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能登半島地震から南海トラフ地震が起こった際の現実を想像してみる。

まずは、今般の能登半島地震で亡くなられた方のご冥福と、被災され、今なお不自由な生活を余儀なくされている大勢の方々の一刻も早い生活の再建をお祈りいたします。
時は1月1日16時06分。
私も例に漏れず家内側の毎年の恒例行事である、いわゆる「里帰り」をして、義妹夫婦や孫達も集まり、一族でお正月を楽しんでいる一人でありました。場所は大阪の北部ですが、突然三階建ての新築の家(私の家じゃないよ)が大きく揺さぶられるような感覚を覚えました。
「地震!」
と咄嗟に思った私は、最初の初期振動の間の10秒ほどの時間に出来る事、つまり扉を開けて、玄関を開け放ち、外へ飛び出し自分が停めた駐車場(広い所がそこしかなかった)へ逃げようとしたら・・・。
なんと我が一族はもちろん、住宅街のご近所さんも誰一人私と同じ行動を起こした人はいませんでした。
でも、まだ揺れます。地面が大きくうねるのを足の裏に感じました。ここまでで10秒位でしょうか。私は再び皆がいる二階に駆け上がり「逃げるぞ!」と呼びかけましたが、皆は本当に逃げるかどうか様子を見ている感じでした。
人は地震が起こった際の予備知識はたくさんあるようですが、実際に起こると、基本的に家のどこかしらを探すように見渡して、身体は動かなくなる生き物のようです。震源に近い能登半島ではもっと短いほんの数秒の初期振動(地震用語では初期微動)時の判断行動で生死が分かれた方も大勢いたと思われます。
つまり、震源地が大阪で震度6以上の地震であったなら、私以外の家族、親戚一同は家の下敷きになって死亡か、がれきに閉じ込められるかの目に遭っていたと言う訳です。戻ってしまった私も死んでいた事になりますけど・・・。幸いにも地震は最大震度3で収まり、事なきを得ましたが、私は今でも言います。あの時あんたらは死んでいたと・・・。私は阪神淡路の震災を始めから最後まで経験しましたので、家鳴りがしたら脊髄反射的に行動を起こすようにしています。なぜなら、潰れる家から逃げられる時間は、ほんの数秒しか無い事を今も忘れる事無く覚えているからです。あの時は私の居住地域では最大震度5(まだ強弱判定は無かった)でした。大阪北部地震では震度4でしたので、阪神淡路の地震の揺れは後にも先にも私の貴重な経験則となっています。
さて、
今回の能登半島地震では、立地的にやはり津波(世界共通語)の被害を被った地域がありました。輪島市から禄剛崎に至る道路を走った事のある方なら知っていると思いますが、結構な高さの断崖絶壁が続きます。が、禄剛崎を過ぎると断崖が無くなり、海沿いに出てきて、漁業を中心に生活を営んでいる様子がよく分かるのどかな村風景が見られました。しかし、今回はその地域が津波に呑まれたのは何となく推測できました。後の話では14分後に高さ5mを超える津波が押し寄せてきたとの事。未だに混同されている方が多いみたいなのでここでも言っておきますと、「津波」は台風などの気圧変化で起こる、どっぱーん!と防波堤や岩肌で砕ける「高潮」とは全く違います。津波は断層のズレによって海底の高さが変わり、海水の許容量が変わる事で海水が動き、塊となって押し寄せてきます。つまり海で洪水が起こると思ってください。海水の塊は黒い濁流となって防波堤そのものを呑み込むように乗り越えてきて、そのままの勢いと高さで街を呑み込みにかかってきます。水の塊が一定量、陸地を呑み込むと、街を呑み込んだ海水の動きは一旦止まります。この止まる時間は数秒だと思ってください。その後に今度は色んな物を呑み込んだ引き波が高台の方からなだれ込んできます。木造の家屋ではまず耐えられません。津波は海の洪水ですから、これが数十分から平野部では1時間以上続きます。ドドドド・・・という感じですね。その後、変わり果てた我が町を見ることになるでしょう。海沿いや平野部に暮らす方は思い違わずに知っておいてください。とにかく地震が来たら逃げることです。結果的に震度2で無被害ならそれはそれです。それで慌てて逃げたと嗤うような奴は、大震災の時には必ず死ぬかがれきに閉じ込められる人ですから放っておけば良いです。地震が起こって「様子を見る」なんて行動はあり得ません。とにかく揺れたら逃げるんです。それが正解なのです。
で、
