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越前大野城の雲海が奇跡の光景と呼ばれる所以は・・・。

山上にある古城が雲海に囲まれ、あたかも雲上に建っているかの如く見える、いわゆる「天空の城」の光景って、本当に目にした時は現実かと疑うほどに美しく、浮世離れした物ですよね。
そんな「天空の城」状態になるお城は、実は日本中の至る所に点在しています。私が始めて見たのはカメラを始めて間もない今から40年以上も昔の話で、霧に包まれた津和野城跡の姿でした。当時は今ほど情報が氾濫しておらず、Googleマップのような物もありませんでしたので、こういった写真は正に、知る人ぞ知る人が撮ってくる写真という感じでした。しかし雲海に浮かぶ・・・という感じの物ではなく、城跡が霧に巻かれているという感じの写真であったと記憶しています。しかし、その姿は脳内で美化されつつもその後も忘れる事なくずっと引きずっていました。

「いつか霧に巻かれる津和野城跡を撮りに行ってみたい・・・」

そう心のどこかに秘めながら、デジタル一眼レフを手にした数十年後に私はインターネットの片隅で雲上に浮かぶ城跡の写真を見る事になります。それが日本のマチュピチュという名で売り出していた竹田城跡の天空の城となった姿の写真でした。地元の写真家がコツコツと撮り集めては、展示会や写真集を出版されていたようですが、当時はそれほど有名にはなっていませんでした。私は津和野城跡への思いがこの時に弾けたんだと思います。朝来にこんな風景が見られる城跡があったのか・・・。そこから私の雲海と城を撮り集める日々が始まります。
まず目標に立てたのが、四季の竹田城跡を同じ場所、同じ機材で撮影して組み写真にすること。これは冬の風景の撮影が非常に過酷で撮影に至るまでに4年の歳月を費やしました。当時は今のように立雲峡の撮影地までの山道が整備されておらず、踏み分け道を迷いながら登るという感じで、冬は道が雪で無くなる為、熟知していないと遭難するような山でした。その後ですね、とある映画を切っ掛けに竹田城跡が一気に全国区になったのは・・・。

次に目標に立てたのが、これは自分定義かも知れないのですが、以前から特に雲海風景で有名であった竹田城跡、備中松山城、郡上八幡城、越前大野城の雲海四名城の組み写真を撮る事にしました。比較的簡単に撮れたのが郡上八幡城と備中松山城でした。前者は雨上がりに行くととりあえずガスっていると言う事を知っていたのと、後者は竹田城跡と条件がほぼ同じだったからです。実際にそうでしたので、竹田城跡である程度ノウハウを積んでいた私には、割と簡単に好条件で撮る事ができました。
さて、一番の難題は雲海発生条件が不明で、年間平均16回しか天空の城にならないと言われてた越前大野城でした。今もたまに発生確率を聞かれることがある竹田城跡でも年間70~80回と言われていますので、年間16回という数字がいかに少ないかがお分かり戴けると思います。しかし、桜の撮影に一旦の終焉を付けた三年ほどの間を置いた頃、私は雪景色を絡めた撮影をあちこちでしていたわけですが、たまたま雪の無い春の大野市へ訪れた際に、地元のお寺の方に「皆さん雲海を撮りに来られますけど、雪景色となった真っ白の越前大野城も綺麗ですよ」という情報をくださいました。雪景色は当時の私のライフワークのような感じでしたので、次の冬にその姿を撮りに来てみようと予定を組みました。で、年が明けて春も間もない3月初旬でしたでしょうか、豪雪地帯ですので大野市はまだ雪の残る時期でしたが、越前大野城へと向かいました。
ところが、天気予報が外れて雪ではなく雨が降ってくると言う・・・(~_~;)
これでは雪がなくなってしまうでは有りませんか。等と思いつつ大野市に着いたら雨は上がってたものの薄い夜霧が張った状態。しょうが無いので撮影地への出発予定時刻までの2時間ほどを仮眠しましたら、なんと目が覚めると周囲は見えないほどの濃霧に・・・。(^◇^;)
少し慌てましたが、経路は春に下見済みですので写友と撮影地までのまだ暗がりの山道を登りました。大体30分ほどで到着する道程です。撮影地には地元の方が既に15人ほど来ており、カメラを構えたりしながら夜明けを待っていました。
夜景を撮る方もいましたが、全員の狙いは越前大野城の奇跡の天空の城の風景です。
その時は、ホワイトアウト状態となった夜明けと共に訪れました。
めまぐるしく変わり移ろぐ雲海が、時に撮影地を霧に巻いたり、城を隠したりします。その様は竹田城跡のそれとは明らかに違っていました。激しく動く雲海が、越前大野城を浮かび上がらせた瞬間を撮影するという状況で、のんびり眺めている時間なんて無いことを知りました。そう、雪景色を撮りに来た私は、気が付くと勝手に不可能と思っていた天空の城の撮影をしていたのです。その日、目まぐるしく動く雲海が越前大野城を天空の城に仕立てた回数は、間30分を置いての5分程度の時間が二回でした。同撮していた十数人の地元カメラマンさんの話では、「今日は破格の待遇だった。こんな日は滅多にないよ」と口を揃えて仰っていましたので、見られた時でも数分が一度きりというのが普通なのだろうと容易に想像できました。特に声を上げて喜んでいたのが福井市内から通い続けて2年目でやっと見られたという5、6人の女性グループでした。私は春の下見を入れて二度目の来訪で、写友は初来訪でしたので、目を丸くしましたが、ほど近い所に住まわれる地元の方達でさえそれほどまでに見る事が難しい雲海風景なのだと、その時実感した覚えが今も新鮮に残っています。

