記事一覧

週明けに関東へ。その後は・・・?

写真仲間からお誘いを戴き、週明けから関東へ撮影行に行く事になっています。撮影の舞台は猿島という横須賀沖(?)に浮かぶ無人の島なのだそうな。その名の通り、無人の島に放った、たくさんの猿がいてるのかと思い、すごくテンションが上がったのも束の間、そう言う名前と言うだけで、実際は観光に特化した島らしい。どんな被写体があるのかと、そう言うのには結構詳しいはずの東京にいる従兄弟に聞いてみた所、「サルジマ?なにそれ?」という、生暖かいお返事が即座に帰ってきた。相模原に実家があり、都内に暮らし、高卒からメディア関連の仕事一筋に従事し、首都圏歴48年を誇る奴でさえ、その存在を知らないという、ある意味、透明感溢れるその島の実態とは、一体どのような物なのだろうか・・・?
少なくとも、ネイチャーフォトを専らとするカメラマンには、かなり縁遠い舞台であるらしき事は、ネット情報から朧気にではあるが掴む事ができた。

正直困った・・・。
ちなみに、今回の撮影行に参加する人数は私を含めて5人。そのうち3人は、つい最近まで、とあるプロカメラマンさんの元で写真をみっちり学んでおられた方達だ。一方私は流派もステージも違う他流の者。同行の皆さんのように、シャッターを切れるかどうかは推して知るべしであります。(笑)

一体何を撮るか。行くからには「写真」と呼べるテーマ性のある物を撮りたい・・・。等と春日三球・照代の地下鉄漫才のように眠れず考える事幾星霜。ホント、来週出発というこの段に来て、要約その構想が私の中で固まった。
固まったけど、私の思うような情景があるかどうかは未知数なので、ちょっとどうなるか分からないんだけど、そこで私の師匠の言葉が頭をよぎる・・・

「偶然で撮るのはアマチュア。必然で撮るのがプロ。」

改めて思うんですが、やっぱ私の師匠って鬼だよなって、今更になって思う次第であります。クソ師匠め、そんなん知るか、とりあえず固まったから、それでいいのだ。いいんだよ。たぶん・・・。

ソラリゼーションのやり方。

ソラリゼーションという写真の仕上げ技法があります。デジタルから始めた人は「なにそれ?」状態かも知れませんが、そう言う人も含めて実は一度は目にしているかも知れませんね。
デジタル加工として、フォトショップでどうやるんだろう?と思ってネットを引いてみると、今も暗室モグラな方がいて、どうやるのか質問している方を結構見掛けました。で、もっと驚いたのがちゃんとした手順を教えている方が皆無だった事。たぶん皆理屈抜きでフィーリングでソラリの写真を作っていたんでしょうな。学生さんらしいですわ。笑
ちなみにソラリゼーションというのは、こういう写真の事です。
カラーはややこしいので白黒で説明します。ってか、カラーの手現設備なんて一般が持ってないし。持ってないしな。持ってないだろ。

元写真はこれです。
ファイル 36-1.jpg

で、ソラリがこれ。
ファイル 36-2.jpg

ちなみにこのソラリの効果はフォトショップの「フィルタ」→「表現手法」→「ソラリゼーション」で作った物です。
ネガ反転?とか思った人は、修行が浅いね~。よく見るとネガ反転ではなく、本来白になるべきところが黒くなってネガ反転したかのように見えているのだ。だからソラリとネガ反転は全然違う。
ちなみに、フォトショップのソラリはクリック一発で出来るんだけど、調整が効かないし、なんかやっぱり違う。フォトショップのトーンカーブで尻の絵を描いて作ったソラリはもっと違う。
やはりマン・レイが作ったとされる本物のソラリゼーションは、白黒フィルムを使って暗室で実現しなければ見る事はできない。と思う。

では実際に暗室モグラさんが対象になってしまいますが、平均的なソラリゼーションの作り方を以下に記します。
暗室で焼き付けの手順ですよ~。撮影の手順じゃないよ~。

①印画紙を1枚出して、他は箱に入れてなおしてしまいましょう。出しっ放しだと後でほえ面をかく事になるぞ。印画紙は温冷どちらでもOKです。硬さは2号か3号がいいでしょうな。手始めはキャビネ辺りがやりやすいでしょう。
②普通に露光してください。ぴか!っとな。
③すぐに現像液に浸けずに焼き付け台からイーゼルをどかして、ネガを外しておき、更に4つ切りサイズ位までレンズ位置を上げておきましょう。ピントは合わさなくて良いです。
④焼き付けた印画紙を現像液に浸けます。加温機がある場合は、あまり高温じゃない方がいいよ。
⑤画像が20~30%程度出てきた所で、ザバっと印画紙の端を画像にかからないように「手で持って」現像液から上げ、急いで焼き付け台に持って行きます。その為に片付けていたんですねー。手でむんずと持ったり、竹ピンで印画紙の真ん中を挟んで持って行くなよ!
⑥そのまま再び露光します。ネガを外しているので明るい光を印画紙全体に当てます。この時、どれくらい当てるかは焼き付け機にもよるし光量にもよるし、経験則になります。
⑦どんどん黒くなりますが、「ここ!」と思った所で露光を止めて再び急いで現像液に浸します。
⑧知っての通りセーフライトは黒が強調されるので、真っ黒の写真を天ぷらしているみたいですねーー。でも大丈夫だよ。多分。知らんけど。笑
⑨現像しきったかなって所で、停止、定着に持って行きます。
⑩定着が終り、しっかり水洗いしたら乾燥して出来上がりですね。

