遅らばせながら、日曜劇場「アンチヒーロー」をやっと見終わりました。私はドラマは大体録画して一気見なもので・・・(^◇^;)
詳細な内容については例の如くネタバレになるので極力触れない事にしますが、どう言うドラマかと言いますと主人公はヤメ検(元検察官)で現在弁護士をやっており、検事時代に自白を強要し、死刑に追いやった人物が実は冤罪だった事を知り、再審・無罪を勝ち取る為に、その証拠につながる人物を無罪にしたり、検察の不正を暴いたりして救い出そうとするが、最終的に立ちはだかってくるのが、その自白を迫るように仕向けた当時の主任検事で現在は検事正となっており、地位や立場を利用して様々な妨害を仕掛けてくる。それに真っ向から立ち向かってゆくという話。
ヤメ検弁護士側は、最終目標である冤罪者を救い出す事に専念しているが、検察側は最初は日本の司法の根幹だとか威信だとか宣うが、それが段々とメンツになってゆき、最後は検事個人の出生欲というか個人的な感情がむき出しになって姑息な手段で弁護人を妨害するという、何とも現実にもありがちなスジです。
実際にこんな事があるのかというと、はっきり言って無かったら冤罪なんて生まれません。警察と検察というのは「疑わしきは被告人の利益に」等という考えは一切なく「疑わしきは疑われるだけの理由がある」という考えに支配されていると言っても良いでしょう。だから警察や検察相手に「話せば分かる」等と考えるのは被疑者としては愚の骨頂です。彼らが被疑者に求めるのは「犯罪を犯したという自白」のみであり、それ以外の事には一切興味がありませんし、耳を傾けようとはしません。これが日本の警察行政と司法の最大の問題点です。刑事裁判(公判)に至っては実はもっと腐っています。検察が被疑者を公訴(起訴)するのは、全件のうちの約50%と言われています。この1/2の公訴の門を通ってきた案件なのだから被告人は犯人だという先入観を持って判事は席に座る事が往々にしてあります。また判事と検事の交流も盛んで、判事と検事がズブズブの関係だったりする法廷も実際にあります。しかし敏腕の弁護人によって有罪が怪しくなり、無罪が濃厚になってくると地裁や高裁の判事風情はどうするかというと
「とりあえず有罪判決」
という事をしてきます。これが起訴されれば99.9%有罪となる理由にもなっています。「疑わしきは被告人の利益に」等という事は一切守られておらず、また刑事裁判では絶対的な客観的証拠を検察側が示さない限りは有罪となる事はあり得ないというのが先進国の司法の常識ですが、日本の法廷ではなぜか被告人側が「無かった事を証明」しない限り無罪とならないという、本末転倒な事をやっているのが現実です。
「無かった事の証明」
これは悪魔の証明と言われ、不可能と言われています。
詳細を知らない人が意外に多いので敢えて記しておきますと、例えばあなたの部屋にはばい菌がいますという疑いを掛けたとすると、ばい菌がいる事を証明するには部屋の適当な場所を調べてばい菌が検出されたら証明された事になります。これは簡単。一方でいない事を証明するとなると、部屋中をくまなく調べなくてはなりません。それでも尚、ばい菌はいるかも知れません。つまりばい菌がいない証明は事実上不可能なのです。これが「無かった事の証明」=悪魔の証明と言われる所以です。
この悪魔の証明をさせるように検察官と判事は弁護人側に求めてくるように仕向けてきます。これでは疑わしきは被告人の利益にと言った大原則は守られる事はなく、ただただ冤罪をうむ温床になるだけの事です。これが私が長年「日本の警察と司法制度は腐っている」と言い続けている理由です。
検察官と弁護人の論争や証拠が拮抗しており、有罪か無罪かに迷ったら判事は「とりあえず有罪」を言い渡します。判決文はなんとでも書けますからね。それでいて「上訴してね」という話でまとめます。なぜなら判事は無罪を言い渡すと出世に響くからです。彼らの最終目標は最高裁の裁判官になる事ですので、彼らにとっては取るに足らない事件で無罪をだしている余裕なんてないのです。検察官も同じで彼らの最終目標は高検の検事長、果ては最高検の検事総長です。多少の証拠隠滅をしてでも有罪に持って行かないと出世街道から外れてしまいます。ここに検察官と裁判官の利害が一致する部分があるんですね。
このアンチヒーローというドラマは、この日本の司法制度の腐った部分を、一人の検事正に焦点を当てる事でぎゅっと凝縮して実に上手く描いていると思います。弁護人側が殺人犯を無罪にして証拠集めに利用したりもしますが、言い換えればそれくらいの事をしないと原判決や再審で覆す事は出来ない事も描かれています。
有罪率99.9%
これは異常な数字です。自白は証拠の王様等という江戸時代の捜査手法を行なっている警察も異常です。これを賞賛している人間も世の中にはいますが、これを続けているとどういう弊害が出るかというと、日米地位協定の見直しによって米兵等の犯罪者を自国の法廷で裁けないという状態がこの先も続くという事です。強いては沖縄などの基地周辺で起こる強姦事件などの犯罪者を日本で裁けないという事になります。天に吐いたつばが自らの顔を汚すとは正にこのことです。私が米国の担当者でも今の日本の司法に自国の人間を晒すような事はしないでしょうね。
というわけで、そういった意味合いも理解した上で、もう一度このドラマを見直すと、もっと色んな物が見えてくると思いますがいかがでしょうか。