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ドラマ版デス・ノート・・・。

昔々に週刊少年ジャンプの特別読み切りで初めて読んだデス・ノート。その後、週刊少年ジャンプで連載化され、アニメ化されて、藤原竜也と松山ケンイチの共演で映画化され、この度テレビドラマ化されて週一で放映されている。
超有名な漫画作品ではあるが、これも時代の流れか、ドラマ版は私が知っている役者が殆どいないという・・・。(^^;

今更書くまでもないが、一応記しておくと、死神が暇つぶしで人間界に落としてみた自分のノートを主人公の八神月(やがみ・らいと)という大学生の青年が偶然に拾う。そのノートこそがデスノートと呼ばれる物で、以下のようなルールがある。

・顔を知った上で、名前を書き込めば、その人間は心臓麻痺で死ぬ。(顔の認識が必要なので、無知の同姓同名には影響しない)
・死因を書き込めば、そちらが優先されて死ぬ。
・一度書き込んだら消せない。

という感じ。
これを使ってその主人公は、目の前の悪人をデスノートで殺すのを皮切りに、世界中の有名な犯罪者を次々にノートに書き込んで殺し、デスノートを使って世界を変えようと目論む。いつしか民衆の間では「キラ」と呼ばれるようになり、崇拝する者までも現れ、一種のカリスマ的な存在になる。
一方で、世界中の警察が手をこまねいているのを尻目に、次々に心臓麻痺で死亡する重大犯罪者に不審を抱いた一人の探偵が既にキラの捜査に乗り出しており、冷徹で聡明な知能でトラップを仕掛け見事にキラが日本の関東圏にいる事を突き止める、その探偵がL(エル)という人物である。かくして、東京を舞台にデスノートを跨いで八神月と探偵Lの熾烈な頭脳戦の駆け引きが繰り広げられる・・・という感じの物語。続きが気になったら映画なり、ドラマなりで是非!!
って、なんで私が番宣してるんだよ・・・。(^^;

ドラマ版は原作を少し改編しているようで、オリジナルストーリーも組み込まれているようだ。レイ・ペンバーが殺される過程も少し違っていたし・・・。
ちなみにジャンプで初めてデスノートが登場した読み切り版では、主人公は学校のクラスのいじめっ子をはじめ、短絡的に周囲の人間の殆どをデスノートで殺してしまう・・・が、思い直してデスノートに書いた名前を消して、生き返らせるという物であった。そう、本編とは違って当初は24時間以内だったかな、名前を消せば生き返らせる事が出来たのだ。そのルールを本編ではなくした・・・という点が、物語をよりリアルでスリリングな物にしていると思われる。
また、世界的に有名な探偵と日本の警察がキラを殺人犯として逮捕しようと躍起になっている姿も印象的だ。

さて、
多くの方がこのデスノートにハマっていると思われるが、実際にこの主人公のような青年がデスノートを使って人を殺していたとして、その者を法廷で殺人の罪に問う事が出来るのかどうか・・・?
この疑問は、結構皆さん持っていると思うのだが、ネットを見て回ってみますと、意外に質問が少なく、また明確に答えられている回答がない・・・。私は別に弁護士では無いけど、答えは明確に出来る。

答えは、ノー。

Lと警察が八神月を逮捕、立件して書類送検し、デスノートを証拠にして検察が起訴したとしても、法廷は維持できない事はやる前から明白だ。
まず、デスノートの真偽を確かめる事が出来ない。=証拠能力がない。デスノートに証拠能力を持たせる為に、検察側がデスノートを使って殺人を犯さなければならないと言うのは本末転倒だろう。笑
と言う事は、デスノートは幾ら八神月のお父ちゃん(キラ担当の警察官)が「これが凶器なのだ!」と喚いてみた所で、デスノートと一連の犯罪者の死亡との因果関係を結びつける事が出来ないのだ。
仮に、
「私が証明してやる!!」
と言って、八神月のお父ちゃん辺りが、法廷でデスノートに自分の名前を書き込んでその場で死んで見せた所で、「ノートに名前を書き込む」という行為と「心臓麻痺で死亡する」という事実が科学的に結びつけられない。また、デスノートを科捜研に持ち込んで調べた所で、ただの風変わりなノートとしてしか結果は得られないだろう。ただ、デスノートを触った人間は死神リュークの姿が見えて話を聞く事が出来るようにはなるが、死神リュークを法廷に引っ張り出して証言させるなどは現実の法廷としてはあり得ないし、それこそ映画「すてきな金縛り」を地で行くような話だ。(笑)

つまり、デスノートは法廷では「呪いのわら人形」や「バズビーの椅子」のようなオカルト物の扱いをされるのが関の山なのである。少なくとも判事も裁判員もそういう判断をせざるを得ない。

いや・・・、

法廷に行く前に、検察官が証拠不十分で不起訴処分にする可能性が濃厚だ。私が検察官ならそうする。そうするしかない。
結局八神月は最長23日間の拘留と勾留を経て、嫌疑不十分で自由の身になり、デスノートも逮捕時の所持品と言う事で八神月に返される事になる。当然リュークの姿が見える者が続出するが、騒げば精神病院に放り込まれる事請け合いだ。これがキラ逮捕後の流れかな。
しかし、そうなるとLが黙ってはいないだろうけど、法治国家でさえも罪に問えない人間を、法治国家で飯を食っているLが勝手に不起訴処分になった八神月を拘束する事はできない。それこそ世界中のキラ信者がLを糾弾しまくるだろう。

要するに、「丑の刻参り」に犯罪性を認めるかどうか・・・?

という話と同じ次元という事だ。
原作では、キラはLに勝つが、Lの遺志を継いだニアに負けて、八神月の負けと判断したリュークにデスノートに名前を書かれて死ぬ事になるが、よくよく考えると、八神月には負けは無かった事になるのだ。一時のプライドとか色々あるかも知れないが、「殺人罪」に問えない時点で、総じて八神月の勝ち戦という事になる。
しかし、それでは世間に顔向けが出来る作品にはならないので、原作では「探偵か警察にキラだと断定されるまでの勝負」という事にしたのであろう。

ところで・・・。

もし、八神月が不起訴処分で再びデスノートを持って自宅に戻ったら・・・。今度は独裁政治を行う国家や、時の権力者、世界中の大金持ち等が挙ってキラの獲得・・・というかデスノートの獲得に動くだろう。KGBやCIA、ありとあらゆる秘密の国家機関が八神月の周囲を取り囲むはずだ。それはそれで八神月にとっては暮らしにくい世界になりますね。八神月はとっとと信者を集めて頑強なキラ御殿を建てて籠もらないといけませんな。で、あとはリュークとリンゴを食べながら一人、また一人と・・・。(^^;

アクアテラリウムに挑戦。(思い立ち編)

前回は海水魚飼育の方法を忘備録として書き記しておきましたが、当の私は実は水辺の再現というか、観葉植物を用いたアクアテラリウムの作成に挑戦しておりました。
以前からやってみたくて、実は8年程前に実家にある90x30x36cmという水槽でやってみようと、何の知識も無いままに、ただネット情報を頼りにソイルを買い、流木を買い、水草を買い・・・。とやってみたのですが結果は惨敗だった。そのまま3年程放置する羽目に陥りました。藻が湧いたり色々な事が起こりましたが、3年もするとソイルは粒が崩れて泥になり、そのうち濾過がつまって水が流れなくなってしまいました。
濾過が止ると部屋中に悪臭が立ちこめますので、さすがに放置する訳にも行かなくなり、ようやく一念発起して水槽のリセットに乗り出しました。既に水草はなく、とろろのような藻が渦巻く得体の知れない水槽と化していましたが、水を抜き、綺麗に洗って再度水槽を設置。実家は強烈な西日が差すので、照明は窓から差す自然光でやっていました。自宅では金食いの海水魚をやっていましたので、とにかくこっちは金を掛けずにやっていたんですね。(笑)
ソイルはもう二度と使いたくなかったので、安い大磯砂を16kg程いれてリセットしたのが5年前。当初は川底をイメージした石と流木のレイアウトで日本の魚をやっていましたが、水温が高すぎた為これも惨敗。結局再び放置・・・になるかと思ったが、1年程した所で自宅の海水水槽を店じまいした為、クーラー、100wメタハラ、小型造波装置(オリジナル)等のハイソな設備が余る事に・・・。
機械は使わなければ廃れてしまうので、すぐさまクーラー、造波装置、毎時750リットルクラスのポンプなどを90cm水槽にシフトし、再び川風景を再現。濾過層も300リットルクラスの密閉型濾過層へとレベルが上がった。海水魚の設備をヌマエビやメダカ水槽に使うのだから、もう何をやっても死なない程の過剰設備である。が、なぜかメダカは日に日に減っていった・・・。そうこうするうちに結局放置水槽となってしまう・・・それも5年間も。(^^;

