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中だるみしまくりのゾンビドラマの合間に・・・。

FOXテレビの人気番組ウォーキングデッド・シーズン7も11話まで進んできたが、話が脇道に逸れたり、伏線張りが多かったりで、中だるみしまくりだ。いつぞや見たターミネーター・クロニクルのシーズン2のようにテレビのライター(?)が物語を細かくし過ぎて一周回って何のドラマだったか訳が分からなくなってしまい、その間に視聴者に飽きられてしまい、なんとシーズン2の最中に打ち切りになってしまった事があったが、何だかあれに似た経過を辿っているのが気になる昨今だ。
 
そんな中だるみの最中、世の中が21世紀になるちょっと前に公開された映画「秘密」のドラマ版を機会があって見てみました。これは今は著名な東野圭吾氏がメジャー作家として一気にジャンプアップするきっかけとなる物語で、この映画版は広末涼子、小林薫、岸本加世子が演じておりましたが、これのリメイクドラマ版があったとは恥ずかしながら最近まで知らなかった。2010年にリメイク版としてドラマ化されており、出演は志田未来、佐々木蔵之介、石田ひかり辺りが中心人物となっている。ちなみに私は原作を知らないので、映画版とドラマ版だけで話を進めます。
内容については映画、ドラマと辿っているだけあって、かなーり有名なようなので、わざわざここで書かなくても良いような気がしますが、知らない方のためにざっくりと言うと杉田平介(佐々木蔵之介)と直子(石田ひかり)は30代後半の夫婦で16歳の一人娘・藻奈美(志田未来)の三人家族という初期設定。
直子と藻奈美が平介を留守番にして帰省する途中で、バスの転落事故に遭い、二人は瀕死の重傷を負う。
平介が駆けつけた時には直子は青息吐息で、藻奈美は体傷はほぼ無かったが意識不明という感じ。
平介の見守る前で、直子は藻奈美の手を握って息を引取る。
その後、藻奈美が意識を取り戻すが、中身は藻奈美ではなく直子の人格になっていた。
かくして、アラフォー夫の平介と娘の身体をしたアラフォー妻・直子の奇妙でいびつな夫婦(親子)物語が展開される・・・。
という感じ。
非常に面白い設定で、映画版をレンタルビデオ(DVDじゃない所が時代だな)で見た時も、結構引き込まれた記憶がある。何よりも映画版は本当にチョイ出しかしない岸本加世子が、物語全般にわたってその存在感を響かせていたのがスゴかったと言う記憶があった。もちろん夫婦という設定なのであっちの表現も盛り込まれている訳ですが、まだ18歳とうら若かった広末涼子が小林薫に布団の上でぱんつをはぎ取られるという1つ間違えると犯罪という場面は、今も語り草になっているようだ。(実際は剥ぎ取ってないよ・・・。)
そんな艶めかしい場面も含まれるこの物語をドラマ版として佐々木蔵之介と志田未来が全9話に渡って演じているわけですが、驚いたのは当時リアルでも16歳だったはずの志田未来の演技力だ。時折見せるミステリアスな視線や表情の中に、母親役の石田ひかりの存在を感じさせる辺りは、とても16歳の女の子の演技とは思えないリアリティ溢れる名演だったと思う。それだけに映画同様に物語の流れに引き込まれて、久しぶりにドラマ一気見に至った次第だ。さすがにドラマ版は全9話=9時間だけあって、描写も設定も人物相関も細かく描かれており、物語は無理なくソツなく進んでゆく。映画版が何となく消化不良だった方はドラマ版を見ると、多少は納得が出来るかも知れません。
 
ある一点を除いては・・・。
 
そうなのよ。この物語はとても悲しくて、面白くて、切なくて・・・という名作だとは思うんですが、どうしても納得できないというか話に無理を感じる点があるんですよねー。映画、ドラマと共通して色々と評されている内容を見ると、全てはこの一点に集約されるのではないかと思えます。
それは・・・。
 
