である。
2)宿主は食料として売られていた動物のようだ。

というのは違っているようで、武漢市の食料品店でたまたま初感染者が見つかったと言うだけの事らしい。武漢市にはウイルスの研究所らしき施設もあるので、ここから漏れたとする風説もあるようだがはっきりしない。中国共産党政府(以下:中共政府)はその性質からメンツを特に気にする傾向が強いので、はっきりと「ここが感染源です!」と、世界に公表するのは「嫌」なんだと思う。だからここは掴んでいたとしても知らぬ顔の半兵衛を決め込むだろう。
2)宿主に関しても違っているようで、これも中共政府は公表を避けている状況ではっきりとしない。ちなみに宿主が判明していればその動物には抗血清があるはずなので、もう既に何らかの新型コロナ(COVID-19)に対抗する製剤が臨床されていてもおかしくないがその兆候も無いので、残念ながら宿主は見つかっていない事になる。ちなみに中共政府の公表が信用ならないとする意見も多数あるようだが、これを前提にしてしまうと話が進まないので、とりあえず現状をクールに、そしてセクシーに捉えて書き記しています。
 
3)4)5)は今も同じ見解のようだ。空気感染はしていない模様。
空気感染しているのでは?という事を言う人もいるようだが、空気感染をナメてはいけない。空気感染をするウイルスなら、中国人の春節による海外大移動とか中共政府の隠蔽とかに関係なく、ウイルスは中国国内の感染源から偏西風やジェット気流に乗って瞬く間に世界中に拡散し、1ヶ月後(2月初旬)には人類の約7割、2ヶ月後(3月初旬)にはほぼ全員に行き渡っているはずである。今頃は阿鼻叫喚の世界的な医療崩壊状態となっているはずである。なぜなら新型コロナは致死率の低い病原ウイルスだからだ。エボラのような致死率の高い病原体の場合は、短期間にその地で感染者が死亡するので、実は余り拡散しないのだ。その証拠にエボラは今も世界中には蔓延していない。致死率の低い中途半端なウイルスや細菌ほど拡散するのである。これが生物学の道理。新型コロナも中途半端に致死率の低いウイルスであるがために、今の所は人の波に乗ってここまで拡散しているのである。これが空気感染となると・・・繰り返す事になるので言わずもがなと言う事で。
 
6)に関しては「濃厚接触」という言葉が使われている。要は概ね2m以内の距離で一定時間(30分位?)共にした間柄の事を指すらしい。私も諸氏と同じく性病の類いと同じ接触を指すかと思ったが、要は同じ部屋にいて食事をしたり、テレビを見たり、雑談したりした場合を指すようで、これは飛沫感染(感染者の唾液の飛び散り)を指していると思われる。またエアロゾル(唾液などの噴霧状態)による感染も飛沫感染の一種であるので、同じ空間に多人数でいた場合(劇場やバーなど)も感染リスクが増大すると言う事らしいので6)はやはり若干の修正ですね。ちなみにコレラのように経口感染はしないようです。
 
7)8)9)は概ね今も公的機関が発する見解は変わっていない感じがしますが、致死率2%は感染源とされる武漢市での異常な状態での致死率も含まれているためちょっと高いと思います。実際に中国国内に限って言うと、武漢市を除いた場合の致死率を計算すると0.9%という数字が出てきます。つまりは、新型コロナウイルスの致死率は概ね1%前後であり、高齢者を中心とした基礎疾患や免疫弱者の方々に致死率が特に高くなるようです。これを鑑みると新型コロナウイルスは、今は対抗薬はないものの、実際はインフルエンザウイルスと同等か、それよりも弱毒性で、まぁちょっと質の悪い流行り風邪と解するのが正解のようです。
 
しかし・・・。
 
めっちゃ騒ぎますよね。特に欧米の方々・・・。(;゜ロ゜)
新型コロナウイルスサイドからすると、
「俺って、そんなに強いウイルスじゃ無いんだけどなぁ・・・なんで?」
っていう感じでしょうね。私にはそのように感ぜられます。
 
インフルエンザほどでは無いにしても、死亡者が出ているし対抗手段が無いのはやはり不安なので、早いところでワクチンが開発されるのがベストなのでしょうが、私の予想ではワクチンができる前に人類が一定数感染して、免疫を獲得してしまう方が先じゃないかと思っております。人類が地球上で生き抜いてきた歴史は、一定数の人間の感染による免疫の獲得によって紡がれてきているからだ。それが自然の摂理なのだと思う。ウイルスそのものを滅ぼそうとすると、彼らも生物の端くれなので、何とかして生き延びる手段を獲得しようと努力します。結果、変異という形で人類にとって更に厄介な存在となって地球上での生存を主張してくるに違いありません。その方が私は恐ろしい物を感じるのですが、いかがな物でしょうか。

新型コロナウイルスって…。

中国の武漢(ウーハン)発の「新型コロナウイルス」が連日と言うよりも連刻の勢いでテレビやネットのニュースを賑わしている。テレビをつけると、とりあえずどこかの局がこの話題を取り上げているという状況だ。
で、世界各国津々浦々に広がりつつあるこの「新型コロナウイルス」だが、実際にはどんなもんなだろうか…。豚インフルエンザの時もそうであったが、とにかくウイルスに「新型」という単語が付くと、マスコミを中心にとかく人は恐れ慄き、大騒ぎとなり時にパニック状態になるようだ。
パニックと言えば、武漢市内の病院内部の映像もニュースでやっていたが、あれってパニックと言うよりも人類の終末的な様相さえ思わせる感じでしたね。まさに阿鼻叫喚と言う感じで病院はその機能までもが不全に陥っている感じで、昔見た小松左京原作の映画「復活の日」の一場面を見ているかのようでした(Amazonプライムで今も観られるね)。
そんな新型コロナウイルスだが、しかし映画「復活の日」に登場したようなMM-88菌のように人類を破滅に追い込むほどの恐ろしいウイルスなのだろうか…とささやかな疑問がわいたので、ちょっとググって調べてみたことろ、今のところではあるがざっくり書くとおよそ以下のようなもののようだ。
 
・感染源は武漢市内の食料品店である。
・宿主は食料として売られていた動物のようだ。
・人から人に感染する。空気感染能力はない。
・5マイクロメーターの飛沫感染をするので一般的なマスクは効かない。
・顔を触らない、15秒以上の手洗いが予防に有効である。
・接触感染をするので、同じ部屋での食事などでも感染する。
・感染力は強くインフルエンザ、SARSウイルスと同等である。
・致死率は2%であるが、非顕現感染者も含めるともっと低い。
・強毒性変異の可能性はウイルス自体に不利の為低いと思われる。
 
と言うような事を専門家がつらつらと喋ったことを記事にされていた。
要するに、世間様が恐れている

 「感染→死亡フラグ」
 
というプロセスを具現化するような、そら恐ろしいウイルスではないようである。まずは「怖い」と思う前に落ち着いて予防法を励行する事で自ずへの感染を防ぐ事が肝要だと思われる。
家に帰ったらうがい手洗いではなく、手洗いは出先でも励行する。公共施設のドアなどを触ったら顔を触る前に手洗いである。接触感染を恐れるならば、外食はや公衆浴場などは控えて家で済ませるようにすればよい。たったこれだけの心がけでほぼ防げる。
一番怖いのは、ニュースやネットの書き込みなどの文言に踊らされて半ばパニックに陥る事だ。これは冷静な判断を失わせて、余計な買い物をしてしまったり、逆に危険な行動をしてしまっていたりするものだ。落ち着いた冷静な判断と行動をしたいところだ。
ちなみに、さっきも書いたけど一般に売られているマスクは全く役に立ちません。買い占めたり、オークションサイトなどで高値で買ったりしないように。その行動こそがパニックに陥っている証拠ですよ~。

良いカメラとは…?