「水槽は、飼育に飽きた頃に立ち上がる。」

とはよく言ったもので、5年間もの間、勝手に繁殖を繰り返していたミナミヌマエビや、時折母親が寂しいからと勝手に放り込んでいたメダカや金魚のお陰で、いつの間にか完全に水槽は立ち上がっており、濾過層はヘドロ詰まりもなく素晴らしいバクテリアの固まりと化していたようだった。
ただ、水槽内部全体に藻が繁殖しまくっていて、とにかく小汚い事山の如しである。

「金魚を入れたけど、藻であまり見えない。少し掃除したら?」

という母親の声に、始めは面倒ではあったが、よく見るとあまりと言えばあまりな出で立ちだったので、ウレタンスポンジで除去に乗り出した。とりあえず前面。なぜか前面ってあまり藻が付かないのはなぜなんだろう?すぐに掃除が終った。前面が綺麗になるだけでも結構テンションは上がる物である。
ならばもう少し汚れが酷いが狭い側面2面も・・・と藻の除去をしてみたら、更にテンションが上がった。しかし、水槽の水がみどりみどりのグリーンアウト状態になってしまったのでここで終了と言う事でしばらく放置。すると、濾過が完成しているので何と30分程で水は輝くような透明水に生まれ変わっていたのである。
すげぇな・・・5年物の濾過層は・・・。(^^)

「背面も掃除しないと・・・。」

という母者の声。テンションMAXになっていた私も同感とばかりに背面内側の掃除に乗り出す。もちろん濾過は回しっぱなしだし、金魚やエビも入ったまま。
しかし背面はさすがに藻が多く、ウレタンスポンジでは厳しいので普通のキッチンたわしのガリガリ側でこそぎ取ってゆく事に。さすがに面白いように除去は出来るが、水はとんでもなくグリーンアウト状態。もう何も見えません。(笑)
さすがに30分では元には戻りませんでしたが、それでも1時間程で向こう側が見える程になったので、再度藻の除去を行い、ついに4面全て綺麗にすることができました。水槽も再びグリーンアウト状態なので1日目の作業はここで終り。

翌日実家へ来て見てみると、やはり水はすっかり綺麗になり、透明で輝いておりました。なかなかナイスな濾過に仕上がっていますな。5年という歳月はダテじゃ無いぜ、なんてね。単に放置していただけなんだけど・・・。(^^;
とりあえず、ガラス面に残った取り残しの藻を丁寧に除去し、これで完全にガラス面は綺麗になりました。すっかり綺麗になった水槽を目の前に、私の頭には・・・

「もしかしたら、このままアクアテラリウムの作成に突入すれば良いのでは?」

そう、以前からやってみたかったアクアテラ。水位を10cm程に下げて、流木や石組みをして陸地を造り、滝を作ったり、水草を植えたり観葉植物を植えたり・・・つまり水陸共存のジャングル切り取り風景の作成である。

ここから、90cm水槽を使ったアクアテラの壮大な計画がスタートする事になる。

海水魚水槽の作り方。

ファイル 40-1.jpg

今後、恐らくは圧倒的に恵まれた環境がない限りは、二度とその世界に浸る事はないであろうと思われる「海水魚飼育」。
実は私、8年間位海水魚においての飼育経験がございまして、まぁ色々とやりました。オリジナルの波発生装置も造りました。お金も今思うとバカじゃないかと思うくらい注ぎ込みました。で、最後に海水魚飼育のコツというかやり方というか、こういう物なのだ…と言う事を身を持って知った所でマリンアクアリストを引退しました。8年間、息も切らさず色々な事をやってみた結果得た最終結論は、「海水魚は飼うよりも見に行け。」と言う事でした。

しかし…。

ブームは下火になったのかどうかは知りませんが、ペットショップに行くと以前と同じように海水魚が販売され、同じように客があれこれと物色し、店員にアドバイスを受けながらも、適当に安価な機材を購入してゆく…。
その度に私は

「間違いなく1ヶ月以内に死滅水槽になりますな…。」

なんて事を横目で見ながら心の中で呟いております。笑

というわけで今回は、カメラとは全然関係ないんですが、成功確率95%以上(と自分で思う)の海水魚水槽の立ち上げ方を、自分への忘備録も兼ねて、ここに書き記しておきたいと思う。

その前段階として、これから海水魚飼育に挑戦したいと思ってここを読む方に、まずはじめに言っておきたい事がある。

「湯水のように金を使えないのなら、海水魚飼育はするな。」

である。かつては私も20cmキューブ水槽という狭い水槽に、海水転化させ12cmまで育ったテッポウウオを筆頭に、イソギンチャク、クマノミ2匹、レッドソックスを、小型の外部式フィルターだけでバランスを保つという奇跡もやった事はあるが、こんなのは希な話であり、基本的には掛けたお金に比例して海水魚飼育は成功の確率ははね上がると考えよう。そのお金を掛ける事が出来ないのなら、飼育者も生体も何の癒やしを受ける事もなく、お互いが可哀想な事になるので、私は飼うなと言いたいのだ。

前置きが長くなったが、気構えのある方だけ読み進めてください。
ちなみにここでは、オーバーフロー水槽ではなく、シングル水槽での飼育方法を解説する。

<用意する物>
1)水槽…容積=水量が大きい方が飼育は有利になるが、幅よりもとにかく高さのある物を選ぶ事。60cmあれば完璧。最低でも45cmは欲しい。と言う事は通常の60cmではダメという事。なぜ高さがいるかはそのうち分かります。奥行きは30cm以上なら問題ない。私はW45xD30xH45というADAのキューブガーデンを使っていました。今は絶版のようです。海水魚飼育はキューブか縦長の水槽が良い。水量は60リットル前後までが良いと思います。それ以上はお金の掛かり方が違ってくるので、もっと熟達してから…。

2)底砂…サンゴ石一択です。濾材用の粗目、底砂用に中目と細目をそれぞれ用意します。

3)密閉型外部式フィルター…ピンからキリまでありますが、水槽の全水量が1時間に7~10回程度回転する大きさを目安に選びます。55リットルならエーハイムなら2213か2236かな。ただし濾過はこれだけでは不十分ですがとりあえず必要です。

4)水槽用クーラー…なかなか高価な設備なので、ど素人程後回しにするが海水魚では必須。一番最初に買いましょう。買えないなら海水魚は諦めましょう。これが無いと維持管理は格段に難しくなり、飼い主も海水魚もかわいそうな事になる。60リットル前後だとゼンスイのZR-75Eといった比較的安価な物がある。水量を抑えたいと言ったのはこれが理由だ。余裕があればZR-130Eを買っておいた方が冷却効率は飛躍的に上がる。私なら130Eを買う。が私は2236の水流量と相性がバッチリの75Eを使っていた。130Eなら別の強いポンプがいるので、その場合はマキシジェット1000を用意し、2236のプロペラを外して非電源でエーハイム→クーラーと繋げば良い。

5)底面フィルターと網戸の網だけ…モーター付属は不要。また底面にびっしり敷き詰める必要はない。あまり小さいとモーターの吸上げ効率が下がるので、45cm水槽用以上の物で、底面積に合わせて買いましょう。90cmなら45cm用を2個買うと良い。網戸の網は底面フィルターにサンゴ石が入り込んでモーターが詰まるのを防ぐ為に包む用に使うのと、底砂の仕切りでも使うので、多めの1m四方位は用意する事。