ところで、
インスタで越前大野城を検索すると、夜景や雲海風景など、今や色々な光景の写真が出てくる昨今となっていますが、バリエーションが増えた分、実際に見た事が無い方にとっては、「越前大野城の奇跡の雲海風景」の何が奇跡で、何が正解の雲海風景なのかが分からない状況となっているのではないでしょうか。中には「私も越前大野城の雲海風景ならもう見た」と思っている方も、実際には「奇跡」と呼ばれるに至っていない可能性もありますし、その逆に「奇跡の風景」を見ているのに、「夜景の方が綺麗だし、こっちの方が奇跡だよね」と思っている方もいるかも知れませんので、越前大野城の奇跡の雲海風景の正解を書き留めておきたいと思います。
越前大野城の周りには、雲海を発生させる大きな河川や湖沼と言った物がなく、城山の周辺の盆地は住宅地と田畑が入り交じって混在しているという土地柄で、つまりはこの周囲の田畑が前夜までに「蒸発できる水」になった状態で、土地が多分に湿っているという状況が広範囲に渡って出来ていると、夜間から朝方の温度差によって徐々に水蒸気となって地面より湧きだし、一気に気温差が生じる朝方に雲海となって盆地を覆い尽くすのがメカニズムだと思われます。気温は大体午前4時頃に最低になり、そこから徐々に上がり出しますので、霧もその頃から顕著に湧き出すのは竹田城跡でも同じと言えるでしょう。ただし安定して霧を作り出せる河川や湖沼がありませんので、越前大野城の雲海は常に安定せず、四方八方から吹いてくる風に影響を受けやすい為、目まぐるしく雲海が動き、時にはホワイトアウトをしたり、城山を隠してしまったりと、猫の目のように落ち着かない訳ですね。しかし、そんな大野市も豪雪地帯ですので、春の近い冬場に行きますと「雪」という水分が街中に大量にあるわけですから、実は秋よりも冬の方が薄かれ濃かれ霧が発生しやすい状況にあるという事は言えるかと思います。要は普通の霧なら雪の残る春先や、翌日が晴れる冬場に行けばそれなりに見られる可能性が高い訳です。では梅雨時はどうなのかと言いますと、朝方に気温差がそれほど生じないので、雲海と呼べる濃い霧に発展する可能性がない訳ではないが、可能性は薄いと思います。秋の方が可能性を感じますが、雨次第という事になるのでしょうか。