今から四半世紀以上昔の、まだ私が若かりし日の頃。写真でお給金をもらって日々の生活をすると言う毎日を送っておりました。
その頃は当然まだカメラと言えばフィルムで、デジタルのデの字もありませんでした。ニコンはデジタルになった今も現役のFマウント、キヤノンはFDマウントからEFマウントに変わり始めた頃のお話です。
仕事では入社した時に宛がわれたカメラがニコンのF2というカメラで、当時私はキヤノンAE-1Pをプライベートで使っていた事もあって、ニコンのカメラの使い勝手に馴染めませんでしたが、人間というのは慣れるもので、撮影の比重が仕事の方が圧倒的にあったので、いつしか使いにくさも忘れてしまいました。
その後、F2も古くなったのでそろそろ買い替えようという事になり、その頃には撮影を丸ごと任されていた事もあって、後継機種の選定を任される事になりました。と言ってもやはり上司(師匠)の意見は聞かないといけませんので、バックにカメラ量販店が付いてくれていた事もあり、色んなメーカーの色んなカメラをデモで触らせてもらい、実際に撮影に使わせていただきました。この時に各メーカーのカメラに対する考え方や拘り方の微妙な違いを知る事が出来たのは幸運だったと思います。
とは言え、数あるカメラの中から、仕事で使う上で「良いカメラ」を選ばなければなりません。
素人チックに考えると、プロならやっぱりニコンF3、キヤノンならF1かT90(EFはまだそれほどレンズがなかった)辺りが真っ当と考えるかも知れませんが、色々と試した結果、私が出した答えは、当時1/8000秒の高速シャッターで売り出していたニコンのF801でした。
今のデジタル機で言うと、D750位の位置付けのカメラでしょうか。ハイアマチュアが使うそこそこのカメラと言う感じです。
これがなぜ私にとって「良いカメラ」となったのでしょうか。
 
仕事で使う場合は、カメラ本体においては、その操作性が重視される傾向にありますが、私が重視したのはファインダーの「視野率」でした。ニコンF3やキヤノンF1などの、いわゆるハイエンド機の視野率は持てる技術を投入されたクリアな100%です。つまり、ファインダーで見たもの全てがフィルムに写ります。

「それでいいじゃないか。さすがハイエンド、最高じゃないか。」

と、多くの方は思うかもしれません。しかしアマチュアの方ならともかく、プロの方が「フィルムカメラ」でそう仰っていたとしたら私は多分今でも「大してカメラを持っていないな…」と買いかぶると思います。口では誉めていてもね…(笑)。
フィルムカメラの場合は、紙焼き(印画紙焼き付けの事)にする場合、イーゼルマスクという機材によってネガの周囲がどうしても切られてしまうのです。これは機械焼きでも同じ事です。つまり100%の視野率で撮影しても周囲が切られてしまいますので、実際は100%眼で見たまんまを写真にする事は出来ないのです。プロが挙って使っていたポジフィルム(スライドフィルム)でも同じ事で、ポジを1コマ切ってマウント(スライドは厚紙で挟むでしょ?)に挟むと周囲が有無なく切られます。私の場合は、仕事で写真複写やポジのデュープ(フィルムの複写の事)も行いますので、そうなると100%に視野率と言うのが逆に災いして、目視で予めその切られる部分を計算して写す必要があり、非常に面倒で使いにくいものになるのです。
では実際にどれくらいの視野率になってしまうかと言うと、大体92%位になります。つまりフィルムカメラの場合は周囲8%分は切られます。ウソだと思うなら試しにフィルムカメラで撮影して35mmマウントに挟んでみると分かります。結構切られますから…。
で、私が選んだF801の視野率は92%なのです。つまりファインダーで撮影した景色のほぼそのままが写真やスライドになるという訳です。ニコンと言うメーカーは、こういう所はあまり宣伝はしません。しかし、こういう細かい所にまで拘っている辺りが、カメラマニアに好まれる所なのでしょう。
ちなみにAE-1PやT90は94%で、たった2%なのですが実際に複写系では使いにくかったです。
ここで勘違いしてはいけないのは、視野率というのはあくまで実際にフィルムに写る景色のファインダー内に見える範囲を率で表わしたものです。実際には視野率92%でも、フィルムには見えていない周囲の8%分も写っています。
ちなみに当時、AFで席捲していたα7000は既にあり、動標撮影に活躍していましたので候補から外しました。
操作系に関しては慣れます。はっきり言ってほぼ機械式のF2から電子式のF801というのは慣れが要りましたが、当時私も若かった事もあり、1週間ほどで慣れました。
つまり、1週間後には私にとってF801は「良いカメラ」となったわけです。
しかし今は、フィルムで撮影してもデジタルデータにして仕上がってくる時代です。そうなると92%の視野率は少し狭い印象がありますので、私は今は紙焼き写真にする場合はF801、デジタルデータにする場合はデジタル用のレンズも使えて視野率100%のF5を使っています。でも、どちらもほぼ出番はありませんけど…(笑)。
 
「何かおススメの良いカメラはありませんか?」
 
と私は結構聞かれる事が多いです。デジタルになった今もニコンを使っていますが、それを見て「ニコンが良いですか?」と二つ目によく言われます。でも、私にとっては「良いカメラ」でも、その方にとっては「良くないカメラ」かも知れません。それはメーカーイメージであったり、価格であったり、レンズであったり、操作性であったり、機能であったり…。
私は職業カメラマンだった事もあって、機能を重視して選ぶ傾向が強い方です。性格もひねくれているので「宣伝文句には必ず誇張がある」と疑ってかかり、この目で見るまで信じません。買ってから「その条件では出来ない」では私的には話にならないからです。
しかし普通にカメラが欲しいという方にとって、そこまでカメラを穿った見方をしてまで選ぶ必要があるかと言うと、私はノーだと思います。多くは実際にカメラを持った時のフィーリング=所有欲を満たす事が大事なんじゃないかと思います。機能云々は恐らくその次でしょう。