6)外部式ポンプ…底面フィルターと組み合わせる。私はカミハタのオーシャンランナー2500を使っていたが、明らかにオーバースペックに思えたので、後にマキシジェット1000に交換しています。オーシャンランナー2500は別の目的に転用したが普通は不要。マキシジェットは水陸両用の安価なポンプなのでお奨めだが、このテの小型ポンプは陸上使用すると結構音が立つので水中で使用するようにした記憶がある。

7)ライブロック2kg~3kg…海水魚飼育では必須アイテム。生臭い物は古いのと管理が悪いのでNG。磯の匂いがする良質な物を購入しよう。良い物は石灰藻という赤い苔が岩面に色を塗ったようにたくさん生えており、藻海老やケヤリなどの生物感も多い。ただ招かざる客(ウミケムシ、ウミウシ、シャコ等)も付いてくる事があるのできちんとキュアリングされた物を選ぶ目を養う事が必要だ。間違っても真っ白のただの死珊瑚を購入しないように…。
ちなみに2~3kgは最小限の量。最終的には6kg位は入れたい所だ。要するにキープ時は水量の1/10位、立ち上げ時はその半分位を目安にすると良い。

8)人工海水の素…水道水をあっという間に海水に変えてくれる魔法の塩。ミネラルが含まれているので普通の天塩を溶かした水とは違うよ。

9)RO水…水道の水は藻類の素がたくさん溶け込んでいるので、そのまま使うとあっという間に水槽内は緑色の苔だらけになってしまう。そこで純水と言われるRO水が必要になる。この水以外は絶対に水槽には入れたくないので、安定的に供給出来る購入先を確保しておこう。初期は60リットルいる予定なので後の足し水も考えて最初は100リットルは用意しておこう。

10)水槽用ヒーター…クーラーに繋げられる場合はサーモスタットは不要な場合が多いが、その機能がクーラーに無い場合はサーモスタット付きを買う事になる。サーモスタットは必ず電子式の物を購入の事。

11)プロテインスキマー…水槽内の富栄養化を防ぐと同時に海水に大量の酸素を溶かし込んでくれる機材。RedSea製の物が有名だが水槽内に本体(直径6cm位の筒)を入れるのでレイアウトや見た目に響くのとエアポンプが必要になる…ので私は後に外掛け色のPrizmSkimmerに変えました。海水は酸素が溶けにくいのでエアレーションが必ず必要だ。

12)メタルハライドランプ…海水魚飼育には必須になります。イソギンチャクやサンゴは買わないよ~という方もライブロックが入る以上は光合成の為に必要になります。点光源ですので太陽光のように水の揺らぎの印影ができます。海水魚ではブルーが強い20000Kを使いたいですが10000K以上なら可としましょう。100w程度の物なら大丈夫です。

13)小道具…水温計、比重計、カルキ抜き。

大体ここまで用意したら海水魚の飼育が可能になります。
どうでしょうか?お店の店員の話とはずいぶんと違ったのではないでしょうか。電卓を叩いてみてお金が掛かりすぎる!!って言う方は、前述のように「海水魚は飼うよりも見に行け!」という教訓に倣いましょう。「それでも私は飼育してやる!!」という方は以下に立ち上げ方を記しておきます。

 
<水槽の立ち上げ方>
1)底面フィルターを網戸の網で包みます。輪ゴムの使用は私は不可としたい。とにかく包んでサンゴ石が入り込まないようにしたら、筒を取り付けて底面に置く。筒を刺した所を少し鹿渡に寄せても構いません。ど真ん中でなくても良いと言う事。

2)サンゴ石の中目を5~7cmの高さに敷きます。そう、結構多いんです。これを投入したらもう後戻りはできません。

3)その上に網戸の網を全面に敷き詰めます。

4)次に細目のサンゴ石…と行きたい所ですが、その前にひと作業します。適当なライブロックをカナヅチなどで適当な大きさに砕いてください。あまり細かくすると網戸を抜けてしまいますので3~5cm位の大きさで良いです。砕いたらそれを網戸の上にばらばらっと適当にばら撒きます。敷き詰める必要はありません。適当でOKです。これこそが誰も教えてくれない失敗しないミソなんですね~。これで底床内にもバクテリアがガンガン湧くという訳です。

5)ばら撒いたライブロックの上から細目のサンゴ石をこれまた6~7cm位の厚さになるように敷きます。底砂の厚さは12cm前後になります。この分厚いライブロック添加済みのサンゴ層が後に強力な濾過効果を発揮してくれます。また、この厚みが水槽レイアウトを楽にもしてくれます。シングル水槽の場合は、これだけのサンゴの濾過層を確保する必要がある為、最低でも45cm位の深さのある水槽が必要だったわけです。

6)水温27度の人工海水を水槽の半分位まで入れます。適温でないとサンゴ層内のライブロックが死んでしまいますので気を付けましょう。

7)水が入ったら水槽内のレイアウトを作成します。一番楽しい行程ですが悠然としている暇はありません。既に水槽には生物が入っています。手早くライブロックを組んでレイアウトを完成させてください。フィルター類のホースやストレーナーの配置も一気に行いましょう。プロテインスキマーが外掛け式の時は、後回しでOKです。

8)底面ろ過から出していた吸込み口にポンプの吸い込み側のホースを突っ込んで、底面ろ過から水を吸上げるようにします。吐き出しは、とりあえず今はそのまま水槽に戻す形で良いでしょう。(後述)

9)外部式フィルターの吐き出しはクーラーに接続し、クーラーの吐き出し水を水槽に戻すようにします。

10)海水を水槽の規定量まで入れ、ポンプと外部フィルターを起動します。クーラー、ヒーターの電源も入れましょう。これで水槽が起動しました。感動の瞬間ですね。

11)最後に照明のセットです。真ん中を照らすのですが、あくまでメタルハライドランプの目的はライブロック、後に入れるであろう海草、イソギンチャクやサンゴ類の光合成の為です。そこを意識してライトを当てましょう。100wの光量なら、60sm位までの水槽なら満遍なく照らせると思います。タイマーを使って1日8~10時間、朝から晩に照らしてあげましょう。

これで水槽は完全に起動しました。あとは立ち上がりまで待つのみです。

と言う感じですね。
早速魚を入れたくなる訳ですが、すぐに入れると必ず死にます。魚が可哀想です。ここはグッと堪えて水が安定するのを待ちますが、3日目辺りでデバスズメを3匹程入れてください。これはパイロットフィッシュと言って、水の様子を計る為の生態です。なぜデバスズメかというと、安いからというのもありますが、それ以上に大人しいからです。後に本命の生体を入れる際に、縄張り意識を主張して影響を及ぼす事がほぼ無いからですね。ルリスズメなどを入れると気が強いので後から入れた魚がボロボロにされたりしますよ~。

パイロットのデバ達は、調子が良ければそのまま生き続けてくれます。ちゃんと餌もあげてください。当然糞をしますが、その糞から出るアンモニアがバクテリアの繁殖を促してくれるのです。そう、目の前にはミニマムな自然の営みが広がっているのです。

さて、本命の魚やイソギンチャクはいつ入れられるのか…?