ここからはネタバレというか物語の最後を書く事になるので、まだ見ていない方はここで止めておきましょう。それでも良い方は読み進めてください。
 
物語の途中はエピソードとしてどうでも良いとして、最終的にバス事故によっていびつな夫婦になってしまった平介と直子の行く末は物語としてどうなるのかという点に興味は絞られてゆく訳ですが、映画版もドラマ版も最終的には直子の人格があの世?から戻ってきた藻奈美の人格に取って代わられて、直子に本当の小夜奈良が訪れるという事になっています。早い話が事故直後から意識不明→植物人間状態になっていた藻奈美の意識が無い間、直子の意識が入り込んで憑依する形で藻奈美の身体を動かしていた・・・という設定その1。私的にはこれでそのまま終わっていたら、デミ・ムーアのゴーストを思わせるような、なかなかしんなりとした名作であったと思います。
 
しかし物語はここでは終わらず。作者・東野氏は余計な事をします。(笑)
 
藻奈美の意識が帰ってきたと言う体で、直子の人格が薄れてゆく・・・と言うのは実は直子の演技で、藻奈美は実は帰ってきておらず、直子は藻奈美として生きてゆく・・・という事をします。
私的にはこれもOK。人格が移る・・・という時点でファンタジーなんだから、別にこんな所で現実味をだす必要も無い訳で、平介も直子も、お互い未来ある人生を送ってゆくにはこの方法しか無い・・・という悲哀に満ちた二人の相愛を描いた話であると解釈できるので、物語としては全然OKだと思う。むしろこの方が涙がちょちょ切れるような話で完成度も高いと思う位だ。
 
しかし・・・。
 
問題はこの藻奈美(直子)のラストを飾る結婚相手だ。
こーーれが、どうしょうもなくこの物語の質を下げているというか、見た者の不納得な解釈を導き出す結果となっている。
まず、映画版では藻奈美(直子)が結婚する相手は、事故を起こしたバス運転手の息子(金子賢)。これはどう考えても・・・話の何がどうなってどうひっくり返っても、この設定だけはあり得ないですね。だって藻奈美の中身は直子なんだから、娘を目の前で殺されて、自分も殺されて、夫とも別れなければならない事故を起こした人間の身内(息子)を、結婚相手に選びますかね?
親の墓参りって言うか、盆と正月が来る度に、直子はその事を思い出しては恨みトコブシの人生を送らないといけない訳で、ましてや中身が直子だと気付いた平介にとっても、その後も親子関係としては続く訳ですから、やっぱり心情としてはあり得ないですね。
ドラマ版は、このどしょうもない設定を多少薄めるためか、事故を起こした運転手の実の子ではなく、元妻に「あなたの子よ」と騙されて(途中まで)育てた子という設定になっており、それが平介の会社に就職してきて藻奈美(直子)と出逢って・・・。いやいや・・・、それでもやっぱり無理がありますねー。中身が直子である以上は、事故った運転手の親類縁者、関係者の類との結婚はあり得ませんって。このエンディングを可能にするのは、事故直前から記憶が無いという「帰ってきた藻奈美」が本当の藻奈美であった時だけに、辛うじて通用する設定だ。その場合は平介と息子が事故運転手との関係を一生黙っておく必要がありますけどねー。でもそれならそれで感動はないけどタイトルの事もあって、多少は納得のエンドとなりますけどね。笑
いずれにしても、このしょうもないラストの藻奈美(直子)の結婚エピだけが超余計で、折角の名作もあり得ない話にしてしまっているのが誠に残念。実際に出かけた涙も一気に逆流して乾いてしまう程に醒めるぞ・・・。俺の9時間を返せとまでは言わないが、同世代の娘も息子もいる私には、想像をするだけでも決してあり得ないと瞬殺できる程、あり得ない話だ。実はドラマ版を見てみる気になったのは「リメイク」というワードが踊っており、もしかしたらあの不納得なラストが変わっているのかも知れないと期待したからだったが、作者も製作スタッフも最大のオチと考えているのか、結局変わっていなかったのが本当に残念だ。元々はファンタジーな話ではあるが、ここに至ってまでのファンタジーは不要である。
できれば、もう20年程したら、この設定だけを練り直して42歳になった志田未来を母親役でカメオ出演させて、もう一度リメイク版を見てみたい作品だ。
 
あ、でも20年ってなると、私の寿命が危ういな・・・。(;・∀・)
今日は、カメラと関係なく、残念な名作という感じで1話裂いてみた。たまにはこういうのもいいんじゃないかなーなんて。