数あるデジタルカメラで、私的に「良いカメラ」だなぁ…と思い続けているのはニコンのD3xと言うカメラです。良いカメラと言うよりも私の中では伝説的になりつつあり「孤高のカメラ」と呼ぶに相応しい機材となっています。今となっては3~4世代昔のデジタルカメラで性能的には現在の中級機にも負けているような古いカメラですが、いつかは手にしてみたい名機です。
しかし人によっては、なんで今更あんな動画機能もない古いカメラ…。とか言われるでしょうね。そう、だから「良いカメラ」って、人と時代によって、クルクルと変わるものなんですね。

知らなかったさくらんぼのシステム。

前回に続いて植木のお話。
 
私は基本的には地面に直接植え込む、いわゆる地植えというのはやらない主義です。元々庭植え用の苗木であろうとなかろうと、何でもかんでも鉢植えorプランター植えにしてしまいます。何故かというと、都会の家育ちですので、広い庭など無い家である事と、無理くりに路地や玄関先に地植えにしよう物なら、年々巨大化して最終的に手が付けられなくなり、民法で言うところの「私権は公共の福祉に尊ぶ」という原則が守りきれなくなってしまうためだ。って言うのは大げさですが、とりあえず鉢に植えた植物を矮化剤なしでどこまで矮小的な株に育てられるかという所に、若干のロマンを感じているわけでして、なので基本は鉢植えな訳です。
でも実家には10号鉢の底を突き抜けて地面に根を張って毎年実を付けるようになった1.5m程の樹高のアーモンドの木があるんですけどね。あれ、どうすっかなぁ・・・。
 
で、前回の続き。
レモンの木がケビン・コスナーのウォーターワールドに出てきたような果樹になってくれる事を祈りつつ枝を紐でひっぱらかって樹勢を整えた訳ですが、その後、別用でホームセンターに出かけた際に、やはり嫌でも果樹の所へ足を運んでしまい、色々と見て回っておりました。柑橘類も結構種類が売られていてレモンの他に金柑、温州ミカン、別種のレモン、八朔など大きくなりそうな果樹苗もあります。ちなみにレモンよりもお手軽そうな金柑は家内の実家に大木があって、毎年わんさかと頂きますのでパスしました。
柑橘類の他にも、栗、柿、林檎、梨、ブルーベリー等の果樹の他、キウイ、ぶどうなど蔓性の物まで。基本どれもデカく育つやつですね。
ちなみにオリーブは一番多く売られているのですが、あれってなんであんなに高価なんでしょうかね?
基本的に植木は幹の太さに比例してお値段が上がってゆくんですが、オリーブって細くてショボい物でも平気で千円超えしてくるのでなかなか手が出ません。ちょっと良い枝振りの50cm位の物になると5千円位になるから不思議ですね。実がたわわになりそうな2m物になるともはや万越えですよ。でも、うちには3年ほど前に680円で買ってきたショボいオリーブが一鉢あるのですが、今は幹の太さが3cm程にもなって、8号鉢で順調に育っております。いつ実がなるのか知りませんけど、もう5千円くらいの株にはなってるかな。(*゜∀゜*)
 
閑話休題。
で、そんな感じでホームセンターを見て回っていて、ふと足が止まったのが「さくらんぼ」の樹木苗でした。概ね80cm位に幹が切ってあり、5号ポットに植えられて、多少の枝葉が生えた状態で所狭しと販売されていました。よく見ると品種も豊富で高級品の「佐藤錦」を筆頭に「紅秀峰」「高砂」「ナポレオン」「暖地サクランボ(暖地桜桃)」とあります。
苗の大きさからして、間違いなく地植えにして大きく育てて実がなるという果樹苗です。庭が無い私ごときが手を出してはいけない苗ですね。と自分納得したんだけど、傍らに写真が数枚張ってあって、そこには盆栽のような大きさなのに結構な実がなっているサクランボの木の姿が・・・。
「なんと、こんな風にも育てられるのか。すげぇな・・・。」
と感心しつつもしばらく目の前の苗木を眺めていて私は思った。
 
「取り木とか枝を挿し木したら、小さく育てられるんじゃね?」
 
昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と申しますが、さくらんぼは間違いなく桜の仲間なので、取り木や挿し木と考えた瞬間に「馬鹿」になってしまうんですが、更に次の瞬間私は苗木を見て、
 
「枝葉の下端を少し残して、上を切れば小さな木になるんじゃね?」
 
はい、これで馬鹿決定です。(o゜∀゜o)
苗のお値段を見ると、紅秀峰だけが980円でそれ以外はなんと680円という激安価格です。ならば弁当箱程の木箱に入って4000円とかする「佐藤錦」を育てきれば、超お得じゃん!!
みたいな、休むに似たりのアホな考えで、できるだけ下の方に枝葉のある株を選定して幹高30cm位にまで切り詰められそうな「佐藤錦」を購入しました。枝を切りますので、切り口に塗る殺菌剤も同時購入ですが、この薬の方が高かったですわ。
 
で、その佐藤錦を手術により上前をハネて小型化?させた物がこれです。
ファイル 118-1.jpg
盆栽にはほど遠いですが、鉢植えで育てますので、ここはやはり小さい事は正義ですね。
で、切った上側は、そのまま捨てるのは勿体ないので、一縷の望みをかけて挿し木を試みております。多分無理だろうけど・・・。
それからちょっと日が経ちますが、殺菌剤が効いているようで、今のところ切り口が腐ってくる事もなく順調に生育しているようです。
 
ところがよ。
 
この「佐藤錦」。
って言うか、さくらんぼって根本的な話として冷涼な土地で無ければ育たないらしいですね・・・。よくよく考えたらさくらんぼの産地って山形とか寒い所ですもんね・・・。さくらんぼはこの後、葉を落として7℃以下の低温に1200~1600時間晒されないと、休眠から覚めて開花、結実しないとの事。さらにネットには内陸では山梨県辺りが栽培地の南限・・・。
 
「あかんやん・・・。」(O_O)
 
なんとまぁ・・・。単純に桜の仲間なので実がなるソメイヨシノ位にしか考えておりませんでした。(;゜ロ゜)
実際にどこをググっても、関東以西では気温や定温期間の関係で難しいと書かれています。そうだったのか・・・。orz
 
さらに・・・、
 
仮に育ったとしても、サクランボというのはそれ一本で結実はせず、しかも相性の良い異品種の受粉樹が必要らしいのです。
ちなみに佐藤錦の良交配種は「紅秀峰」「高砂」が最高で「ナポレオン」も可だそうです。
では「紅秀峰」となると今度は「佐藤錦」「ナポレオン」です。
さらに高砂だと「紅秀峰」「佐藤錦」
となっています。特に優秀な受粉種は「紅秀峰」で相手選ばずという感じです。話題の有望品種でもあるそうで、なるほどだから980円と少し高かったんですね。ヤラシイなぁ。でも、JRAの優秀な種馬も種付権はそれなりに高額ですから当然と言えば当然なのでしょうね(と、妙な納得をしてしまう私)。
結実は4年目の木からで、気候条件的に考えても厳しいですね。しかしまぁ、さくらんぼってこのようなシステムになっていたとは、ど素人には気がつくめぇ・・・って話ですね。

私のスケベ心が原因で、ちょっと可哀想な事をした佐藤錦ですが、これはこれでどこまで育つ物か育ててみたいと思います。
結実はしなくとも、花が数房でも咲いてくれれば万々歳ですね。
それにしてもなんでそんな寒冷地の品種を大阪で売るんでしょうかね?
 