参考書や店員は決まって1ヶ月程度…という事を言っているようですが、実際は1ヶ月程度では水槽は立ち上がっていません。完全に立ち上がるのは1年後だと思ってください。それまでは何を入れても、特に高価な生体ほど早く死にます。イソギンチャクはおろか珊瑚なんて以ての外です。
こう言うと、あまりに気が長すぎて嫌になってしまうと思いますので、特別に1ヶ月後パイロットフィッシュが2匹以上生きていたらなら1尾500円までの魚1匹。半年後も全部無事なら1尾1000円迄の魚1匹とケヤリムシ2匹までならOKとしましょう。いずれも8cm以下の非肉食魚で大型になる魚は不可です。1年後も全て生きていたならば、イソギンチャク(ハタゴなど大型は不可)1個入れてもOKです。そのイソギンチャクが見事に維持出来たなら、その水槽はそこまでです。あとは海草を散りばめるのが関の山でしょう。

サンゴについて…
サンゴは出来れば入れない方が良いです。確か亜鉛だったと思うのですが、必要なミネラルの全てを水槽に添加する事が出来ない為、何をやっても必ず死にます。死ぬと水質が急激に悪化してバランスが一気に崩れるのです。上手く行っている水槽の場合は…何と産卵をしてしまう為、この場合は水槽内は白濁し、とんでもない状態になります。私は上記の水槽で産卵されてしまい、一気に水槽のバランスが崩れてケヤリ、イソギンチャク等の他の軟体生物まで死なせてしまいました。サンゴは百害あって一利無しです。

イソギンチャクについて…
買う時は濃い色の物を買いましょう。褐中藻と言う藻類を体内で飼っていて、それらが光合成をしてできた養分でイソギンチャクは生きています。この褐中藻が少ないとイソギンチャクは透けてきます。透けてくると間もなく縮小して、やがて死にます。
縮小したイソギンチャクはまず復活しません。その瞬間に水槽から取り出して捨ててしまいましょう。しかし、色が濃いのに縮小する場合があります。これは2つに分離している場合があるので水槽内をよく見ましょう。また、夜になると縮小する場合があります。

あると良い物…
底面ろ過からの水をそのまま戻していますが、途中に殺菌灯をかますと白点病などの病気の発生を抑える事ができます。と言っても私には気休め程度にしか感じませんでしたけど…。

ところで今、私は別の水槽大作戦を企てている。
今年の夏はちょっとアツいかも…なんちって。

やっとできたので忘備録。

電源を落としてある自宅のパソコンを、手持ちのiPhoneをちょちょっと操作して、遠隔操作で電源を入れられたら便利だよなぁ…。なんて事を以前から考えておりまして、過去に幾度となくチャレンジしていますが、購入するメイン基板側のBIOSにその機能が備わっていないのか、LANカードにその機能が設定出来なかったのか、ルーターにその機能が無かったのか、噂には出来るとは聞いていたものの、とにかくまともに出来た試しがなかった。
当時はWindowsXpだったので、スリープか休止モードにした状態、つまりS3ステートと呼ばれる状態からの復帰が主流であったが、私がやりたかったのは完全に電源を切った状態、S5ステートからの復帰だった。当時は特別にそう言う機能を付けたメーカー製PCの一部でできるだけと言われており、しょうが無いのでS3からの復帰で我慢していたのだが、ルーターを変えたら、なぜか勝手に復帰するようになってしまい、何をどうやってもS3すら維持する事が出来なくなってしまった。まぁ私の無知という事もあったんですが…。
以来、泣く泣くS3復帰も諦めて、電源を入れる際はいちいち家族に電話して「電源入れて…」とお願いするという、何ともアナログな事を数年間のいままでやってきた訳ですが…。

で、
気が付けばパソコンのハードウェアは数世代新しくなっているし、WindowsもXPから7になり、S5からの復帰も当たり前のように装備されているという話だ。調べてみると私の使っているパソコンも当然の事ながら対応しているとの事だった。おーー。やるじゃん。
そんな訳で、数年振りに重い腰を上げて、この度徹底的にS5ステートからのWake on LAN の設定を追い込んでみた所、何とこれがめでたく上手くいったので、ここに忘備録として書き記しておく事にした。正直言って電源を完全に切った状態から、iPhoneの操作でフワンっと起動するのは面白い。これが地球の裏側からでも出来るのかと思うと、ちょっとワクワクします。

さて、その方法ですが、今回やった部分だけ書いてゆきます。
なお、iPhoneからWoLをやる場合は、対応したルーターが必要になりますので、その点だけ注意です。
それと、「BIOSって何?」っていう方はもう自力は諦めよう。そこまで説明してらんない。

<LANの設定編>
Intel 82579V Gigabit Network Connection というASUSのZ68v PROというメイン基板に埋め込まれているLANです。
デスクトップ上の「ネットワーク」アイコンを右クリックから、
「プロパティ」→「アダプター設定の変更」と進んで82579Vの文字がある「ローカルエリア接続」を右クリックし、「プロパティ」→「構成」ボタン→「電力の管理」と進む。
上段の節電オプションは「システムのアイドル中に…」っていうのだけチェックをはずす。
下段は「Wake on Magic Packet」「電源オフ状態からのWake on Magic Packet」にのみチェックを入れる。ちなみに「Wake on Pattern Match」にチェックが入っていると、スリープで勝手に復帰してしまうので要注意だ。その症状に悩まされている人はここを触ってみよう。
ファイル 39-1.jpg
これ以外のLANカードの場合もWoLの項目はONの方向にチェックを入れてみよう。ここではS5からの復帰を是としているので、色々と試せるはずだ。
なお、「詳細」タブに「このデバイスを使って…」っていう項目がある場合は、そこもチェックをしておこう。
これでLANの準備は完了。

<BIOS編>
次はBIOSの設定だ。
再起動してDeleteかF2の連打でBIOSに入ったらPower Managementの項目に入りましょう。メーカー製PCや某激安PCの場合はBIOSからオイシイ項目がさっぱり省かれている場合が多々ございますので、その場合は激安品に手に付けてしまった自分を怨むか、素直に自作PCに挑戦してください。BIOSはそのパソコンの基本機能を設定する物なので、正直言うとBIOSをいじられるのは面白くないと言うのが正直な所だからしょうがないんですよ。項目があってもBIOSを弄った瞬間に保証が無くなる場合もあるから気を付けてね。
Power ManagementやPMEと言った項目の中に「Power On By PCI」と「Power On By PCIE」という項目を見つけよう。言葉は違えど要は「パワーオンにPCI(E)を使う」という項目を「Enable」に切り替えます。
「俺はLANにPCIやPCIEは使ってないぜ」
という場合でも、この2つの項目は必ずEnableにしてください。追求すると先に進めないので、あまり深く考えなくていいです。
これでBIOSの設定も終了です。

ここまでの設定が終わり、正常に機能していたならLAN内限定ではあるがWake on LANが働くはずだ。
iPhoneを同じWi-Fiで同じLAN内に参加させ、WoLの適当なアプリを入れて設定をして試してみよう。電源を切った状態から復帰した瞬間は鳥肌ものだろう?笑

さて残るはiPhoneが4G回線などLAN外にいるところからWoLを命令し自宅のPCを復帰させる設定だ。インターネット越しのWoLは実はややこしい。私は長年ここで引っかかっていたと言っても過言ではない。そりゃ設定ができないルーターだったんだから当たり前ですね。ネット接続はPPPoEであること。PPTPサーバーの接続ができること。DDNSができること。これら3つが条件になります。
私は戸建てのeonetギガ契約に、バッファローのWZR-450HPを使っています。
要するにパソコンをたたき起こすためのMagic Packetというのは、ルーターやサーバーなどのゲートウェイを越えることは至難の業なんですね。だからルーターにVPNという方法で接続してバーチャルな同一LAN内にiPhoneとルーターがいるようにし、ルーターに入り込んでMagic Packetをルーターから発信すれば、理屈は自宅パソコンの同一LAN内から発信したことになる…という理屈です。ややこしいですね~。笑

<ルーター編>
ルーターに入ってください。DDNSの項目に更新の設定します。私はDyndnsを使いました。なんと私は有料のVIP会員ですので…。
これで、ルーターはサイバー空間の住所不定じゃなくなりました。次にPPTPサーバーの設定をします。
PPTPを使用するにチェックを入れます。サーバーIPアドレス、クライアントIPアドレス、DNSサーバーのIPアドレスは私はすべて自動でいけました。もし自動ではIPがかぶってしまって旨くない場合は、適宜変えましょう。WINSサーバーは空欄です。
次にPPTP接続のユーザーを設定します。適当なお名前とパスワードを設定してください。この名前とパスワードはiPhoneで設定します。設定が終わったらルーターに焼き付けて終了です。

<iPhone設定編>
最後です。疲れましたね…。私はiPhone6なので、5や4の人は適当に読み替えてくださいね。
iPhoneの画面から「設定」→「一般」→「VPN」→「VPN構成を追加」に入ります。
「PPTP」を押します。
「説明」・・・自宅パソコンとかわかりやすい名前を入れます。
「サーバ」・・・DDNSのアドレスを入れます。
「アカウント」・・・ルーターのPPTPに設定した名前を入れます。
「RSA SecurID」・・・OFF
「パスワード」・・・ルーターのPPTPに設定したパスワードを入れます。