いかがでしょうか?
パソコンの前のみんなは、うまく出来たかな?
これがちゃんとしたソラリゼーションの作り方です。
ネットでよく言われている「現像液に入れたまんま、部屋の電気をつける」というやり方は、電灯の位置が良い位置にあれば別ですが、大抵は露光ムラになって失敗したり、バットの底で現像ムラになったりして、変な仕上がりになる事があります。懐中電灯もだめです。焼き付け機で再露光するのが一番綺麗に仕上がります。
なお、⑤と⑥の時間が一番シビアです。どう言う仕上がりになるかはここ次第です。また、どう言う仕上がりにするかを意図出来ないのもソラリゼーションの特徴ですね。何枚も作って自信作を作出してください。ちなみに何枚かやっていると、印画紙が勿体なく思えてくるぞ~。笑

ちなみに・・・
ネガでソラリゼーションを行う方法もありますが、マン・レイもサバティエも恐らくその方法ではソラリは作っていないです。まぁ、カメラにフィルムを入れて露光するのも、焼き付け機にネガを挟んで印画紙に焼き付けるのも、現像する理屈は同じなのでソラリを作るのは可能ですが、フィルムでやるのは難易度が高いと言うよりも、少々無理がありますよ。そんなええ格好しぃな事をしなくても、焼き付けでやった方がいいです。
フィルムでやりたいという暇な人は、ソラリなんてけち臭い事言わずに、是非ネガ反転の方法を考えて暇つぶししてくださいな。白黒のポジを作るんですよ~。あ、現像したネガをもう一度撮影とか言わないでね。プロジェクターにかけた時に、フィルムのベース色が出ちゃいますので紫色のポジになっちゃいますよ。笑
さて、どうしようか?
焼き付ける?CP焼き機使って反転フィルムに焼き付ける?そんな事したら細かい所がつぶれちゃうよ?その前に反転フィルムは白黒二値のフィルムだよ。
ええ格好しぃしている余裕が無くなったかな?がんばれーー。
これは暇つぶしにならないから答えは据え置きでーす。

ちなみにカラーのソラリもあります。
赤ソラリとか青ソラリとか原色によるソラリが可能です。プロラボならやってくれますね。

20年前から頭にこびり付いている事。そして・・・。

1995年1月17日という日付を聞いてピンと来る人は、もう段々減ってきているのかも知れない。毎年、慰霊祭めいた事が地元を中心に行われているが、その意識も、記憶も、人々の脳裏から段々と薄くなってきている・・・ような気がするのは、なにも私だけではあるまい。そう、人は忘れる生き物なのだ。言い方を変えれば、段々と忘れる事ができるから、生きてゆける生き物だと言える。しかし、忘れるという事は時に「風化」という言葉で表す人がいる。何とも寂しい言葉だ。人の死が、本当の意味での死を迎える時というのは、その死が人々の記憶から消え、風化してしまった時なのだろう。

冒頭の20年前の日付は、死者6402人(兵庫県資料)を出した阪神・淡路大震災の起きた日付である。ちなみに正確な名称は「兵庫県南部地震(M7.2)」と言います。時間は午前5時46分。
私の自宅は北摂の京都の隣ではあったが、あの時は起きていましたので地震の終始を知っており、今も目を閉じると生々しくあの強烈な揺れを思い出す事が出来ます。体感的には永遠と感じる程に長い猛烈な揺れ、家なり、家具の足踏み・・・そして、停電による荒れた部屋での真っ暗闇。
時間が時間だったので、間もなくして外が白じんでは来たが、それ以上に恐怖で家内は蒼白、私も次の行動がしばらく取れなかった記憶がある。その後の断続的な余震にも恐怖を覚えて、徹夜であったにもかかわらず私は到底眠る事は出来なかった。
夜も完全に明けた数時間後、ようやく電気が復旧してテレビを見る事が出来た。後に私のいた地域は震度5であったと知った。(当時は震度5弱とか強といった表現はなかった)

テレビの向こうは始めは落ち着いた爽やかな朝をレポートするような番組内容であった。字幕で時々「兵庫県南部で強い地震がありました」程度の速報が流れるだけで、死者もしばらくして「1名」とだけ出た。
「あれだけの揺れなのに、意外と人は死なないんだな。日本の建築ってスゴいな。」
程度に私も思う程だった。それ位テレビの向こうは落ち着いていた。
ところが、時間が経つに連れて様相が変わって来る。朝の番組は軒並み臨時ニュースに切り替わり、死者数が5名、10名と発表の度に増え始めた。そして、ヘリからの映像がテレビに映し出された・・・。

私は息をのんだ。

その映像には、間違いなく阪神高速・神戸線の橋脚が数百メートルに渡って倒れており、辛うじて崩れずに済んだ路上では、トラックや乗用車が折り重なるように行き詰まっている情景が映し出されていた。

これは・・・映画?現実?

しばらく、嘘っぽい映像でも見るような気分で見ていたが、次に映し出された海側からの神戸市街地の、あちらこちらから猛烈な火の手が上がっている全景を見て、これは現実なのだとハッと我に返った記憶がある。

私が今も生々しく憶えている当時の震災の状況はこんな感じである。
その後は、刻一刻とテレビに映し出される死者の増えてゆく数字と、一向に鎮火しない火災の様子をテレビは伝えていた訳ですが、そんな騒ぎも少し収まった数日後の事。いつものようにテレビを付けると現場での様子を伝えるテレビクルー達が映す映像が流されていた。ビルの2階辺りからねじ切れるように崩れた数々のビルや、あり得ない程にひん曲がった舗道の手すり、燃え落ちた家屋など見るに堪えない程の悲惨な状況だった。しかし、そんな現場を映し出すテレビクルーに、地元のおっさんらしき人物がこのような事を言ったのだ。

「お前ら、人の不幸を映すんが、そんなにおもろいんか。あんまりふざけてんな・・・。」

という辺りで映像がカットされたのだが、確かに私は後ろの方から指を差し近寄りながらそう言うおっさんがいた事を見逃さなかった。その後いざこざがあったのかどうかは知らないが、それがなぜか今も強烈に印象に残っているのである。