ここからは余談ですが、さくらんぼには受粉樹が不要な品種もあって、それが上記にこっそり書いていた「暖地さくらんぼ(暖地桜桃)」という品種だそうです。大陸から導入されたさくらんぼ果樹のようですが、単木で結実し、なおかつその名の通り関東以西の温暖地でも育つという特性を持っていて、しかも耐性が高く丈夫で育てやすい。さくらんぼの家庭栽培ではこの「暖地桜桃」一択と言って良いほどですね。なのでこの暖地桜桃の苗も一つ追加購入しました。こちらは上前をハネず、7号の駄温鉢に植えて矮小化しながら育ててみたいと思います。
さらに・・・、同じく暖地桜桃で15cm程度の盆栽用苗木が980円で販売されていましたので、こちらも購入して夢の盆栽サイズで実がたわわ・・・を目指したいと思います。
ちなみに、もしかしたら店で見た写真は、この暖地桜桃の盆栽か矮小株を撮った物だったのかも・・・。
ハラヒレハレホレー。

ハーブと観葉植物が好きだったんですけど・・・。

今日もちょっとカメラの事は脇に置いといて、植物栽培のお話。

私は観葉植物とハーブが好きで、春先にちょこっと買ってきては育てているのですが、冬越しがなかなか難しくて、大抵その年の冬に枯らしていたのですが、水やりと根を守るテクニックを身に付けてからは、特に観葉植物は5年、6年と育てられるようになってきました。エアプランツもすでに買って4年間、順調に育ってくれております。
ハーブの方は、最近料理をするようになった事もあって、それまでは興味半分で育てていたカレープラント等の実用性の無い品種をやめて、バジルやタイム、セージ等を育ててハーブソルト等を作ったりしております。ハーブは熱帯性の観葉植物の育て方とはちょっと違っていて、水が好きだったり乾燥好みだったり痩せ土が良かったり、個々に好む生育環境があるので、これはこれで追求のしがいがあるのが面白いところです。
 
そんなある日、ネットでケビン・コスナー主演の「ウォーターワールド」という映画(あそこでもアトラクションになっている超有名映画ですね)の冒頭で、ケビン・コスナー演じる主人公が、船の上で自分のお●っこを濾過機を通して出てきた水?を一飲みし、ついでうがいをしたその水を、何やらレモンのような実が5~6個付いた柑橘樹木の植木に与えている場面があるのですが、私はその柑橘樹木にビビビと来てしまったんですね(笑)。
陸が無いと言う映画の設定上、実のなる植物は特に貴重品扱いという感じなのですが、思わずビデオを静止して見てみると、葉が三つ葉なので三つ葉オレンジかカラタチのように見えましたが、実がまだ青いのでよく分かりませんでした。結局その実は主人公が海に潜っている間に泥ボーに盗まれて、主人公が食べる事は無かったのですが、私がビビビと来たのはその木の姿でした。
樹高は小さく50cm位でしょうか。盆栽のように太くうねった幹に小枝が茂っていて、立派な実が6個ほどもなっているのです。
さすがに映画の小道具ですので、植木の果樹は作り物だと思うのですが、実際にそのような矮小樹木に、レモンのような大きな実がいくつもなる品種があるのかググってみると、なんとそのままレモンがそんな感じで育つ事が分かりました。レモンなら近所のホームセンターでも普通に売っている果樹です。映画のように三つ葉ではありませんが、お手頃な価格で売られている事もあって実に面白そうです。
 
そんなわけで、後日ホームセンターの園芸コーナーを訪れてみると、本当に普通にありました。映画のようなサイズで6~7個レモンの実がぶら下がっている鉢植えが。

「ほんまにあるし・・・。」

と、思わず笑いが込み上げてくるのを我慢しながら、幾つかある鉢植えを物色するように見ると、何と実付きのレモン果樹は税込3千円程もします。まじっすか。
さすがに「おもしろそう・・・」という気分だけで買うには躊躇してしまうお値段なので、これはちょっと思案六歩だなと、他を見て歩くと、別の場所にもレモンの木が置いてあり、こちらも同じくらいの大きさですが実がありません。ちょっと寂しい感じがしましたが、お値段が何と780円の2割引となっています。実が無いだけでこれ程までに値段差が生じるのかと疑問に思いましたが、そんな事などお構いなしに、私はすでにその2割引を購入しておりました。ちなみにこれが私の初の果樹でございます。
 
百均で買った8号鉢に配合土を作って植え替えて、ちょっと盆栽っぽい容姿になる事を期待してひもで枝が横方向に行くように誘引し、それっぽく仕立て直した780円の2割引レモン果樹がこれです。
ファイル 117-1.jpg ファイル 117-2.jpg
どうでしょうか。この樹形で育ってくれたらかっこいいんですけどねぇ・・・。笑
取り敢えず、果樹というのは初めてなので、育て方をググりながら大事にしたいと思います。まぁ、実がなったらラッキーと言う事で。

この後、ちょっとこの手の話題が続くと思います。

結構色々と追い買いしてしまいました。

撮影を休止している間に、今持っている撮影機材で足りないなぁ…と思っていた物を結構色々と追い買いしていしまいましたので、日記なのでちょっと書いとこうと思います。
 
殆ど衝動で買ったというNikon D610ですが、以前にも申し上げた通り恥ずかしながらフルサイズのカメラに対応するレンズが15mm、50mm、90mmの単焦点が3本しかない状態でしたので、中古市場で18000円前後と、大変お求めやすい価格になっていた標準域の便利ズームであるNikonの純正24-120mmを買いました。もちろん現行品の物ではなく旧製品のF3.5-5.6 VRの方です。
現行品はF4通しでナノクリ仕様となり、お値段も中古ながら5万円を下る事がないほどに高級感と自信満々のお値段でございまして、私のような貧乏性の人間にはとても食指が伸びない商品となっております。
という訳で、今まで50mm単をフタ代わりにしていましたが、新しく24-120mmがD610のフタとなりました。
ちなみに、現行品がどんな写りで何物なのかも知りませんので、比較のしようがないのですが、私的にはこのレンズで充分な写りを提供してくれている気分になっております。
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そりゃあナノクリのF4通しの方が新しい事も手伝って素晴らしい写りをするのかも知れませんが、今の写真は殆どがスマホやパソコンで見るので、細かい所までこだわる気がないですわ。フィルム時代よりも手軽に綺麗に写りますしね。何よりも24-120mmという範囲が有難いです。24-85mmみたいなのもあったんですが、お値段を度外視してもやっぱり120mmまで引っ張れるのは便利です。長は短を兼ねると言った所でしょうか。メインのD500でもF2.8レンズを差し置いて18-300mmが一軍ズラしていますからねぇ。こだわりの撮影でもない限りは、スナップ中心なら便利ズームはやっぱり便利です。
 