結論を言いますと「こういった霧に巻かれただけの越前大野城は「奇跡の雲海風景」とは言いません。

次に、「見た!撮った!」と勘違いしてしまいがちなのが、城山が雲海には浮いているのだけれども、手前の下町が透けて見えてしまっている状態です。これを地元カメラマンさん達は「よくある残念賞」と呼んでました。

確率は365日にたった16日しかない風景です。そう簡単には見られる風景ではない事をもう一度思い出しましょう。
では奇跡の天空の城とは、どういう状況になった時なのか。
正解は・・・
「雲海が越前大野城の城山全体を含む大野市の盆地全てを覆い尽くした後、天守閣の上から見えるように徐々に雲海の高さが下がってゆき、城だけが雲上に浮かぶ状態を作りだした時」
です。
これこそが365分の16の奇跡と呼ばれる越前大野城の天空の城の光景です。
これは実際に私と写友が目の当たりにしましたし、地元のカメラマンさんや足繁く通ってやっと見られたという方々が実際に言っておられた事ですので間違いはありません。なので、ホワイトアウトが晴れて眼前に雲海が全てを覆い尽くした風景が現れた時、その場は静まりかえって、地元の方達は祈るような眼で雲海の動きを見守る瞬間がありました。「上から晴れてくれ・・・」という小声も聞こえてきました。
ファイル 186-1.jpg

私が見たのは次の瞬間、雲海が下がり天守閣の屋根から徐々に姿を現す越前大野城の姿でした。「きたーー!!」と誰かが声を上げたような気がしましたが、その瞬間カメラマンは歓喜の声を堪えてシャッターを打ちまくり、観客は歓声を上げ、抱き合って喜ぶようなお祭り騒ぎのような状態になった記憶が残っています。
ファイル 186-2.jpgファイル 186-3.jpg

私はほぼ初手でその光景を見られた為、やや感動は薄かったのかも知れませんが、その分だけ落ち着いて感動の風景を目の当たりにする事ができた気がします。と同時に「奇跡」と言われる所以もその場の雰囲気で知る事ができたと思える部分もあります。
ちなみに下から晴れて天守よりも先に城下の街が透けて見えてしまうのは、とてもよくある事だそうで、地元のカメラマンさん達が「残念賞」と呼ぶ理由はそこにあるようです。
ところで、この奇跡の光景を見る場所は、越前大野城の向かいの山からのみです。ここから少し遠い位置からも俯瞰する場所がありますが、離れると雲海は濃く見えますし、位置が高い為、撮影場所が霧に巻かれる事もほぼ無くなるので、理論的にも実感的にも実は難易度が下がります。これに文句を言う写真家や観賞家の方もいるかも知れませんが、竹田城跡の天空の城を、別山の金梨山や大倉部山からの写真を持ってしてもさして話題にならないのと同様、もっと言うと三保の松原と一緒に見る富士山が世界遺産であるのと同じく、越前大野城の雲海風景は、先人が初めて見た向かいの山からの雲海風景それこそが奇跡なのです。私は奇跡の光景を語っているのであって、写真や作品としての完成度は始めから語っていませんので悪しからずです。
 
いかがでしょうか。
これが正解の越前大野城の雲海風景です。
SNS等でも今はたくさんの写真が上がっていますが、この「正解の風景」となるとその数はぐっと減ります。
是非一度、この越前大野城の雲海風景を見てみたいと思っていらっしゃる方は、この正解を参考にしてぜひ出掛けてみて欲しいと思います。
また、過去に現地へ赴き「見た!撮った!」
と思っていた方も、ここを読んで実は奇跡には出会っていないかも知れないと思えたならば、諦めずにこの冬、越前大野城の奇跡に継続チャレンジされてみてはいかがでしょうか。本当の奇跡に出会った時、人はどう感動するのか、自分はどう感じるのかを知る事が出来るのも貴重な体験になると思いますが、いかがでしょうか。

ちなみに私は、贅沢な話かも知れませんが、雲海風景しか撮っていませんので、やはり真っ白な雪に覆われた越前大野城を撮りたいと今でも思っています。
自然は気まぐれで、幾重にも重なった偶然が創り出す光景を偶に見せてくれるのですから本当に面白いものです。
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