あの頃は今のようにデジカメなどはまだ世間一般には流通はしていなかったのでカメラはフィルムが主体で、大体ああいった現場の撮影というのは「報道」という畑の人間がやる物という常識が通っていた。私もそれには疑問をあまり持たなかった人間である。

ところが・・・

20年経った今、あれから特にあの震災を追究せず、普通に暮らしてきた私は、一体どれほどの阪神大震災の写真を見たのだろうと、ここへ来てふと思った。
ならば、北淡町にある震災記念公園に行くなり、ネットで引くなり、当時の記録を図書館で掘るなりすればよろしいではないかと言う人がいるだろう。それでも構わないです。べつに・・・。その代わりそうやった所で私が今見る写真は、報道の公的な検閲をくぐった、言わばオブラートに包まれた写真でしかないわけだ。しかし当時はデジカメもなければインターネットというインフラも無かった時代だからしょうが無い事ではあるが・・・。
一方、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震(M9.0))はと言うと、実はこちらの方が私の記憶の風化には時間が掛かると思う。
それは記憶が新しいからだ。と言いたい人もいるかも知れませんが違います。
見た写真の内容が違うからです。
報道が流す写真や映像は、人が死ぬ瞬間の物や、死人の姿は極力出しません。しかし東日本大震災ではインターネットやデジカメ、カメラ付き携帯やスマホが普及していたので、個人レベルで撮影された生々しい写真が一時的であるにしろ、ネットに大量に出回ったお陰で、テレビでは不都合な映像や写真を見る事が出来たからだ。瓦礫と化した自宅の中で音もなく死んでいる老人や、津波で犠牲になり入り江に大量に流れ溜まっている遺体など、全てが強烈な物だった。これをテレビで流せとは言わないが、少なくとも私はそれらを見たお陰で、東北の震災は強烈に印象が残り、復興の願いにも熱が入る結果となったし、当然の事ながら阪神大震災よりも風化には時間がかかる結果となるだろう。

一体何が言いたいのか?

と言われそうなので、そろそろ言いましょう。
私は、次に大地震や噴火などがあった時は、絶対にカメラを持って現場の撮影に行こうと決めたという事です。結局最終的に後世に遺る物は写真しかないんですよ。わかるかい?この事実。
そんなのは報道に任せておけと、言う輩もいるとは思うが、そう思う人は家に大人しくいてください。私は行きます。絶対に。白馬の震災も、東北の震災も、なぜ行かなかったのか後悔しております。それは興味ではなく、私はカメラを持ったらカメラマンだから。私に出来る事は写真を撮り、後世に遺す事。カメラマンにはそれしかできません。

「お前ら、人の不幸を映すんが、そんなにおもろいんか。あんまりふざけてんなよ!」

等と詰め寄ってくる地元の人間がいたら私は迷わず、

「私は私に出来る事を今やっている。私相手に憂さ晴らししている暇があったら、あんたはあんたで、今自分に出来る事をやれ。」

と言うでしょう。
阪神大震災の時にテレビに流れたあのおっさんが強烈に印象付いていたのは、実はこのセリフを言ってやりたいが為だったのだと、20年経って要約気付いた。単なる違和感だったのだ。
20年経った今、皮肉な事に、震災に関係した人達は有志を中心に当時の写真を集めたり、資料を引っ張り出したりして、新世代の人達にも見てもらい、風化させぬようにと努力している。しかし、あるのは検閲されまくった報道写真がほとんどなのだろう。そこに真実の真実はない・・・。

何度も言うが、報道に任せておけと言う輩は、家に大人しくしていなさい。現場が混乱するから行くべきで無いという輩も家にいなさい。既に混乱していますから・・・。
私は今度は行きますよ。その出来事を風化させない為に・・・。
ただし、現場へ行けるのは、自己責任ではなく「自己完結能力」のある人間に限られる事を断っておこう。くどいようだがこれは、自己責任とは全く違う物です。
あ、「自己完結型人間」っていうのと勘違いもしないように、よろしく頼むよ。
なぁーんて事を言うと、こういう人間には、世間様は一体どういう感情を持つのだろうか?
ちなみに震災後、うりゃ!!とばかりにクルマ飛ばして現地入りしようとする一般ピーポーを、現場が混乱するからという理由で、行くな!やめろ!と喚いていた人間に対して、私は非常に違和感を持っていた人間の一人であります。そう喚いていた人間は、結局何をしたのだろうか?募金ですか?結局、人に喚く程の事はしていないっちゅう事じゃないっすかね。知った風な事を言って、ねじ曲がった民意を形成してんじゃねーよ。未だに仮設住宅で暮らす人達の事なんて、もはやお前らの頭の中にはないんじゃねーのか?

日記のタイトル

この日記、過去2回消失しているんですが、どちらにも日記のタイトルがあったと思うんですが、なぜか思い出せないんですよね~。
ちなみに現在のタイトルになっている「My Diary」というのと、その下に書かれている「日々の生活を・・・」というのは、このCGIのデフォルトのタイトルと文言だ。
というわけで、日記のタイトルを懲りずにまた考えて付けようと思って、実は何時間か前から考えているんだけど、どうにも思い浮かびませんな。前はなんて付けてたっけなぁ・・・?って言うのばかりが気になるんですよね~。
って言うか、撮影がオフシーズンになってゆくにつれて、日記の内容も写真関係から外れてゆくので、読み手も注意が必要ですよ。なんちゃって。笑
ところで、ネットを徘徊していて、日記のタイトルでやたらと目に付くのが「徒然・・・」とか「つれづれ・・・」って言うのが付いた日記。もうそれしかないんですか?って言う位多いっす。ウソだと思うならこれどうぞ・・・。

https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=&oq=%e5%be%92%e7%84%b6%e6%97%a5%e8%a8%98&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGHP_jaJP516JP516&q=%e5%be%92%e7%84%b6%e6%97%a5%e8%a8%98&gs_l=hp...0i7i30l5.0.0.0.3075...........0.QaDzCfTLI6g