これでOKです。VPNの設定を保存してください。
iPhoneの設定項目にある「VPN」のスイッチをON側に切り替えます。うまくいくと上の「4G」の横に「VPN」という、多くの方が見た事もない囲い付きの表示が出ます。これで準備はOK。外にいるのに自宅のルーターとはサーバー的に同じ空間に入ったことになります。不思議でしょ。
Safariを立ち上げて、ルーターのローカルIPを入力してください。何度も言いますがサイバー的に同一空間にいるのでグローバルIPじゃなくてローカルIPでOKなんです。192.168.1.1とか192.168.24.1とかだと思うのでとにかく入れましょう。するとルーターに入るための認証画面が出るはずです。いつものように認証して入ってください。PPTPで設定したユーザー名とパスワードを入れるような間抜けな事はしないように。
私の場合はBuffaloなので、TOP画面の下にある「ネットワークサービス一覧を表示」を押すと私のPC名とWoLのボタンが現れます。
そのボタンを押すと、晴れてMagic Packetが飛んでPCが起動します。あー疲れた。

東京湾唯一の島、猿島での撮り歩き。

月一で東京へカメラ教室に行かれていた写友(以下Aさん)が、数ヶ月前にその教程が終了したような事を言ってました。何年間か通われていたと思いますが、やりきるという辺りは凄いですね。
その時のレッスン仲間の方と、ネット仲間を合わせたカメラ好き集団で猿島へ撮影に行くのでご一緒にどうだろうか?というお誘いを2ヶ月近く前にいただいた。写友だけでなく一緒にレッスンを受けていた方からも是非と言っていただいているようで、有難い話ですので快諾させていただいた。
というわけで、先日の5月26日に東京湾に唯一浮かぶ無人島、猿島に私を含むカメラ好き6人で現地集合の元行って参りました。

事前にAさんに、どんな所かと聞いてみた所、戦闘の記録はないが戦時中の海軍の砲塁跡や当時のレンガ造りのトンネルなどが残る小島で、関西で言う所の友が島のような所…との事だった。

友が島…。

わたしはまだ実際に行った事は無いが、何度も足を運ぼうと思った所で、リサーチはそれなりにしていた所である。
暑くなりそうだし、海に少し入って島側の撮影もしちゃおうかと思ってウレタンサンダルに半パン、Tシャツという出で立ちで猿島に渡ろうと思っていた私に、Aさんは、その格好ではちょっと撮り歩きは厳しいのではないか?と忠告をしてくださった。
Aさんは友が島に実際に行っている人だったので、私には充分な説得力があった。で、装備は普通の靴に改めることに…。(^^;

そこへ今度は現地の主催者クラスの方からメールが飛んできました。
「まだ海開きされておらず船着き場の売店は全休状態で水飲み場も無い状態です…。水、昼食は各自で用意してください…。なお、当日は気温30度近くまで上がりそうです。」
というような内容だった。
Aさんの忠告も相まって、まるで飛行機で不時着し無人島へ漂着したような状況から始まるような気分になる…。
「それなりの装備はあった方が良さそうですね。」
と、Aさん。
少し装備レベルを上げましょうと言うことで、私は山行の紫外線カットの服装で上着なしの格好に変更し、Aさんと共に水分補給にハイドレーションの装備をしてゆく事にしました。リュックもカメラ用から日帰り山用に変更。とりあえずこれで日焼けはせず、脱水状態は無くなった訳ですが…。

猿島への渡島は26日でしたので、前日の25日夕刻にAさんと出発し翌早朝に横浜に到着、そこで参加者2名と合流。1名は女性でなんと新潟からの参加。もう一人は埼玉からと言うから、最遠距離参加の私たちが言うのもなんですが、今回の撮影参加者の裾野の広さには超驚きです。
猿島に渡る船は、横須賀・三笠公園の桟橋から出ていますので、しばらく横浜の大桟橋で休憩の後に4人で横須賀へ移動し、そこで残り2名と合流。今回のフルメンバーが揃いました。
桟橋近くにあるチケット売り場で猿島への船代1300円と入島代200円を支払います。なんか変な料金体系ですが、恐らく利益の落ち所が違うのでしょうな。

三笠桟橋からは既に猿島がはっきりと見える程の距離です。こんな感じです。
ファイル 38-1.jpg

この日は地元の中学生かな?遠足っぽいイベントと重なってしまい、船上はお祭りのように賑やかです。多分島内でも賑やかでしょうな。(^^;
この中学生達の出で立ちを見た時、既に私とAさんは過剰装備である事が薄々分かっておりました。
船で揺られる事10分程度。猿島に到着です。
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桟橋に降り立った瞬間思いました。
これはかつてオーストラリアのグレートバリアリーフに浮かぶ観光島、グリーン島に降り立った時の感覚だ…。
桟橋の雰囲気もまさにそんな感じでした。賑やかな学生さん達の姿が、嫌が応にもグリーン島での多数の観光客の賑わいを思い出させます。しかも桟橋の向こうには広いバーベキューの広場が…。
その時私(恐らくAさんも…)は悟りました。
ここは、無人島だけど首都圏の人達がくつろぐ、リゾートアイランドなのだと…。笑

友が島のようなサバイバルチックなイメージを想像していた私(と多分Aさん)は、完全に肩すかしの助を食らった感じです。梅雨前でただでさえシーズン開け気分満開の私には、さらにテンションが下がる結果に…。それでも、せっかく誘っていただいた撮り歩き会です。純粋にわいわいとしたこの時間を、童心に戻って楽しむ決心をしました。もう撮影とかは皆さんに任せて…みたいな。笑

島内は、全部が見て回れるように小径が張り巡らされており、所々で海にまで降りられるようになっている。それも階段が用意されていて至れり尽くせりという感じだ。しかし、越前・雄島のように周回路にはなっていないので、道の突端まで行ったら引き返して…と言う感じで見て回る事になる。
砲塁跡もちょこまかとあるが、地元のおっちゃんの解説でも入ってこないと実感が沸かない感じの痕跡という感じです。雰囲気を感じるのは時々くぐる事になるレンガと漆喰のトンネル。友が島にも見られる当時を思わせる設備だ。
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気温は23度くらいまで上がったようだが、梅雨前という事もあり湿度が低いので鬱蒼とした木陰の小径だととても爽やかだった。若干汗ばむものの、汗だくになる程ではない。まぁ私は軽登山の装備なので余裕だったんですが…笑
たまに眼前に広がる高いレンガの壁は、さすがに戦時中の面影を感じずにはいられない雰囲気だ。
それが、さらに高い所で鬱蒼と繁茂する雑木の影と、その間からこぼれ落ちてくる僅かな日光で育つシダ類の緑のコントラストが非常に綺麗に見えた。これはさすがに私もファインダーを向けました。
ファイル 38-4.jpg

しかし…
そんな雰囲気を醸し出すレンガのトンネルではあるのですが、気になったのはやたらと漆喰が白かった事と、レンガにカビや苔の汚れがあまりない所が結構あった事。
友が島の場合は、本当に放置されているので老朽して朽ち落ちていたりするんですが、猿島はその形跡が全く無いんですね。しかもやたら綺麗…。
「これって本当に70年前の遺跡なんでしょうか?」
と、思わず苦言を呈してしまった私。
由緒ある戦争を物語る無人島から、単なるアトラクションなしのレジャーランドになってしまう感があったので、それ以上のツッコミは止めましたが…。
そして、もう一つ気になったのは、島に生命感が全く無いんですね。まぁ海開きをしていないから…という向きもありますが、そう言う事ではなくて、野生の猿とか鹿とか猪とか、そう言うのが全くいない。いればいたで大変なんでしょうけど、いなければいないで何を楽しむ島なのか…?と言う感じです。
島地主に提案です。
海開き期間だけでも、せめてコンゴウインコでも島の数カ所で待機させようぜ。どうせならグリーン島を見習った方がいいかも…。
というわけで、カメラ好き6人の期待に応えたのかどうなのか…。ちょっと?な猿島の撮り歩き会は、そんな感じで終了したのでした。
最後に私が一番印象に残った場所の写真で締めくくります。
トンネルを抜けると、そこは苔むした壁面がそびえる、当時を唯一忍ばせる場所でした。
ファイル 38-5.jpg

週明けに関東へ。その後は・・・?