もう一つが、前々から気になっていたNikon1 V1。
元々はデジスコ用に使っていたP6000の後継としてNikon1 J1を10-30mm F3.5-5.6付きで確か18000円位で購入したのですが、Nikon1ともなってくると、デジスコから外せばそれなりの撮影もこなせてしまうカメラでもありますので、結構脇差し的なカメラとして持ち歩くこともあったんですが、やはりファインダーがないのは私的には撮りにくかった。特にFT1を付けて超望遠レンズを付けたりすると、ファインダーがないJ1は、ほとんど使い物になりませんでした。で、以前から気になっていたNikon1 V1がいよいよ中古市場で1万円を切るお値打ちとなってきましたので、8000円程で購入いたしました。慣れない電子ファインダーですが、これでFT1も浮かばれると言う物ですし、ファインダー付きなので機動力も上がりました。おまけにバッテリーも一眼レフと共通なので有難いですね。という訳で、Nikon1 V1はJ1以上にデジスコに、さらに脇差しカメラとして活躍してもらう事にします。ちなみにV2やV3にしなかったのは、デジスコ用のブラケットがV1にしか対応していなかったからです。基本はデジスコ用ですから、これで充分です。
が、実はもう一点気になっていたのが、このNikon1用の10-30mmのレンズ。もちろん20mm辺りを中心にデジスコにも使用できるのですが、なんせF値が暗い。いつもISOを思いきり上げないといけませんので、デジスコで楽しい撮影ができないんですよね。で、これまた前々から気になっていた18.5mm F1.8という単焦点。これはもうデジスコ用でしょっていう位にデジスコと相性の良い単焦点レンズなんですが、とにかく高いんですよね。今も新品だと25000~30000円位で売っています。Nikon1はディスコンになりましたけど、レンズは今も高いんですよね~。(´;ω;`)
しかし、広いネットの中古市場。探せば何とかあるもので、某●天の中古出品店(某ソ●マップ)で7000円そこそこの(綺麗な?)B品がありました。少し貯まっていたポイントを使うと6千円台となりましたので、即買いしてしまいました。私のNikon1は二台ともホワイトなのですが、さすがに贅沢は言えず、ホワイトに近いシルバーだったのでこれもまたヨシとしました。
 
という訳で、フルサイズ用の標準ズームと、Nikon1 V1とその単焦点レンズを購入という事で、これでまたD610やデジスコレンズなど眠っていた機材がフィールドに復活しそうです。
この秋は撮影フィールドにひとり復活祭りをしたいな。

不幸中の幸いという事。

先日、知人からレギュラーで使っているノートパソコンに水がかかってしまい、電源が入らなくなったので見てほしい、できればデータを抜いて欲しいと頼まれ、私にどうにかできるもんかな?等と思いつつ件のノートパソコンを預かりに行った。
ノートパソコンは15inchワイドモニターのそこそこ良いやつのようだった。持ち回って家と仕事場の両方で使っているのだという…。
早速手に取って見てみると、ノートパソコンの右側が何やら水あめのようにネチネチした液体が染みつくように纏わりついているのに気が付いた。「水がかかった」と聞いていたのだが、もしかしてと思い再度聞いてみると…

「生姜の甘露煮とノートパソコンを袋に入れて移動した所、甘露煮の汁が漏れ出していて、ノートパソコンの右側に鞄の中で浸かっていた。」

というのが正確な状況だった。
聞いてたのと、全然状況が違うやんけ…。(-_-;)

よく見てみると、ノートパソコンの右側2cm位の範囲で、ねっちょりとシロップのようなお汁が纏わりついているのが確認できた。
それにしても、ノートパソコンと甘露煮を一緒の鞄に入れて運ぶとは、ガサツにもほどがある話だ。
「電源が入らない」との事だったので、とりあえず電源ボタンを押してみると、確かに電源が入らない…ように素人目には見えるだろう。しかし実際は電源は入っており、画面の表示がされていないように見えた。が、更によく見ると薄っすらと表示もされている。
つまりはPC本体内へのシロップの浸潤によって基盤に何らかの影響をし、液晶モニターのバックライトが付かなくなっている状態だった。しかしよく見ると液晶の右下に丸く液体の浸潤痕があったので、どうやら液晶ユニットがやられているのは確定的だった。
これで修理代は4~5万確定だ。
PC本体側の右側にはオーディオ端子とUSB端子があり、その手前にはDVD光学ドライブがある。光学ドライブもシロップが入り込んでいるが、ネジ一本で外れるしパソコン本体機能には影響しない。問題はUSBとオーディオ端子の部分だが、15inchノートパソコンの場合は、大抵はこの分はメイン基板とは別になっている…事が多い。つまりシロップは入り込んでいるが、これまた本体機能には影響しないと割り切ることにした(笑)。
残るご希望のデータのサルベージだが、本体が生きているようなので、ハードディスクの抜き取りを止めてPC本体の左側にあるD-Sub15の端子に別のデスクトップPCのモニターをつなげて改めてノートパソコンを起動した所、思った通りパソコンは正常に起動し、デスクトップのモニターにも表示された。マウスもキーボードも正常に動作するので、本体左側にあるUSB端子に外付けHDDを接続して難なくデータのサルベージを完了することができた。

とりあえず、頼まれた事はできたのだが、できればノートパソコンの中身がどうなっているかを見て、修理ができるものかどうかを判定してほしいと追加で頼まれてしまった…。
先述の通り液晶モニターがヤラレてしまっているので、これだけでも4~5万するよと言ったが、まだ新しパソコンなので買うより安いなら修理したいというのだ。気持ちは分からないでもなかったので、今度は預かって自宅でバラして本体内を吟味してみる事にした。
が、その前に事務所の24時間稼働させているサーバーが、電源故障でダウンしている事を思い出し、まずはサクッとこちらから直そうという事で、サーバーを机の上に出して、使い古しだったが動く電源ユニットに取り換えた。サーバーのスイッチを入れると動き出したので、アイスコーヒーでも入れながら暫く様子を見て、何事もなかったので電源を落とし、サーバーを棚に戻して再び電源を入れて復旧させた。このサーバーが動くと、自宅のメディアPCとのVPN接続も復旧するので、自宅のPCの遠隔操作や、録画したテレビ番組等も事務所で見る事ができるようになるのだ。(^^)

さて、サーバーが復旧して、事務所に活気が戻ったところで、預かってきたノートパソコンを早速バラしてみる。
本体裏面のパネルが一体になっているモデルなので、ネジを全部外してパカっと外すと、パソコンの内部が露になる。当然右側はシロップでネチネチ…だが、幸いにも当初から思っていた通り、オーディオとUSBの右側基盤はメイン基板とは別だった。
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しかし、見ての通り泡を吹く程に酸性のシロップにやられてしまっている。この基盤は丸ごと交換になるだろう。その上に見える黒いスピーカーはシロップが付いてはいるが、洗浄剤で吹けば問題はなさそうだ。メイン基板から伸びている平ケーブルは2本とも端子がシロップ浸潤でアウト。
DVD光学ドライブも当然アウトなので交換となるだろう。
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後は液晶モニター部との接合部、写真で確認できるようにべっとりとシロップが付いているが、これも洗浄剤で除去すれば大丈夫だ。本体側はUSB、オーディオ基盤と光学ドライブの交換で解決しそうである。シロップに浸かったのがパソコンの左側であったのが不幸中の幸いであったと言えるケースだ。