以前から声高に言われている「南海トラフ地震」について考えてみましょう。私はこの地震の予知は富士山の噴火や首都直下地震と同じ位のオカルト的な話だと言っています。今もその考えは変わりません。なぜなら、このどれもが今までの大地震と呼ばれる物とは桁が違っている「破滅的災害」だからです。場合によっては日本国家の存亡にも関わってくる大災害です。
日本は大大阪時代と呼ばれた関西の発展に対する、単なる東京役人のプライドで長らく推し進められてきた東京一極集中という愚かな考えを未だに改めることが出来ていませんので、東京が壊滅すると日本の全機能は停止します。富士山の大噴火も首都直下地震もこれを実現してしまう災害ですので、とりあえず置いといて、では南海トラフ地震が実際に起こるとどうなのかで考えてみます。
地震学者によって、災害規模が色々と語られているようですが、私が読み漁った予測の感じでは以下の感じです。
九州の南東部、つまり鹿児島、宮崎辺りから関東の千葉県に至るまでの太平洋の海沿いで最大震度7、内陸部でも震度6、京都市のような内陸盆地でも最大震度5強となっています。その後、高さ17m~30mの津波が押し寄せて宮崎市を中心に九州南東部は壊滅。四国は高知県は水没、徳島県も水没、和歌山県も沿岸部は全て水没。大阪平野も神戸市から南は全て水没、淡路島は消滅。大阪市は辛うじて上町峠のてっぺんにある大坂城の屋根は水没を逃れる感じでしょうか。更に淀川を遡上する津波は高槻市辺りにまで及びます。大阪湾で反射増幅した津波は高松市や岡山市、広島市、愛媛にも及びます。三重県も熊野灘を中心に水没。名古屋市は消滅です。静岡県も富士山が残るくらいでしょうか。横浜市も消滅。東京都は津波被害は少ないかも知れませんが液状化で壊滅、千葉県は消滅です。
日本の人口の約半数がこの時点で失われるのではないでしょうか。残りの被災者は、来ることもない支援物資と救助隊を待ちながらも結局食糧不足で一定数の方は死亡します。その後疫病や感染症が広がってけが人なども結局死亡します。日本の産業はほぼ失われますので経済は超インフレになります。スーパーからは物が消え、水や電気の供給もか細くなってゆくでしょう。つまり被災しなかった人もその後じわじわと押し寄せる現実に狂おしい運命を任せる事になります。そうです、生き残れたからどうだ、家が無事だったからどうだという話ではないのです。救助や復旧する人もいなければ、それを指揮命令する物もないのですからそうなります。日本の大都市がほぼ太平洋側に沿って存在している事と、日本の人口の約8割がそこにいるという事実を踏まえれば、南海トラフ地震が如何に破滅的な災害かがご理解できますでしょうか。これに対して「防災グッズは持っておきましょう」とか言ってる方の話って、まるで機関銃で攻めてくる敵に竹槍で立ち向かえと言っていた戦争末期の大本営のように私には見えます。
人がこのような災害に遭うと一瞬で文明を失い原始の生活を強いられます。しかし現代人にはこの地上で獲物を得て生きる術を失っていますので、国家と各自治体が主体となった救済が必要になります。各個人に対しては風雨を避ける施設、つまり体温を維持できる設備です。そして水。更にトイレ。食料はその次くらいかな。全体としては治安の回復維持、道路の復旧、各インフラの復旧となります。
さて、上記の災害状況において、これらをスピーディにできる体制が取れるでしょうか。今までの震災では複数の大都市が一挙に失われる事はありませんでしたから、時の政府は何とか凌いでこられましたが、この破滅震災ではそもそも救助に向かえる部隊その物がほぼありません。もしかしたら政府も機能麻痺に陥っている可能性もあります。
本当に南海トラフ地震が、予測通りに2035年を中心に±5年以内に起こるのならば、国家はもっと深い視点から災害対策を練っておかなければならないのではないでしょうか。今回の能登半島地震の初動体勢を見ていると、阪神淡路の震災以降、色々と整ってきたとは思う物の、経験値としては南海トラフには遠く及んでいないように見えたのは私だけではないはずです。能登は立地条件がどうとか、日本の孤島のような地だとか言う向きもありますが、そんなのは言い訳です。災害の来る日は待ってはくれません。南海トラフは破滅災害です。安全地帯など無く、何らかの形で国民全員が影響を受けます。誰も逃げることは出来ないのです。国家が真剣に南海トラフや富士の大噴火、首都直下地震に向き合わない限りは、私は一国民としては「ただのオカルト話」と言い続けるつもりです。