Google検索で20ページ以上めくってもまだ出てくるってどんだけなんだよ。発想が乏しすぎるんじゃねぇか?と、また世間様に悪態をついてはいけませんな。こいつら全員味方に付けたら市会議員くらいにはなれるんじゃないかって位に多数派だからな。もう徒然党だな。こいつら日々する事が無くて退屈なんだってさ。その割りには日記が書ける程変化に富んだ生活してるんだねぇ・・・。あ、いや、だから悪態をついてはいけないんだって。笑

でもさ、
私なら、やたら多いなぁ・・・って思った時点で変えるけどね。例え私が一番だった!という事実があったにせよ、そこに居座らずに絶対に変えますね。携帯電話(ガラケー)も、今までずーっと店員に「一番の不人気色をください」で、押し通してきた私よ。だから過去に持った携帯の色は初物の淡いブルーだったり、オレンジ色っぽかったり、紫色だったり・・・。(^^;
けど、お陰で公共の場で隣近所の方と全く同じ携帯で同じ色の方とは出くわした記憶が無い。隣近所の人と同じ色の携帯で、同じ内蔵の着信音を設定していた時の事を想像すると、超キモいっすね。多分その場で携帯をたたき割りたくなると思う。少なくともその場で速攻でお金かかってもマイナーな着信音をダウンロードしてきて設定しますな。

そんなこたぁどうでも良いのよ。要は「徒然」と言う言葉を使う奴らよ。あぁ、いや、そうじゃなくて、この日記のタイトルよ。
なんかもう、どうでも良くなってきたからまた後日考えるかぁ。
って、据え置くと、タイトルがデフォルトなので「徒然」並に多かったりして・・・面倒なので検索はかけんとこうっと・・・。笑

ところでさ、
ネットを徘徊していて、たまぁにブログなどで興味を惹く記事を見つけたりして読み入ってしまう事があるんですが、これまたよく見掛ける残念賞で、せっかく言いたい事が良く分かる、とても内容の濃い事が書いてあるのに、なぜかやたらとミスタイプが多いもの。これって気になりだすとやたらと目に付いてしまって、内容がもはや頭に入ってこなくなるんだよね~。
多分ブログの書き込み欄に、思いついた内容の事を記憶が薄れないうちに書き込もうとして、焦りまくりでキーと格闘するもんだからミスタイプが連発しちゃうんだろうけど、とりあえずエディタか何かを使って下打ちしてから、改めて自分で校正してコピペで掲載まで持って行った方が良いと思います。お節介かも知れませんが、私は実は過去に2度程、そういうブログのコメント欄に「ミスタイプが多いですね。w」って言う書き込みをして警鐘を鳴らしましたが、過去2回とも検閲で管理人さんにはねられてコメントは掲載される事なく、またミスタイプだらけの日記は改まる様子はありませんでした。あれはあれでそれなりにプライドを持って日記を付けてるんだなぁと感心はしたけど、その後はもうミスタイプばかりが気になって読む気が失せましたけどね。

で、
私的によく目に付くミスタイプ(誤字)のランキング1位は「確率」を「確立」と打っちゃってる人。大抵は内容も真面目なので余計にシリアス感が無くなってしまいます。「その確立は高くなると思います」とか、知恵袋系で真面目に回答なんかしているのを見掛けると若干笑いが込み上げてきます。あ、今出た回答というのもよく「解答」と書いちゃってる方がいますよね。これも意味が違いますね~。あと、高等な話だけど「何かしてもらう」場合は「させて戴く」と書きます。「何かします」の場合は「させて頂く」であります。あと、「~ください」は「~下さい」とは実は書きません。平仮名でOKです。広告等ではまず書きませんね。書いている広告があったら、多分師匠に教わっていないバカコピー書きが書いたんだよ。あとさ、「おこずかい」とか「こんにちわ」とか、文面の上で書いて欲しくないんだよね。馬鹿に見えるし・・・。あ、また悪態を・・・。笑
じゃあ一つ試しに。「新潟県小千谷市」を一発変換で打ってみようぜ。え?できない?そもそも読み方が分からないって?勘弁してくれよ~。

今年は花期回りが早いので。

2年程前に葛城山のツツジを撮影に行ったのですが、それが5月17日になっていて丁度ピークだった。
今年は5月3日現在ですでに蕾が赤く膨らんでいるという状況で、もしかしてと思って白毫寺の九尺藤の情報を見てみると、ライトアップも4月29日から始めており、なんとすでに見頃になっているという事だった。
桜の花期が1週間程度早いと思っていたが、今現在では大体2週間程早まっているようですね。環境保護マニアはすぐに地球温暖化を持ち出すかも知れませんが、地球温暖化が問題だとはこれっぽっちも思っていない私はそんな風には思いません。ただ、前年がエルニーニョだったので、その続きからそういう年回りになっているだけだと思う。大体こういう年の夏は長い・・・。
花期が2週間早まるのと連動しているとは言わないんですが、私自身の撮影テンションの下がり方が、もう既に梅雨前位にまで下がっている・・・様な気がする。
とにかく撮影が面倒臭くなる。どんな写真を見せられても、あまりパッとした気分になれない。魚釣りとか別の趣味に力が入り出すと言った兆候が顕著に出てくるのさ。笑
福島から帰ってきた辺りから、そんな気分が支配的になってきたというか・・・もう、気分は休眠というか・・・。

今月も、有難い事にお誘いをいただいて連休明けの頃から白馬村へ行く事になっていますが、撮影のテンションがいまいち上がらないんだよね~。温泉三昧で終始しそうな雰囲気満々です。ただ、白馬村は皆が忘れてしまっているかも知れませんが、もの凄い地震の被害があった村でもあります。その爪痕が今も残っているなら、そう言うのはバシバシ撮影してきたいと思います。後世に残るのは写真のみです。これについてはまた詳しく私見を述べたいと思います。