しかし…

一般的に液体、水没系の修理はメーカーはやりたがらない。なぜなら万一水没個所の見落としが基板上にあった場合、最悪は発煙、発火を起こす可能性があるからだ。これが単なる故障とは違うところであり厄介なところなのである。このノートパソコンも修理見積に出すと、内部部品全交換または「修理不可」で戻ってくる可能性が高い。
それでも使いたい!無駄にしたくない!という場合は、光学ドライブを交換し、基盤、スピーカー、、平ケーブルを除去して液晶モニターのユニットもヒンジから取り外してしまい本体だけの状態にして、デスクトップ用のモニターにD-Sub15端子で接続してやれば、デスクトップPCのようにはなるが、使い続ける事は可能である。

さて、どのように説明しようか…。

等と思案六歩していると、何だか焦げ臭いにおいが鼻についたので、思わず咄嗟にノートパソコンの電源を抜いてバッテリーを取り外した。
「考えてたそばから、いきなり発火かいな…。こりゃ延命も無理だな。」
等と結論を出した所で、もう一杯コーヒーを飲もうと部屋を出たところ………!!

「なんと、煙が廊下に立ち込めているではないか!!」

隣の居間にまで煙が立ち込めて、よく見ると今まで作業していた私の部屋の天井にも煙が立ち込めていたのだ!!
何だか焦げ臭かったのは、ノートパソコンではなかったのである!!

電気が漏電し、基盤が焦げる独特の臭気だったので原因は、先刻電源を取り換えたサーバーであるとすぐに分かったので、慌ててコンセントを引っこ抜いた。
幸いにも火は出ていなかったが、コンデンサーが溶けた煙の臭いは独特でクサい。換気扇を回して各部屋の窓、玄関を全開にして煙と臭気を追い出した。

煙が抜けて、臭いも落ち着いたところで、再びサーバーを机の上に引っ張り出して中身を見てみた所…。
どうやら原因はホコリで4pinコネクターの中でショートしてそのまま焦げ落ち、ショートのショックで電源内部もショートを起こし、コンデンサーが溶融して発煙に至ったようだった。
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使い古しの電源ユニットという事もあって、電源を交換したのちにしばらく様子を見ていたが、やはり数分間では結果は出ないと勉強させられた出来事だった。それにしても発煙経験はこれで2度目だが、いづれも4pinコネクターのショートが原因だった。さらに4pinコネクターがPCケース内部の金属部分に触れていて、電源ONと同時に電源がお亡くなりになってしまった事もある。4pinコネクターは、パソコンではもはや過去の遺物となりつつあるものだが、電源ユニットには今もって3つ4つ付いているのが現状だ。とかくトラブルとなりやすいイメージが昔からあるが、これで確信に変わった。接続しない4pinコネクターはカバーをするか絶縁しておくのが良い。
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発火がなかったのでサーバー本体内は軽症で済んだが、メイン基板のメモリ取り付け部の一部が焦げて溶けてしまっていたので、こんな事もあろうかと当時買っておいた予備のメイン基板(古いけど新品!)に取り換えて、電源ユニットも新調し、今は何事もなかったかのように復旧しております。
それにしてもアセりました。火事にならなくてよかった…。
これこそが、不幸中の幸いってやつですよね…。(-_-;)

今は撮影を休止しています。

何度も言っておりますが、梅雨入りから彼岸花の頃までは、私は撮影を休止しております。が、今は別の事情ができまして、撮影活動を休止しております。その証拠に、今年は花火の撮影も行けておりません・・・。今年は行けるかなぁって感じです。
 
そんな真夏日が続く中、プランターで育てていた6株のスイートバジルが育ってくれて、なんと今季三度目の収穫をする事ができました。
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ちなみにハーブの栽培は10年ほど前からちょこちょことやっていたのですが、育ててみた物の料理をするわけでもなく、ポプリにするわけでも無く、使い方も分からず、という感じだったので、育っては切って捨てて、枯れて終わり・・・を繰り返しておりました。勿体ないですねー。まぁ適当にやってるから冬越しなんてした事もないんですけどね・・・。
しかし、余りにもったいので取り敢えず乾燥させてみた所、特にバジルは結構お料理に使える事を知り、収穫したら乾燥バジルを作るというパターンにハマってしまいました。それが今回で三度目というわけです。
 
バジルは摘心と言って、苗からにゅっと伸びてきた芽が30cm程に育ったところで一旦切り戻す感じで2、3節摘むと、その両脇から二本の芽が出てきます。つまり摘心をすると収穫量が倍々式に増えてゆくという面白いハーブだったりします。
摘心をするとしないとでは、秋に枯れるまでの間に収穫できる量が断然違ってきます。が、摘心を三度ほど繰り返すと、残念な事に葉が小ぶりになってきます。これは摘心をした枝よりも太い脇枝が生えてくる事がないからですが、私の今回の収穫も写真ではわかりにくいですが、二度の摘心をして三度目の収穫ですので、葉が小ぶりになっていました。なので、今回は株をリセットするように思い切り切り戻しました。一か八かなんですが、上手くいくとまだ二度くらいは収穫できるかなと考えています。
バジルはとにかく日光と水が大好きです。これがセージやローズマリー、タイムなどの乾燥好きなハーブと違うところです。ハーブの栽培は水好きか乾燥好きか、日光好きか日陰好きかでプランターを分けた方が良いです。私の知識はまだまだ狭いですが、何となく基本はハーブは乾燥好きです。なので水好きを知っていれば良いと思います。バジル、ステビアは水好きだと思います。私はバジルとステビアには一日2~3回の水やりをしています。とにかくプランターや鉢の土を乾かさない事が大事なようです。もちろん肥やしも緩効性肥料をばらまいて、週に1~2度液肥をやっています。
あと、ナメクジの食害に遭いやすい植物ですので、プランターに植えた場合は、その直後にナメクジの誘殺剤を株の周囲に撒いておきましょう。地獄絵図を見る事になりますが1~2晩で殲ナメクジ軍団を殲滅できます。後は夜に見て、たまに来る単発のナメクジを捕殺すればOKです。あと、最大の敵はヨトウムシですね。私はまだ食害に遭った事が無いのですが夜になると地中から出てきて大量に食害するようですのであっという間に丸坊主にされてしまうようです。農薬が手軽ですがそれをやるとオーガニックにならないので、ヨトウムシも夜中の見回りで地道に捕殺するしかないです。順調に育っていたのに葉の食害跡も無く枯死した場合は、土中にカナブンの幼虫(=ネキリムシ)が大量にいる可能性があります。奴らにマリーゴールド等の忌避植物の効果はありません。この場合は土をマルッと変えてしまう対策が必要になります。ゴロゴロ出てきますからあの手の虫に弱い方は要注意です。小さな穴と糞の痕跡がある場合は、葉の裏側に糸を張った小さな芋虫が住み着いている可能性大です。大した害にはなりませんが鬱陶しい事山の如しですので、丁寧に葉裏を見て切り取るか収穫時に排除します。
ちなみに芋虫やネキリムシを捕獲した場合は、完全に殺してしまいましょう。慈悲の心を持って、生かしたまま少し離れた所に捨てても彼らは100m位の距離なら戻ってきます。特にヨトウムシは夜中に餌を求めて結構移動しますので厄介なのです。彼らの餌を求める根性とハナを侮っていると、ハーブが丸坊主にされてしまいますよ~。
 
