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あなたは、何の為に写真を撮るのですか?

タイトルの通り。
ものすげーテーマな風なタイトルなんですが、とりあえず本題は置いといて、その前にお聞きしたいです。特に一眼レフでガチ写真を撮り続けている方、撮りたい方にお聞きしたい。
 
「あなたは何人の写真家さんを知っていますか?」
 
私は、実際にお会いしてお話を交わしたのは、お名前は出せませんが誰もが知る写真家さんでは2~3人ですかね。
名前だけ知っているのは、若い頃に憧れた浅井愼平氏で、その他には宮沢りえのセミヌードを撮った事で一躍有名になった篠山紀信氏、モデルさんの露出度が過ぎてしまい、犯罪になってしまった加納典明氏は有名なので知っている感じです。基本的に有名な写真家さんと言われても私はほぼ知りません。
今度は今風に言いますと、例えばインスタ等のSNSで何万人ものフォロワーがいて有名だとか、要はネットでは特に有名カメラマンですって言われても、正直全然ピンときません(笑)。
もしかしたら若い頃からデジカメになった今も、割かしあちこちにカメラ持って出掛けている私なので、もしかしたらそのスジでは超有名な写真家さんに隣り合って、話も交わしているのかも知れませんね(笑)。

さて、本題です。
「あなたは、何の為に写真を撮るのですか?」
これって、改めて考えると人によったら我に返ってしまうと言うか、ちょっと立ち止まって考えてしまう質問ですよね。飯のタネにしている方は答えは簡単だとは思いますが、趣味の延長線上で撮っている方は、案外答えに困ってしまう質問ではないでしょうか。
写真家って、別の言い方で言うとフォトグラファーとかカメラマンとか言ったりしますけど結局どれも同じです。それぞれの立場や、ちょっとした考慮で自己の肩書きを付けているのだと思いますが、要は何の為に撮っているのか・・・。
実はこの答えを明確に持っているかいないかで、写真を撮るという事を長く続けることが出来るか出来ないかが別れると私は思っています。なぜなら・・・
  
「あなたの撮っている写真も名前も、結局は何も残らないから」
 
です。
そう、素晴らしい瞬間を写真に収めようと、どんな大きな賞を獲得しようと、どれだけそのスジで有名になろうと、SNSで何人のフォロワーを集めようと、最終的には何も残らないのです。最新の機材を用いて、アイデアを生かして、最新のパソコンとアプリで今をときめく写真を練り起こしてネットなりに公表して、それなりに評価を得たとしても、1ヶ月もすれば皆忘れて、その写真は1日数十億枚とも言われる投稿写真の中に埋もれてしまいます。1年ほどしてから再発掘してみると、その頃にはアイデアも技術も古くなっていて「よくもまぁこんな写真を・・・」なんて思うことになるんですね。
大きな賞を取ると、本に掲載されたり、例えば二科展などに入選すると書籍に掲載されたりしますよね。つまり記録として残る訳です。しかし、今いる写真家さん達の何割の方がその写真集を手にして開いて、あなたの写真に目を留めるでしょうか・・・。結局は書籍になっても埋もれてしまうのは同じ事なのです。とても悲しいことですがしょうが無いですね。
今、SNS等の投稿される写真を見ていて思う事は、要はこの方達はエンターティナーを目指しているのかなという気がしています。皆が一目見た瞬間にあっと驚くような、心和むような、ホッコリするような・・・そんな刹那の時間をフォロワーさんなど、自己の写真を見てくれている方達に提供せんが為に、お金と時間を掛けてわざわざその地へ赴いてカメラのシャッターを押しに行っているのかなと。
もちろん、自己啓発というか「写真を撮る」という技術を磨きたいという面もあるのかも知れませんが、私が見る限りでは承認欲求の方が勝っているのかなという風に見えてなりません。しかし、それはそれで別に悪いことでも何でもないのは言うまでもありませんね。ただ、良くも悪くも「何も残りませんよ」という事実は変わらないんですね。
 
では、そこまで言う土岐は、一体何の為に写真を撮り続けているのか?と言う問いに答えておかなければ、この日記は無責任で批判だけの内容になってしまいますね。
実は私の写歴は40年を超えています。自慢する意味ではなく、実はお会いする写真家さんの、まぁ大体の方よりも写歴は長いです。暗室経験もありますので、写真という写真の全工程を経験して知っています。でも写歴20年という方のお話やご教示もちゃんと耳を傾けます。大体の事は知っていることなのですが、老爺心からか一生懸命私に教えてくださるのは有り難いことです。
私はここまで長く写真を撮り続ける事が出来ているのは、別に有名になろうとか、素晴らしい景色を撮ろうとか、そういう事を目指している訳でもありませんし、後世に名前を残そうとか、せめてWikipediaには載りたいなんて事も考えたこともございません。ただただ写真を通して自己の感性と言うよりも人間性を高める為であります。茶道をされる方は、単に家でおいしいお茶を沸かす事が目的でしょうか。違いますよね。お茶を入れるという所作を通じて自己の人間性を高めたり、精神を鍛えたり、人に対する作法を学んだりという事が目的のはず。私も道半ばですが、写真を通じてそれを行っているつもりです。撮影地で地域の方と話したり、風習を聞いたり、もちろん撮影に出掛けていますのでカメラを持ってはいるのですが、人や場所によっては撮ってはいけない、撮ると失礼になる、撮られたくないという場合もありますので、撮りたくても撮らない場合もありますし。特にプロのモデルさんなんかの場合は、ポージングされている時以外のプライベートタイムには絶対にファインダーを向けません。しかし、私が思うにはそこで得た物は写真よりももっと大きい物だったといつも実感します。これが私の言う写の道、詰まりは写真道です。そして、自分の中で撮影に対する大きなテーマを持っていることが大前提になります。これは経験則なのですが、決して大テーマは他言してはいけません。人に言った瞬間に、そのテーマに対するモチベーションは崩れてしまうからです。
私は別に立派で凄い写真を撮りたい訳ではないのです。
撮れたとしたら、それはその場面を知る方のご協力があったり、偶然だったり、たまたま撮れた物で、それはそれです。それよりも、その風景に相対してきた方や、その土地で守ってきた方、見つけた方、拘っている方の気持ちを知ることで、自己の啓発の一環とする事の方が私にとっては大きな収穫なのです。
 
いくら写真を撮ろうと結局、何も残らない。
 
しかし、撮り続ける。
それは写真を撮ること以上に、自己にとって大切な物を持つ事で得られる道ではないでしょうかね。私は相変わらず私自身の写の道を歩き続けたいと思っています。胸の中に自分だけのテーマを持って・・・。