月末には、首都圏は横須賀沖にポッカリと浮かぶ無人島「猿島」と言う所への撮影行にお誘いを戴いておりまして、有難い限りでございます。聞くと関西の友が島のように旧日本軍の砲塁などが残っているとの事ですが、友が島ほど寂しくはなく、結構レジャーランド化されているような雰囲気です。で、そんな所へ私が行って、一体何を撮りましょうや・・・?と、既に思案六歩をしている所であります。それ考えると、また寝られなくなっちゃいますねぇ・・・。

桜も終りました。

5年程前から探し続けていた桜が、福島県田村市にある小沢の桜であると今年の初頭に分かり、その時から福島への桜の撮影行を決めていました。福島県は桜の数では奈良県に次ぐ第二位という程、桜の数が多い地域で特に三春町、田村市周辺にそれは集中するようだ。まぁ福島での撮影話は他に譲るとして、今回は私がいつも地元で追いかける桜吹雪について。
今年は地元北摂では桜の満開時期から終盤にかけて菜種梅雨の長雨に遭い、桜吹雪らしい桜吹雪を見る事は出来なかった。地域によってはそれっぽい物もあったようでネットでも散見される。長雨の時期と外れた所では見事な桜吹雪が見られた事だろう、それはそれで羨ましい限りだ。
桜が花びらを散らす兆候は、満開になった後、花の真ん中が濃い赤色に変色してくるところ。大体満開から4日~5日後位だろうか。この辺りから桜は花びらを散らし始める。この時期を見逃さないようにすれば大体は見事な桜吹雪をカメラに収める事が出来る。
ファイル 32-1.jpg

たま~にネットや展覧会で見掛けるが、もう枝に花が5割程度しか残っていない桜を背景に花吹雪を撮影している方がおられるが、申し訳ないが私の言う桜吹雪はそう言うのでは無いんです。満開の状態から突風などを受けて一斉に花びらが舞う様を「桜吹雪」と言っていますので、そこんとこシクヨロで。
だから、花びらが舞い始めて、いいとこ2日目位までが桜吹雪かな。だから兆候だけ掴んでいても撮影は難しいのだ。花がオンボロになった桜の花吹雪は、私に言わせると時期を逃した残念賞なんですよ。とにかく花は満開(に見える)状態が必須です。
ファイル 32-2.jpg

それと天候。これは背景になる訳ですが、舞う花びらはとても小さいのでどん曇の空だと白on白になって空中の花びらが殆ど見えなくなって迫力が無くなってしまいます。こういう場合は空が入らない見下ろしで見られる桜(特に水際)を狙うと良いのですが、そう言う桜ってなかなかないんですよね~。とにかく青空がベスト。日光に花びらが光ってブルーバックだと舞い散る花びらがキラキラととても綺麗に写ります。
ファイル 32-3.jpg

上記の条件が揃うと、後は気まぐれに吹いてくる突風を待つばかりですね。これがなかなかもどかしいんですけどね~。
ちなみに常時ビュービュー風が吹き荒れると言うのは多分ダメです。私も経験有りですが、この場合は弱い花びらが片っ端から飛んで行くのでワッとした花吹雪にはなりません。たくさんの花びらが一斉に舞い散る為には突風が必要なんです。
ファイル 32-4.jpg

最後に、一本桜の花吹雪は説得力が弱くなると思います。1本の桜から舞い散る花びらの数は大した数ではありませんし、花びらは本当に小さいので、その桜と同じ距離で舞われてもホコリ程度にしか見えません。つまり、風上にたくさんの桜林や並木があるとか、早咲きの桜が散らした花びらが地面にたくさん落ちていて、地吹雪のように舞い上がるような状況が必要なんです。そうすると、花びらはカメラマンにも当たってくる程の近距離からターゲットの一本桜に至るまで満遍なく舞い散る状況になりますので、とても豪華な桜吹雪になります。この状況に出くわしたのは、私は埼玉の丸墓山古墳しかありません。しかしこれ程条件が揃うと、桜吹雪はとても印象深い物になります。
通常は、桜トンネルや桜並木、桜林を狙うのが良いと思います。幾つかの条件が重なる必要はありますが、桜トンネルなんかだと、そこにある桜だけで大量の花びらが散りますので、充分迫力のある写真になると思います。ただ、撮ってる人も多いけどね~。

以上のような条件が揃う年回りは余りありません。なにせ日本は3日に1回は雨が降る土地柄ですし、桜は花期がとても短いからです。だから桜吹雪は地元のごく近い場所で狙い続けるのが宜しいと思います。っていうか、遠征して撮れるなんて奇跡に近いですね。そんな物を狙うようなバカは私一人で充分です。(^^;
ファイル 32-5.jpg

今年は空中に舞う桜吹雪は撮れませんでしたので、水面に浮かぶ花びらバックのインチキ桜吹雪の写真を挟み込んでみました。笑
1枚目の桜吹雪は、新潟の糸魚川付近で撮影した物です。地面の花びらと並木から舞う花びらで多少豪華になっています。

ちょいと小耳に挟んだが・・・?