というわけで、今回収穫したバジルですが、ジェノベーゼにしようかと思ったのですが、他の材料(松の実やニンニクなど)が皆無だったのと、そうこうするうちにしんなりしてきましたので、結局乾燥させる事にしました。
実家の強烈な西日の当たる部屋の窓際で三日間干したバジルがこれです。
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ボウルいっぱいのバジルも、水分を失うとこの程度の量になります。香りを多く残すコツは、水洗いを緩く早く終わらせる事です。バジルは水は好きですが溺死状態は嫌いなのです。水につけて放置しているとどんどん香りが飛んでしまいますので要注意です。
乾燥には電子レンジを使う方法もありますが、自然乾燥との違いはズバリ香りです。色はレンジの方が綺麗な緑なのですが、香りがだいぶ消し飛んでしまうようです。一方自然乾燥は色こそ淡くなりますが香りがダントツで残っています。ちなみに私は二度目の収穫時に梅雨時と言う事もあって電子レンジを使ったのですが、なんとキッチンペーパーから火が出た事があり、それ以来使っていません。
早くできる分、高温になり過ぎて危険な感じがしますし、香りもダントツですので、できれば天日干しをお勧めします。
天日干しを三日間ほどすると、触った感じでパリパリになります。一見完成のように見えますが、まだ水分が残っています。自然乾燥でもレンジでも、完全に水分を除去する事は難しいです。試しに4、5枚取って乳鉢で擦ってみれば分かります。湿気のせいで葉が上手く粉になってゆかないと思います。かといって四日以上天日干しすると、今度は香りが逃げてゆきますので、この状態にまでなったらとりあえず瓶に入れ、乾燥剤(百均で売っている食品用)を入れて蓋をして一週間ほど置くと完全にパリパリになります。これでやっとホールが完成です。私は少し大きめの瓶に入れて乾燥剤を2つ入れています。
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後は料理の際に手で砕くなり、乳鉢で擦って粉末にするなりして使用します。
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完全に水分が飛んでくれていますと、シャリシャリと砕けて簡単に粉末にできます。私はかなり粗めと、少し粗めと、粉末という具合になった時点で別の瓶に入れて、実際のお料理に適当に使い分けで使用しています。
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多少の手間はかかりますが、お料理にバジルをかけるだけで、平凡な料理もちょっと高級な雰囲気が漂うお料理に化けますので、一度お試ししてみてください。
あと、セージ、タイム、ローズマリー、オレガノなどの粉末をブレンドして岩塩と混ぜますと、ハーブソルトになります。これは本当に魔法の塩です。何にでも使えますので、よかったら挑戦してみてくださいな。

ダーウィンの進化論よりも納得な話。

今回はちょっとカメラ談義から離れて、地球の科学のお話を書き記したいと思います。話題はダーウィンの進化論です。早い話が人間って言うのは長い年月をかけてサルから進化して今の人間という生き物になったという、私世代の場合は小学生の理科で習ったお話です。
しかし、以前からファーブルなど、このダーウィンが提唱する進化論を否定する生物研究者がいましたが、近年になって否定する科学者や論者が俄に増えてきました。かくして「大多数の常識」として論ぜられるダーウィンの進化論肯定派と「少数の非常識者」として見られる事が多い進化論否定派が、事あるごとに意見を対立させている訳でありますが・・・。
ちなみに私的には、ダーウィンの進化論はとても科学的論理的であり、説得力は感じるものの決定打に欠ける印象があります。一方で否定派の意見は行き着く所「神の創造」とか「宇宙人の入植」とかの話になって非科学的な要素が強く、聞けば聞く程うさん臭い話になってゆくので眉唾物の域を出ません。なぜこうなってしまうのかと言うと、要するに下記の事があるからだと思います。
 
1)ダーウィンの進化論は俗に言われている進化論では無い。
進化って言うと、最初は微細なアメーバみたいな生き物から、次第に細胞分裂して小型の魚類になり、生存域を水際に移して、地上に出て・・・って言う感じで種の保存の本能から、環境に合わせるように突然変異や変化して今の生物になっていったという概念がありますが、ダーウィンは実はそんな事一切言っていません。環境に適合できなかった生物は淘汰され、適合できた生物だけが生き残り、今の地球上の生物が残っていった。つまり現在の地球上の生物は環境による淘汰から勝ち残っていった生物なのだという事です。つまり進化論と言うよりも淘汰論なんですね。突然変異というのは、ある日突然見かけが違う生き物が生まれてくる事ですが、この場合親の生物よりも退化する事が知られています。ダーウィンもその事は踏まえていたので、生物的に足し算をする形で次第に「進化」したという論は説いていません。これ、結構勘違いしている人、多いと思います。だって昔の教科書は思いっきり足し算的「進化」論で教えていましたからね。ダーウィンが説いたのは実は淘汰という生物種の引き算なんです。淘汰(引き算)されて、生き残った生物達こそが進化した結果の姿であるという論です。ここ大事だよ~(笑)。

2)現在の生物の殆どが10~20万年前に地上に現れている。
ネットの記事を引用させて戴くと、
「10万種以上の生物種のDNAと、アメリカ政府の遺伝子データバンクにある500万以上のDNAの断片を徹底的に調査した結果、人を含む9割以上の生物は、10~20万年前に出現していると言う点と、殆どの生物間に進化を示す類似点や中間種が存在しなかったという調査結果だった。」
実はこれが進化論否定派の最大の論拠となっている訳ですね。まぁタイムマシンに乗って行って見てきた訳ではないのですが、今の殆どの生物が、それぞれ独立した生物種として20万年前から地上にポっと出しているという調査結果はとてもセンセーショナルですよね。言い換えれば、恐竜を含むそれ以前に生きていた生物達の殆どは死滅し、全然違う生態慣習を持った生物が降って湧いたかの如く出現しているという話です。中間種が存在しませんので、サルはサル、ゴリラはゴリラ、ヒトはヒトです。この結果だけを踏まえると、確かに「神が地上に新しい生物を創造したもうた」とか「宇宙人が地上に新しい生物を入植させた」というぶっ飛んだ話に結び付くのも分かるような気がします。一方で、いきなり創造論を言うから宗教的、非科学的だと揶揄されてしまうのが残念なんですね。