写真仲間からお誘いを戴き、週明けから関東へ撮影行に行く事になっています。撮影の舞台は猿島という横須賀沖(?)に浮かぶ無人の島なのだそうな。その名の通り、無人の島に放った、たくさんの猿がいてるのかと思い、すごくテンションが上がったのも束の間、そう言う名前と言うだけで、実際は観光に特化した島らしい。どんな被写体があるのかと、そう言うのには結構詳しいはずの東京にいる従兄弟に聞いてみた所、「サルジマ?なにそれ?」という、生暖かいお返事が即座に帰ってきた。相模原に実家があり、都内に暮らし、高卒からメディア関連の仕事一筋に従事し、首都圏歴48年を誇る奴でさえ、その存在を知らないという、ある意味、透明感溢れるその島の実態とは、一体どのような物なのだろうか・・・?
少なくとも、ネイチャーフォトを専らとするカメラマンには、かなり縁遠い舞台であるらしき事は、ネット情報から朧気にではあるが掴む事ができた。

正直困った・・・。
ちなみに、今回の撮影行に参加する人数は私を含めて5人。そのうち3人は、つい最近まで、とあるプロカメラマンさんの元で写真をみっちり学んでおられた方達だ。一方私は流派もステージも違う他流の者。同行の皆さんのように、シャッターを切れるかどうかは推して知るべしであります。(笑)

一体何を撮るか。行くからには「写真」と呼べるテーマ性のある物を撮りたい・・・。等と春日三球・照代の地下鉄漫才のように眠れず考える事幾星霜。ホント、来週出発というこの段に来て、要約その構想が私の中で固まった。
固まったけど、私の思うような情景があるかどうかは未知数なので、ちょっとどうなるか分からないんだけど、そこで私の師匠の言葉が頭をよぎる・・・

「偶然で撮るのはアマチュア。必然で撮るのがプロ。」

改めて思うんですが、やっぱ私の師匠って鬼だよなって、今更になって思う次第であります。クソ師匠め、そんなん知るか、とりあえず固まったから、それでいいのだ。いいんだよ。たぶん・・・。

ソラリゼーションのやり方。

ソラリゼーションという写真の仕上げ技法があります。デジタルから始めた人は「なにそれ?」状態かも知れませんが、そう言う人も含めて実は一度は目にしているかも知れませんね。
デジタル加工として、フォトショップでどうやるんだろう?と思ってネットを引いてみると、今も暗室モグラな方がいて、どうやるのか質問している方を結構見掛けました。で、もっと驚いたのがちゃんとした手順を教えている方が皆無だった事。たぶん皆理屈抜きでフィーリングでソラリの写真を作っていたんでしょうな。学生さんらしいですわ。笑
ちなみにソラリゼーションというのは、こういう写真の事です。
カラーはややこしいので白黒で説明します。ってか、カラーの手現設備なんて一般が持ってないし。持ってないしな。持ってないだろ。

元写真はこれです。
ファイル 36-1.jpg

で、ソラリがこれ。
ファイル 36-2.jpg

ちなみにこのソラリの効果はフォトショップの「フィルタ」→「表現手法」→「ソラリゼーション」で作った物です。
ネガ反転?とか思った人は、修行が浅いね~。よく見るとネガ反転ではなく、本来白になるべきところが黒くなってネガ反転したかのように見えているのだ。だからソラリとネガ反転は全然違う。
ちなみに、フォトショップのソラリはクリック一発で出来るんだけど、調整が効かないし、なんかやっぱり違う。フォトショップのトーンカーブで尻の絵を描いて作ったソラリはもっと違う。
やはりマン・レイが作ったとされる本物のソラリゼーションは、白黒フィルムを使って暗室で実現しなければ見る事はできない。と思う。

では実際に暗室モグラさんが対象になってしまいますが、平均的なソラリゼーションの作り方を以下に記します。
暗室で焼き付けの手順ですよ~。撮影の手順じゃないよ~。

①印画紙を1枚出して、他は箱に入れてなおしてしまいましょう。出しっ放しだと後でほえ面をかく事になるぞ。印画紙は温冷どちらでもOKです。硬さは2号か3号がいいでしょうな。手始めはキャビネ辺りがやりやすいでしょう。
②普通に露光してください。ぴか!っとな。
③すぐに現像液に浸けずに焼き付け台からイーゼルをどかして、ネガを外しておき、更に4つ切りサイズ位までレンズ位置を上げておきましょう。ピントは合わさなくて良いです。
④焼き付けた印画紙を現像液に浸けます。加温機がある場合は、あまり高温じゃない方がいいよ。
⑤画像が20~30%程度出てきた所で、ザバっと印画紙の端を画像にかからないように「手で持って」現像液から上げ、急いで焼き付け台に持って行きます。その為に片付けていたんですねー。手でむんずと持ったり、竹ピンで印画紙の真ん中を挟んで持って行くなよ!
⑥そのまま再び露光します。ネガを外しているので明るい光を印画紙全体に当てます。この時、どれくらい当てるかは焼き付け機にもよるし光量にもよるし、経験則になります。
⑦どんどん黒くなりますが、「ここ!」と思った所で露光を止めて再び急いで現像液に浸します。
⑧知っての通りセーフライトは黒が強調されるので、真っ黒の写真を天ぷらしているみたいですねーー。でも大丈夫だよ。多分。知らんけど。笑
⑨現像しきったかなって所で、停止、定着に持って行きます。
⑩定着が終り、しっかり水洗いしたら乾燥して出来上がりですね。

いかがでしょうか?
パソコンの前のみんなは、うまく出来たかな?
これがちゃんとしたソラリゼーションの作り方です。
ネットでよく言われている「現像液に入れたまんま、部屋の電気をつける」というやり方は、電灯の位置が良い位置にあれば別ですが、大抵は露光ムラになって失敗したり、バットの底で現像ムラになったりして、変な仕上がりになる事があります。懐中電灯もだめです。焼き付け機で再露光するのが一番綺麗に仕上がります。
なお、⑤と⑥の時間が一番シビアです。どう言う仕上がりになるかはここ次第です。また、どう言う仕上がりにするかを意図出来ないのもソラリゼーションの特徴ですね。何枚も作って自信作を作出してください。ちなみに何枚かやっていると、印画紙が勿体なく思えてくるぞ~。笑

ちなみに・・・
ネガでソラリゼーションを行う方法もありますが、マン・レイもサバティエも恐らくその方法ではソラリは作っていないです。まぁ、カメラにフィルムを入れて露光するのも、焼き付け機にネガを挟んで印画紙に焼き付けるのも、現像する理屈は同じなのでソラリを作るのは可能ですが、フィルムでやるのは難易度が高いと言うよりも、少々無理がありますよ。そんなええ格好しぃな事をしなくても、焼き付けでやった方がいいです。
フィルムでやりたいという暇な人は、ソラリなんてけち臭い事言わずに、是非ネガ反転の方法を考えて暇つぶししてくださいな。白黒のポジを作るんですよ~。あ、現像したネガをもう一度撮影とか言わないでね。プロジェクターにかけた時に、フィルムのベース色が出ちゃいますので紫色のポジになっちゃいますよ。笑
さて、どうしようか?
焼き付ける?CP焼き機使って反転フィルムに焼き付ける?そんな事したら細かい所がつぶれちゃうよ?その前に反転フィルムは白黒二値のフィルムだよ。
ええ格好しぃしている余裕が無くなったかな?がんばれーー。
これは暇つぶしにならないから答えは据え置きでーす。