胡散臭い噂レベルの話だが、火のない処に煙は立たずと言う事で一応話題にしましょうか。
ニコン様がフルサイズセンサー搭載のミラーレス機を開発中で、すでに試写レベルまで進んでいるとかで、2015年末~2016年初頭にかけて発売するのだとかしないのだとか・・・。
これがもし本当の話だったとして、そのカメラがニコン様が一眼レフ機に置き換わる次世代向け一眼カメラとして真剣な仕様で発売するとしたならば、一眼と冠したカメラはついにミラーレス機への移行が一気に進む可能性があり、当然の事ながらキヤノンも大船に乗り遅れまいと追従し、新しい世代ステージでのカメラ戦国時代の幕開けになるだろう。
以前にも言ったが、一眼レフ機はクルマで言うとガソリン車だ。多少の新技術は今後もあるかも知れないが、誤差のような数値の燃費向上であったり、電子制御プログラムであったりと、まぁ大した技術開発は期待出来るステージではないと思われる。が、ミラーレス機はクルマで言うとハイブリットや燃料電池などの所謂省燃費車に相当する。つまり各メーカー毎にイノベーションを競い合い、独自の突出した特徴を持った機能を提供出来る余地が大いにあるのだ。
カメラをミラーレス化する事によって得られるメリットは絶大だ。まず、必ずと言って良い程話題にされる連写性能が、秒間30コマや60コマと言った途方もない高速化を実現出来る。この超高速連写に追従出来るAE、AF性能は各メーカーの技術開発に余地を残す。
シャッターを完全に電子化出来るので、ミラーやシャッターショックなどがない無音・無振動撮影が可能になり、1500mm以上の超超望遠撮影が可能になる。(一眼レフ機では、私個人の感覚では1500mm迄が限度である。)これは野生動物の撮影に、彼らにストレスを与える事なく自然な姿を無理なく撮影できる事を意味する。また、星景撮影の分野でも無振動撮影は恩恵に寄与するはずだ。
更にレンズを含めて小型軽量化が可能になる。これは今までプロとバカしか持ち込む事が出来なかった3000m級の高山や、ジャングルの果てのような場所にも持って行ける可能性が高まる事を意味する。たまに伝え聞く山岳カメラマンの滑落死亡事故も若干減るのではないかと期待出来る。
そして、これはマニアな話なので私には分かりかねるが、ミラーレス化するとセンサーの高画素化が可能になるらしい。今般キヤノンがちょっと無理っぽく出した5000万画素機も、難なく誰もが使えるカメラとして製作が出来る・・・らしいのじゃ!これは理屈と数字大好きのマニアな方の話なので私は知らんけど・・・。笑
私的には裏面照射型センサーとか、曲面センサーの方が現実感があるんだけどなぁ。
ただ、一番ネックになりそうなのがファインダーだ。
一眼レフ機にミラーが付いているのは、知っての通りレンズを通してダイレクトに撮影する予定の画角を覗き見ながら撮影が出来る光学ファインダー(OVF)の為だ。そのミラーがないとなると、レンズを通してダイレクトに光学的像を覗き見る事は事実上不可能という事になる。それでも実現したいとなると、それ程難しい事ではない。昔のレンズシャッターのカメラのように別窓を付けるか、ローライのカメラのように二眼式にすれば良いだけの事。しかし、前者は古臭く、後者は複雑な機構で大型化してしまうというしょうもないユーザーの指向が邪魔をするだろうからメーカーも躊躇するだろう。と言う事で登場するのが電子式ファインダー(EVF)だ。なんじゃそれは?となるかも知れないが、カメラをやっている人も、そうでない人もほぼ全員実は見ているファインダーです。
一番身近な例だと携帯電話で写真を撮る時ですね。カメラだとモニターを見る時、ここでいうEVFに一番近い物としてはホームビデオのファインダーだろう。要するに電気変換された画像を覗き見るファインダーの事だ。EVFは先述の通り電気変換後に情景を見るので、どうしても現実の情景とは時間的にズレが生じる。これが弱点だ。このEVFも各メーカーが開発を競うステージとなるだろう。

ざっと挙げただけでカメラ本体に関してだけでも、これだけ新境地を切り開いてゆく余地があるわけで、もはや頭打ちのジリ貧が待つばかりの一眼レフに体力を削っている場合ではない事が分かるだろう。
さて、ニコン様がそんな新境地を見させてくれるようなフルサイズミラーレスを開発しているとして、一番気になるのがマウントの仕様である。50年間ユーザーを裏切る事なく使い続けたFマウントにはそれ相応の評価を贈りたいが、さすがにやっぱりもう古い。
超高速AFやそれの伴う絞り等の動作などを考えるとFマウントはミラーレスでは捨てるべきで、全く新しい未来志向のマウントを採用して、レンズ資産を再構築してゆくのが良いだろう。変に気を遣ってFマウントに拘ると、逆にファンを逃がす事になる。短いフランジバックとフィルム機並みに自由度の高い撮影条件を練られる次世代マウントのレンズは、きっとファンも理解してくれるだろう。

ニコン様がここまでやると、さすがにキヤノンも追従してきます。来ないとおかしいです。でないといつまでもガソリン車を開発しているロートルメーカーに成り下がってしまうばかりでなく、次世代カメラ市場に於いてソニー、パナソニックなどミラーレスで先行するメーカーに技術的に追いつけなくなってしまうからですね。
今年末に、大きな船が出航するのかどうか、楽しみに待っていましょう。

今年は・・・。

桜は追い出すとキリが無い。自分のお気に入りの桜を見つけて、一点集中で足繁く通うのが良い。」と、昔教わった事がある。私もそう思う。日本は桜大国だ。春のその時期になると、ざっと見渡しただけでも桜の数は視界に嫌でも入ってくる程で、適当な街や村へ足を運んでも、その地の名桜が必ず存在するほど多い。
その桜も、毎年微妙に見頃の時期が変わり、天気や時間によっても写真映えがそれぞれで変わってくる。一点集中でも、何年か通わないと飽きる事がないほどだ。
しかし、
梅の花でサボりまくった今年は、その教えに反して少し桜を追ってみようと思う。舞台は・・・ちょっと内緒。
それにしてもとにかく多い。目的の桜へ到達する道中にも名桜が点在するし、それぞれに味わいがあるからつい欲張ってしまうが、今年は欲張るのだ。(^^;
しかし、あまりにもキリが無いので一定の2015年版の自分桜ルールを設ける事にした。