とまぁ、こんな感じで整理すると、1)を見ても2)を見ても出だしは良いけど、最終的にはどっちも決定打に欠けたうさん臭い話に収斂してしまうのが私の印象。少なくとも体毛が無かったから毛が生えたとか言う「足し算式進化論」はダーウィンも論じていない論外の話という事になります(ここ大事)。

しかし、
ダーウィンが環境淘汰による引き算(種の絶滅)による生き残りを進化としたならば1)と2)はある意味通じる所があると思うのです。それは2)の異種生物間の「中間種が存在しない」という点です。分かり易く言うとライオンとヒョウの交雑種をレオポンと呼んでいますが、このレオポンが別の何かと交雑してより環境に適合した強い種である「ネオレオポン(仮称)」という独自種になり、ライオン、ヒョウ、レオポンは淘汰されて自然絶滅し、ネオレオポンだけが生き残って今に至るとします。そうすると中間種はレオポンです。しかしネオレオポンのDNAからは、このレオポンのDNAが見つからないと言う訳ですね。だからネオレオポンはライオンとヒョウが交雑した祖先を持たない独自種という事になる訳です。足し算進化ならネオレオポンのDNA内にレオポンもライオンもヒョウもいるはずです。しかしいない・・・と言う事は淘汰に勝ち残ってきた独自種という事になる訳です。
ここで疑問が生じます。

ではダーウィンは大元の真祖生物はなんとしたのか?

私の知る限りでは、ダーウィンはここははっきりとは言っていないように思います。バクテリアや単細胞生物が出発点だとしたら、それこそ20万年という時間では短すぎますし、何よりもそれ以前に生きていた恐竜という存在から現代の哺乳類への変化過程に無理がありすぎます。第一恐竜は小惑星の衝突で地上から死滅しているのです。人類と恐竜がクロスしていた時代があったという一説もありますが、どれを採用しても「淘汰論」「進化論」その物の理論に証左が皆無になり破綻してしまいます(恐竜から哺乳類への中間種が一切見つかっていない)=ダーウィンの進化論を否定してしまうという皮肉な結果になります。。
結局彼は現代の生物が存在する事に於ける一説を科学者として論じたのだと私は解しています。それを中途半端な近代の科学が進化論を盲信する余り、独自の味付け(足し算進化論がそれですね)をして、世に広めていった結果が「ダーウィンの進化論」なのだと私は解しています。
 
では結局、何が真実なのか?
 
そんな事私には分かりませんし、理解もできません。
しかし、21世紀の技術をして導き出された先のDNA解析の結果が正しい物だと捉えるなら、間違いなく10~20万年前に今の生物達は今と同じ姿をして地上に降って湧いた事になる訳です。これはダーウィンの進化論は通用しません。ダーウィン自身も一番の高等生物である「人間(ホモ・サピエンス)」だけは、進化論に合致しない生物であると言っています。つまり今の「人間」に進化するには時間が短すぎると言う訳ですね。確かに下等生物の場合は可能かも知れないけど知的な「文化」や「文明」を持った「人間」は、進化してきたと言うには、かなり特異な生物だと思いますし、淘汰論と照合すると、他の野生動物に較べて肉体的に余りにひ弱すぎる人間は、地球の気候変動などで知恵を使って繁栄する間もなく淘汰されて死滅していると思いますし、そうで無くとも今のような万物の霊長という地位をこの短期間では獲得し得ていないと思うのです。

なので、この手の談話で私的に一番納得できた話は・・・
「人間だけが、地球に運び込まれた生物である」
という論です。

なんだよ、結局お前も「宇宙人」論者か・・・。

と、言われても仕方ありませんね。しかし我々人類も他の星の生物から見たら「宇宙人」です。この広い宇宙に私たち人類と同じ姿見をした生物がいないという論拠はありません。むしろ「宇宙人はいる」という科学者の方が多いでしょう。地球にしか生物はいないと考える方がナンセンスだからです。(それが今も地球に来ているかは別問題)
でも、なぜ一番納得できたのかという点は書かせて頂きたい。
 
ふと周囲を見渡すと、人間だけが地球上の生物で一番特殊な姿形をしていませんか?
 
ヒトを除く全ての霊長類、哺乳類には体毛が豊富で二足歩行する生物などいません。鳥類も羽毛を持っています。
それを自然の道具として、彼らは地球の寒暖を難なく乗り越えてしまいます。優れた嗅覚も爪も力も特殊能力もあり、独自の方法で食料を調達し、生き抜く力が備わっています。水生生物も両生類も、昆虫までもが厳しい地球の環境に生き抜いてゆけるような姿、能力を備えています。つまり数多の淘汰をくぐり抜けてきたと思わせるだけの身体や能力を生まれながらにして持っている訳です。
しかし、我々人間だけが何の特殊能力も無く、服を着なければ夏は火傷で冬は凍傷を起こしてしまう身体です。地球は24時間周期であるにも拘わらず人間の体内周期は25時間です。簡単に生活が昼夜逆転したり不眠症になったりします。
ずっと直立していると気分が悪くなり、肩こりや腰痛も発症します。寝ている間もしょっちゅう寝返りをしなければうっ血してしまいます。これらは地球の重力に適合していない証拠ではないか。
そこら辺にある物を他の動物のように食べると、すぐに細菌感染して病気になったり死亡したりします。これは地球の微生物やウイルスに適応できていない証拠ではないか。
赤ん坊の生まれ方も、余りに無防備で未成熟で弱く、放って置いたら赤ん坊は何も行動を起こす事なく間違いなく死んでしまいます。これは本能的に自己防衛機能が備わっていない証拠ではないか。
更に、かなりの高確率で細胞が暴走して「癌」を発症する。そもそも地球環境が人間に合っていない証拠ではないか・・・。
ところが、なぜか地球で唯一「知恵と言葉」というインテリジェンスな能力だけが漠然とあるんですね。しかしその能力が発揮されるのも生後数年してからです。これらを考えると、この地球上で「淘汰」をくぐり抜けてきた生物とはほど遠い存在である気がするのは私だけでしょうか?

そこから類推すると、ヒトがヒトでたり得た本当の故郷(星)は、地球よりも重力が弱く、体毛など不要な程に気候の変化も少なく穏やかで、容易に食べ物も調達できる所(星)だったのではないかという論説が、私には一番納得できたのです。ヒトはそんな星から何らかの理由があって移住してきたのか、あるいは一部が連れてこられたのか、はたまたその星では邪魔な存在になって追い出されてきたのか・・・。
私的には、今もって同じ人類同士で縄張り争いや喧嘩をしている姿を見ていると、その星ではあまりに粗暴で共存ができない生物種であるので、更に高等な生物によって淘汰され、一部マシな個体のみが「追い出される形でとりあえず似たような環境の地球と言う星に捨てられた」という説が一番信じられますけどね。

さて、皆様は、如何様に考えられますでしょうか?