ちなみにカラーのソラリもあります。
赤ソラリとか青ソラリとか原色によるソラリが可能です。プロラボならやってくれますね。

20年前から頭にこびり付いている事。そして・・・。

1995年1月17日という日付を聞いてピンと来る人は、もう段々減ってきているのかも知れない。毎年、慰霊祭めいた事が地元を中心に行われているが、その意識も、記憶も、人々の脳裏から段々と薄くなってきている・・・ような気がするのは、なにも私だけではあるまい。そう、人は忘れる生き物なのだ。言い方を変えれば、段々と忘れる事ができるから、生きてゆける生き物だと言える。しかし、忘れるという事は時に「風化」という言葉で表す人がいる。何とも寂しい言葉だ。人の死が、本当の意味での死を迎える時というのは、その死が人々の記憶から消え、風化してしまった時なのだろう。

冒頭の20年前の日付は、死者6402人(兵庫県資料)を出した阪神・淡路大震災の起きた日付である。ちなみに正確な名称は「兵庫県南部地震(M7.2)」と言います。時間は午前5時46分。
私の自宅は北摂の京都の隣ではあったが、あの時は起きていましたので地震の終始を知っており、今も目を閉じると生々しくあの強烈な揺れを思い出す事が出来ます。体感的には永遠と感じる程に長い猛烈な揺れ、家なり、家具の足踏み・・・そして、停電による荒れた部屋での真っ暗闇。
時間が時間だったので、間もなくして外が白じんでは来たが、それ以上に恐怖で家内は蒼白、私も次の行動がしばらく取れなかった記憶がある。その後の断続的な余震にも恐怖を覚えて、徹夜であったにもかかわらず私は到底眠る事は出来なかった。
夜も完全に明けた数時間後、ようやく電気が復旧してテレビを見る事が出来た。後に私のいた地域は震度5であったと知った。(当時は震度5弱とか強といった表現はなかった)

テレビの向こうは始めは落ち着いた爽やかな朝をレポートするような番組内容であった。字幕で時々「兵庫県南部で強い地震がありました」程度の速報が流れるだけで、死者もしばらくして「1名」とだけ出た。
「あれだけの揺れなのに、意外と人は死なないんだな。日本の建築ってスゴいな。」
程度に私も思う程だった。それ位テレビの向こうは落ち着いていた。
ところが、時間が経つに連れて様相が変わって来る。朝の番組は軒並み臨時ニュースに切り替わり、死者数が5名、10名と発表の度に増え始めた。そして、ヘリからの映像がテレビに映し出された・・・。

私は息をのんだ。

その映像には、間違いなく阪神高速・神戸線の橋脚が数百メートルに渡って倒れており、辛うじて崩れずに済んだ路上では、トラックや乗用車が折り重なるように行き詰まっている情景が映し出されていた。

これは・・・映画?現実?

しばらく、嘘っぽい映像でも見るような気分で見ていたが、次に映し出された海側からの神戸市街地の、あちらこちらから猛烈な火の手が上がっている全景を見て、これは現実なのだとハッと我に返った記憶がある。

私が今も生々しく憶えている当時の震災の状況はこんな感じである。
その後は、刻一刻とテレビに映し出される死者の増えてゆく数字と、一向に鎮火しない火災の様子をテレビは伝えていた訳ですが、そんな騒ぎも少し収まった数日後の事。いつものようにテレビを付けると現場での様子を伝えるテレビクルー達が映す映像が流されていた。ビルの2階辺りからねじ切れるように崩れた数々のビルや、あり得ない程にひん曲がった舗道の手すり、燃え落ちた家屋など見るに堪えない程の悲惨な状況だった。しかし、そんな現場を映し出すテレビクルーに、地元のおっさんらしき人物がこのような事を言ったのだ。

「お前ら、人の不幸を映すんが、そんなにおもろいんか。あんまりふざけてんな・・・。」

という辺りで映像がカットされたのだが、確かに私は後ろの方から指を差し近寄りながらそう言うおっさんがいた事を見逃さなかった。その後いざこざがあったのかどうかは知らないが、それがなぜか今も強烈に印象に残っているのである。

あの頃は今のようにデジカメなどはまだ世間一般には流通はしていなかったのでカメラはフィルムが主体で、大体ああいった現場の撮影というのは「報道」という畑の人間がやる物という常識が通っていた。私もそれには疑問をあまり持たなかった人間である。

ところが・・・

20年経った今、あれから特にあの震災を追究せず、普通に暮らしてきた私は、一体どれほどの阪神大震災の写真を見たのだろうと、ここへ来てふと思った。
ならば、北淡町にある震災記念公園に行くなり、ネットで引くなり、当時の記録を図書館で掘るなりすればよろしいではないかと言う人がいるだろう。それでも構わないです。べつに・・・。その代わりそうやった所で私が今見る写真は、報道の公的な検閲をくぐった、言わばオブラートに包まれた写真でしかないわけだ。しかし当時はデジカメもなければインターネットというインフラも無かった時代だからしょうが無い事ではあるが・・・。
一方、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震(M9.0))はと言うと、実はこちらの方が私の記憶の風化には時間が掛かると思う。
それは記憶が新しいからだ。と言いたい人もいるかも知れませんが違います。
見た写真の内容が違うからです。
報道が流す写真や映像は、人が死ぬ瞬間の物や、死人の姿は極力出しません。しかし東日本大震災ではインターネットやデジカメ、カメラ付き携帯やスマホが普及していたので、個人レベルで撮影された生々しい写真が一時的であるにしろ、ネットに大量に出回ったお陰で、テレビでは不都合な映像や写真を見る事が出来たからだ。瓦礫と化した自宅の中で音もなく死んでいる老人や、津波で犠牲になり入り江に大量に流れ溜まっている遺体など、全てが強烈な物だった。これをテレビで流せとは言わないが、少なくとも私はそれらを見たお陰で、東北の震災は強烈に印象が残り、復興の願いにも熱が入る結果となったし、当然の事ながら阪神大震災よりも風化には時間がかかる結果となるだろう。

一体何が言いたいのか?

と言われそうなので、そろそろ言いましょう。
私は、次に大地震や噴火などがあった時は、絶対にカメラを持って現場の撮影に行こうと決めたという事です。結局最終的に後世に遺る物は写真しかないんですよ。わかるかい?この事実。
そんなのは報道に任せておけと、言う輩もいるとは思うが、そう思う人は家に大人しくいてください。私は行きます。絶対に。白馬の震災も、東北の震災も、なぜ行かなかったのか後悔しております。それは興味ではなく、私はカメラを持ったらカメラマンだから。私に出来る事は写真を撮り、後世に遺す事。カメラマンにはそれしかできません。

「お前ら、人の不幸を映すんが、そんなにおもろいんか。あんまりふざけてんなよ!」

等と詰め寄ってくる地元の人間がいたら私は迷わず、

「私は私に出来る事を今やっている。私相手に憂さ晴らししている暇があったら、あんたはあんたで、今自分に出来る事をやれ。」

と言うでしょう。
阪神大震災の時にテレビに流れたあのおっさんが強烈に印象付いていたのは、実はこのセリフを言ってやりたいが為だったのだと、20年経って要約気付いた。単なる違和感だったのだ。
20年経った今、皮肉な事に、震災に関係した人達は有志を中心に当時の写真を集めたり、資料を引っ張り出したりして、新世代の人達にも見てもらい、風化させぬようにと努力している。しかし、あるのは検閲されまくった報道写真がほとんどなのだろう。そこに真実の真実はない・・・。

何度も言うが、報道に任せておけと言う輩は、家に大人しくしていなさい。現場が混乱するから行くべきで無いという輩も家にいなさい。既に混乱していますから・・・。
私は今度は行きますよ。その出来事を風化させない為に・・・。
ただし、現場へ行けるのは、自己責任ではなく「自己完結能力」のある人間に限られる事を断っておこう。くどいようだがこれは、自己責任とは全く違う物です。
あ、「自己完結型人間」っていうのと勘違いもしないように、よろしく頼むよ。
なぁーんて事を言うと、こういう人間には、世間様は一体どういう感情を持つのだろうか?
ちなみに震災後、うりゃ!!とばかりにクルマ飛ばして現地入りしようとする一般ピーポーを、現場が混乱するからという理由で、行くな!やめろ!と喚いていた人間に対して、私は非常に違和感を持っていた人間の一人であります。そう喚いていた人間は、結局何をしたのだろうか?募金ですか?結局、人に喚く程の事はしていないっちゅう事じゃないっすかね。知った風な事を言って、ねじ曲がった民意を形成してんじゃねーよ。未だに仮設住宅で暮らす人達の事なんて、もはやお前らの頭の中にはないんじゃねーのか?