①一本桜である事。
②電線電柱が入ってこない事。
③ひっそりとしている事。
④桜プラス何かの添加物がある事。

こんなもんかな。
桜吹雪を条件に加えたい所だが、こればっかりは狙いようがないので除外だ。昨年の行田市遠征での桜吹雪は、まさに偶然の賜だった。あれに味をしめてはエラい事になってしまう。
とりあえず今年は一本桜を狙う。並木とか帯とかは提灯が下がっていたり花見客が騒いでいたりするし、大体どこで撮っても同じような物だし敬遠します。
電線電柱は基本ですね。
ネットで名桜を見ていると、これさえなければいいのになぁ~と言うシチュエーションの桜の多い事多い事。電線電柱が入ると一気に興ざめしちゃうんですよね~。
③のひっそり感は大事だと思う。できれば日本の原風景のような場所だと言う事無しですね。又兵衛桜や三春の滝桜といった完全に観光地化しているような桜は当然パスです。撮影は観光客にお任せします。
④が難しいけど一番大事かな。しかし、あんまり真似したくないのが星空とのマッチ。正直言うと、星が回っている写真って、何だか目が回るんだよね。だから私は最近はあまり撮らない。ネットの投稿サイトや草コンなんかの審査員はお好きなようだけど・・・。星が留まっているのはカッコいいけど、よく見ると月の写真と同じで天の川のあの方向の写真ばっかりなんだよね。合成丸出しになるのもなんか嫌だし・・・。それ以外のプラス要素があれば、面白いですね。やっぱ、桜吹雪かな・・・。

それと・・・
私は一つ考えを改める事にしました。
デジカメの場合、ネット投稿や自分のパソコンの壁紙とかにする事が多いし、額にしても定型サイズが多いので、カメラの画角を保つように努めておりましたが、この度、作品として写真を出す場合はその比率を守る事をやめます。つまり、自由な縦横サイズにするって事。よく考えたら自分の持っている発想やイメージを具現化するのに、なんでカメラメーカーが決めた比率に縛られないとあかんねん。あほちゃうか・・・って、思い至ったんですよ。そうしたら、自分のイメージに合った作品と呼べる写真が、要約出来るようになってきました。現代では、とかく余計な物が写りやすい。メーカーが勝手に自分の都合で考えたセンサーの比率なんかに縛られている事自体が馬鹿な事だった。これからはもっと自由な作品作りをしようと自戒したのでありました。

ファイル 30-1.jpg

今年はサボりまくり。

今年は北海道の遠征を遠慮させていただいた。でも正解だったと思う。今年の北海道の気象状況は異常の上に異常を被せたような有様だったからだ。鳥専にとって冬季の一番の撮影スポットとなる道東は、度重なる爆弾低気圧の襲来によって、撮影どころか生き死にを賭ける程の大荒れの天気で、昨年の苦い経験からか、道道や町道レベルは即座に通行禁止となり、移動すらままならない状況で、降雪も嵐レベルで羅臼町は2度にわたって孤立した。本来1月後半から3月に至っては、道東は雪はあまり降らないのだ。そうかと思えば、雪が降らなければいけない札幌や函館は、イマイチな降り具合で要するに降るべきところで降らず、降らなくて良い所で大荒れという訳の分からない状況だったようだ。当然飛行機も欠航が相次いだようで、ピーチ大好きの私は、ホントに行かなくて良かったと思う。
代わりに秋頃に伊豆沼でマガンの大群を撮ったりした訳ですが、早い話、それ以外には小千谷市の雪中気球の撮影以外で、写真らしい写真を全然撮っていないという・・・。(^^;
まぁ、仕事がたて込んでいたというのもありますが、梅なんて数える程しか撮っていません(笑)。
自慢じゃないが、今年はサボりまくってるぜって自分でも思うほどです。
そうこうするうちに桜が咲く季節。
昨年は彦根城のこんもり夜桜とか、高遠のコヒガンなど結構記憶に残る撮影をさせて頂いた訳ですが、今年はどうしましょう?
サボりまくっているので、せめて桜は撮らないとなぁ~なんて思う次第ですが、はてさて・・・?

どっこいしょとかけ声掛けて数年前から気になっている、あの地に咲く桜を撮影に行ってみようかな・・・?

距離は・・・片道730km。遠いな・・・。

FX機の場合と、DX機の場合。

一眼レフカメラを使い、超望遠を必要とする被写体を追い始めると、その憧れの存在として大口径単焦点レンズという存在が物欲として湧き出てくる。それらのレンズは各メーカーにおいてはハイエンドとされ、300mm/F2.8で50万円以上、400mm/F2.8では100万円以上、600mm/F4では150万円と言った具合に、中古の軽自動車なら2~3台買えるような高額な物になってくる。
これらレンズにはメーカーの威信をかけた技術の粋が盛り込まれ、その描写力は圧倒的だ。そりゃあこれだけの対価を払って手に入れるのだから、その性能は当たり前と言えば当たり前であるが、こういう物にもやはり弱点がある。

それは重さ。

そう、大口径単焦点は図体が大きい分だけ、重たいのである。
一番短い300mm/F2.8でも2.9kg、600mm/F4ともなると5kgを超える・・・。つまり、長時間の手持ち撮影は、私的には絶対に無理。っていうか首から提げているだけで中世ヨーロッパの拷問状態に見える。つまり、このレンズを使うには、必須アイテムとして三脚が必要になり、手荷物の重量が増えるだけでなく、咄嗟の被写体との遭遇時にも機動性に劣る結果になる。つまり決まり切った撮影には使えるが、室堂へ行ってライチョウやイワヒバリを撮影するというような場面には事実上使えない。実際に3000m級の山行に行くと分かるが、単体で3kgの撮影機材など持ち物としてまず考えられない。70-200mm/F2.8でさえも、現場を知っていれば持って行くには躊躇するはずだ。っていうか3000m級の山では一眼レフカメラを持っているだけで珍しい存在になる。私はDX機だがこれがフルサイズ機になってくると私でさえ