日記のタイトル

この日記、過去2回消失しているんですが、どちらにも日記のタイトルがあったと思うんですが、なぜか思い出せないんですよね~。
ちなみに現在のタイトルになっている「My Diary」というのと、その下に書かれている「日々の生活を・・・」というのは、このCGIのデフォルトのタイトルと文言だ。
というわけで、日記のタイトルを懲りずにまた考えて付けようと思って、実は何時間か前から考えているんだけど、どうにも思い浮かびませんな。前はなんて付けてたっけなぁ・・・?って言うのばかりが気になるんですよね~。
って言うか、撮影がオフシーズンになってゆくにつれて、日記の内容も写真関係から外れてゆくので、読み手も注意が必要ですよ。なんちゃって。笑
ところで、ネットを徘徊していて、日記のタイトルでやたらと目に付くのが「徒然・・・」とか「つれづれ・・・」って言うのが付いた日記。もうそれしかないんですか?って言う位多いっす。ウソだと思うならこれどうぞ・・・。

https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=&oq=%e5%be%92%e7%84%b6%e6%97%a5%e8%a8%98&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGHP_jaJP516JP516&q=%e5%be%92%e7%84%b6%e6%97%a5%e8%a8%98&gs_l=hp...0i7i30l5.0.0.0.3075...........0.QaDzCfTLI6g

Google検索で20ページ以上めくってもまだ出てくるってどんだけなんだよ。発想が乏しすぎるんじゃねぇか?と、また世間様に悪態をついてはいけませんな。こいつら全員味方に付けたら市会議員くらいにはなれるんじゃないかって位に多数派だからな。もう徒然党だな。こいつら日々する事が無くて退屈なんだってさ。その割りには日記が書ける程変化に富んだ生活してるんだねぇ・・・。あ、いや、だから悪態をついてはいけないんだって。笑

でもさ、
私なら、やたら多いなぁ・・・って思った時点で変えるけどね。例え私が一番だった!という事実があったにせよ、そこに居座らずに絶対に変えますね。携帯電話(ガラケー)も、今までずーっと店員に「一番の不人気色をください」で、押し通してきた私よ。だから過去に持った携帯の色は初物の淡いブルーだったり、オレンジ色っぽかったり、紫色だったり・・・。(^^;
けど、お陰で公共の場で隣近所の方と全く同じ携帯で同じ色の方とは出くわした記憶が無い。隣近所の人と同じ色の携帯で、同じ内蔵の着信音を設定していた時の事を想像すると、超キモいっすね。多分その場で携帯をたたき割りたくなると思う。少なくともその場で速攻でお金かかってもマイナーな着信音をダウンロードしてきて設定しますな。

そんなこたぁどうでも良いのよ。要は「徒然」と言う言葉を使う奴らよ。あぁ、いや、そうじゃなくて、この日記のタイトルよ。
なんかもう、どうでも良くなってきたからまた後日考えるかぁ。
って、据え置くと、タイトルがデフォルトなので「徒然」並に多かったりして・・・面倒なので検索はかけんとこうっと・・・。笑

ところでさ、
ネットを徘徊していて、たまぁにブログなどで興味を惹く記事を見つけたりして読み入ってしまう事があるんですが、これまたよく見掛ける残念賞で、せっかく言いたい事が良く分かる、とても内容の濃い事が書いてあるのに、なぜかやたらとミスタイプが多いもの。これって気になりだすとやたらと目に付いてしまって、内容がもはや頭に入ってこなくなるんだよね~。
多分ブログの書き込み欄に、思いついた内容の事を記憶が薄れないうちに書き込もうとして、焦りまくりでキーと格闘するもんだからミスタイプが連発しちゃうんだろうけど、とりあえずエディタか何かを使って下打ちしてから、改めて自分で校正してコピペで掲載まで持って行った方が良いと思います。お節介かも知れませんが、私は実は過去に2度程、そういうブログのコメント欄に「ミスタイプが多いですね。w」って言う書き込みをして警鐘を鳴らしましたが、過去2回とも検閲で管理人さんにはねられてコメントは掲載される事なく、またミスタイプだらけの日記は改まる様子はありませんでした。あれはあれでそれなりにプライドを持って日記を付けてるんだなぁと感心はしたけど、その後はもうミスタイプばかりが気になって読む気が失せましたけどね。

で、
私的によく目に付くミスタイプ(誤字)のランキング1位は「確率」を「確立」と打っちゃってる人。大抵は内容も真面目なので余計にシリアス感が無くなってしまいます。「その確立は高くなると思います」とか、知恵袋系で真面目に回答なんかしているのを見掛けると若干笑いが込み上げてきます。あ、今出た回答というのもよく「解答」と書いちゃってる方がいますよね。これも意味が違いますね~。あと、高等な話だけど「何かしてもらう」場合は「させて戴く」と書きます。「何かします」の場合は「させて頂く」であります。あと、「~ください」は「~下さい」とは実は書きません。平仮名でOKです。広告等ではまず書きませんね。書いている広告があったら、多分師匠に教わっていないバカコピー書きが書いたんだよ。あとさ、「おこずかい」とか「こんにちわ」とか、文面の上で書いて欲しくないんだよね。馬鹿に見えるし・・・。あ、また悪態を・・・。笑
じゃあ一つ試しに。「新潟県小千谷市」を一発変換で打ってみようぜ。え?できない?そもそも読み方が分からないって?勘弁してくれよ~。

今年は花期回りが早いので。

2年程前に葛城山のツツジを撮影に行ったのですが、それが5月17日になっていて丁度ピークだった。
今年は5月3日現在ですでに蕾が赤く膨らんでいるという状況で、もしかしてと思って白毫寺の九尺藤の情報を見てみると、ライトアップも4月29日から始めており、なんとすでに見頃になっているという事だった。
桜の花期が1週間程度早いと思っていたが、今現在では大体2週間程早まっているようですね。環境保護マニアはすぐに地球温暖化を持ち出すかも知れませんが、地球温暖化が問題だとはこれっぽっちも思っていない私はそんな風には思いません。ただ、前年がエルニーニョだったので、その続きからそういう年回りになっているだけだと思う。大体こういう年の夏は長い・・・。
花期が2週間早まるのと連動しているとは言わないんですが、私自身の撮影テンションの下がり方が、もう既に梅雨前位にまで下がっている・・・様な気がする。
とにかく撮影が面倒臭くなる。どんな写真を見せられても、あまりパッとした気分になれない。魚釣りとか別の趣味に力が入り出すと言った兆候が顕著に出てくるのさ。笑
福島から帰ってきた辺りから、そんな気分が支配的になってきたというか・・・もう、気分は休眠というか・・・。

今月も、有難い事にお誘いをいただいて連休明けの頃から白馬村へ行く事になっていますが、撮影のテンションがいまいち上がらないんだよね~。温泉三昧で終始しそうな雰囲気満々です。ただ、白馬村は皆が忘れてしまっているかも知れませんが、もの凄い地震の被害があった村でもあります。その爪痕が今も残っているなら、そう言うのはバシバシ撮影してきたいと思います。後世に残るのは写真のみです。これについてはまた詳しく私見を述べたいと思います。

月末には、首都圏は横須賀沖にポッカリと浮かぶ無人島「猿島」と言う所への撮影行にお誘いを戴いておりまして、有難い限りでございます。聞くと関西の友が島のように旧日本軍の砲塁などが残っているとの事ですが、友が島ほど寂しくはなく、結構レジャーランド化されているような雰囲気です。で、そんな所へ私が行って、一体何を撮りましょうや・・・?と、既に思案六歩をしている所であります。それ考えると、また寝られなくなっちゃいますねぇ・・・。