「カメラでか! この人ちょっとアレじゃね?」

って思ってしまう。まぁ、山小屋の周辺でゴソゴソするだけなら話は別だけど・・・。
一方で警戒心が薄いライチョウはともかくイワヒバリ等になると小さい上に警戒心が強いので、やはり長いレンズが欲しくなる。つまりは手持ち撮影が出来る軽くて長い撮影機材が恨めしい程に欲しくなる訳である。

まぁ、
3000m級の山の上の話はともかくとして、撮影機材が重くなると付随する機材が増えるだけでなく、咄嗟の撮影にも対応出来なくなるというデメリットがあることだけは知っておくと良い。

さて、ここで本題。
やっぱカメラはフルサイズだろ。ってなもんで、1台目のカメラとしてフルサイズを買ってしまった人が、野鳥なりの撮影に挑戦することになり、600mmの焦点距離が欲しいとなった場合どうなるか。これは300mmの焦点距離のレンズに2倍のテレコンバータを装着するか600mmの超望遠レンズを購入しなければならなくなる。結論から言ってしまうと前者の方法はズームレンズの場合は全くお奨め出来ない。2倍のテレコンは焦点距離が2倍になるというお得感もあるが、それ以外の部分も全て2倍になるという事実がある。具体的には300mmでF4.5だとするとテレコン装着で600mm/F9.0のレンズになると言うことだ。で、そのレンズの一番綺麗に写る絞り値がF8であるとするならば、テレコン装着時にはF16まで絞り込まないと、同じ描写にはならない。更に粒状感も2倍になるので撮影後の画像処理もそれなりに必要になってくるのだ。
この理屈から行くとサンニッパのレンズでも2倍テレコンを入れると600mm/F5.6となるものの、F5.6で最高描写だとすればF11まで絞る必要が理屈として出てくるのだ。ヨンニッパに2倍テレコンを入れれば800mm/F5.6になるが純粋なそれとは対等にはならないという理屈がここにあるのだ。だからロクヨンもハチゴローもその存在理由があるのだ。サンニッパは50万円以上するレンズで描写力も優れているので2倍テレコンを入れてF6.3辺りで撮影してもそれなりの描写をすると思われるが、はっきり言ってギリギリの所だと思われる。なお、ネットに小さい画像で掲載する分には全く問題は無いだろう。でも、50万円以上出してそれ・・・って、ちょっと悲しいですね。
と言うことはやっぱり最終的には100万円以上だして600mm/F4のレンズを購入するか、多少暗くても600mmがあるズームレンズを購入することになる訳だ。私にはがんばってくださいとしか言い様がない。DXのクロップモードを使えば換算1.5倍の焦点距離にはなるがそれでも400mmのレンズが必要となる。400mmのレンズ、どうぞヨンニッパを筆頭にお値段と種類をご自分でお調べください。そして、がんばってください。

しかしこれがDX機(APS-C機)だと、どうなるか・・・。
ニコンの新しい機種であるD7200で考えてみよう。D7100でもいいよ。この場合はマルっと300mmの単焦点なりズームレンズなりを買えばOKです。この2機種には1.3倍クロップモードが付いていてフルサイズから考えると換算2倍の焦点距離になる。300mmのレンズだと450mm。クロップで600mmになる。もっと言うとニコン様が最近出した300mm/F4のフレネルレンズをD7200に装着し1.3倍クロップモードにすると1500万画素のカメラに600mm/F4のレンズを装着したことになるのだ。重量はカメラとレンズで1.4kg程度。充分に手持ちでも振り回せるシステムである。しかも遠慮無しにレンズの一番美味しい絞り領域を使うことも出来るというオマケ付きだ。
要するに、DX機に力を注いでしまうと、収益性の低い機材で、こういう事が出来てしまうので、ニコン様はもう出来ればDX機の開発を推し進めたくないと言うのが本音なのだろうという勘ぐりをしてしまうのである。だって、大口径単焦点なんて必要なくなるし・・・。
しかし我々ユーザーからすれば、こういう領域でこそDX機の本領が発揮されるという物なのです。
私が、フルサイズにカメラに600mmだの800mmだのの大砲レンズを抱えてカワセミだの何だのを撮影している人を「凄い」と言いつつも、実は心の中では「××?」って思っているのは言うまでも無いです。回収の見込みもなく、行き着く先もない物に、ようやるわ・・・って言うのが正直な所。
でも、その訳の分からないブランド感をあおり立てて、DX機の性能を上げようとしないニコン様のやる気なさは批判されるべきであると思う。

私がなぜここまで軽量のシステムに拘るかというと、今までの経験の中で、大口径の方達を差し置いて、軽量システム(D7000+シグマ150-500mmズーム)の私だけが撮影出来たという事実が事実としてあるからだ。私は移動中も助手席なら膝の上、運転中なら助手席か後部のすぐに手に取れる場所にカメラを置いている。だから車を停止すればその数秒後にはシャッターを切れるのだ。しかしフルサイズ大口径組はそれが出来ない。
「私はいいから先に行け!!」
と言う声を掛けてくれる余裕もないので、しょうが無く結局私も撮影するのに気を遣ってモタモタするフリをする事もある。それで千載一遇の撮影チャンスをミスミス逃してあげた事もある。
はっきり言おう。デカいシステムを持った人間と撮影に行くと、私は迷惑なのである。

「どんな機材を使おうが、撮った物が勝者。」

と言うのは、こういう事だ。
千載一遇のチャンスを求める、或いは可能性のある撮影の場合は私は一人で行く事に決めている。でかい高額機材を持ち込んで悦に入っているカメラマンの皆さん。同行の人間が必ずしもうらやましがっていると言う訳では無い事を肝に銘じておきましょう。どちらかというと鬱陶しがっている可能性があり、気を遣わせている事も大いにしてあるのだ。サブカメラシステムを必ず持っているべし。