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ちょっとした昔話。

今日は、ちょっとした昔話を日記にしてみたいと思う。
私が小中高の子供だった頃、テレビは居間に一台あるだけで、自分のお部屋には無かった。これは私だけではなく数人いた友人も同じような環境だった。居間にテレビは一台。これが昭和の一般家庭の平均だったように思われます。
テレビが居間にしかないので、それなりの時間になると親から「寝なさい」という命令が下り、子供の立場である私も例にもれずスゴスゴと自分の寝場所に引き揚げていったものである。
引き揚げ先の自分のお部屋(私は中学3年生の時に初めて自分のお部屋をあてがってもらった)に戻ると当然テレビなどはないしスマホ等存在すらしていない時代。ゲーム&ウォッチはあったが、ゲーム音が親に聞こえると、うちの母は鬼の形相で「早く寝なさい!」と怒鳴ってくる事請け合いだった。母は8時間睡眠の呪縛世代なのでしょうが無いと言えばしょうが無いが、今思い出してもウザったい話である。
そんな当時の少年少女の寝る前の娯楽と言えばラジオだったりするんですね。そう、ラジオはなぜか音は立つがボリュームを絞るかイヤホンで聞いている分には親に怒られなかったのだ。
そこで、私が当時よく聞いていた深夜のラジオ番組を色々と思い出してみたので、記しておこうと思う。ちなみにネットでググれば色々と情報が出てくるのだが、面倒なのでここは私の記憶だけで綴ってゆきます。間違えているかも知れませんがご容赦を。あと私は関西人ですので、他地域のラジオ番組は分かりませんので悪しからず・・・。

小学生4年生位の頃は、兄がよく聴いていたのを一緒に聴く形で、「はーい浜村淳ですABC」という深夜と言うよりも今で言うレイトショータイムの番組だった。この番組の中盤で「こわ~い話、おもろい話」というコーナーがあって、投稿者の体験談を浜村淳の上手い語り部で紹介する物で、そのほとんどが怖い話の方だったので、布団に潜り込んでよく聴いたものである。小学生だったので、その後一人でトイレに行けなくなるんだよね・・・。(^_^;)
で、この頃には私は実は既にオールナイトニッポンを聴いていました。と言うのも兄が録音してくれていたんですね。で、兄は4つ歳上でしたが、深夜1時に始まる事もあって、長起きできるのは週末に限られており、聴いていたのは決まって笑福亭鶴光のサンスペのオールナイトニッポンでした。しかも60分テープなので聴けるのは最初の30分だけという・・・(笑)。今もやってるんですかね「つるこーでーーす!ワンバンコ!」という鶴光の声は今も鮮明に頭の中に記憶されております。今思うと下ネタばかりの内容だったような・・・。
ヤングリクエストという番組もありましたけど、小学生の私には歌の方はあまり興味も無く、少し聴いて寝てましたけど・・・。

これが中学生になってくると、自分用のラジカセなる物を兄のお下がりで手にするようになるわけですね。それに幾分長く起きる事も出来るようになってくるのと、FM放送も受信できたので聴ける番組が飛躍的に広がります。
土曜日になると楽しみだったのが14時から放送されるFM大阪で放送されていたコーセー化粧品が提供する歌謡ベストテン。その後に洋楽のポップスベストテンを聴いたり録音したり。そう、FM放送はステレオだったので良い音で録音して楽しめたんですね。よく走って学校から帰ったものです。
で、夜になるとAM放送になります(笑)。特に好きだったのがヤングタウンの木曜日。谷村新司とばんばひろふみが担当しており「心に残る大失敗」というコーナーが目当て。投稿者の失敗談を谷村新司が読み上げて、ケンケンのように笑うバンバンの声が更に笑いを誘う人気コーナーでした。
ちょっとマニアックな所では、月曜日の夜に新野新と笑福亭鶴瓶がやっていた「ぬかるみの世界」という番組。ディープな話題を二人のまったりとした会話が妙に引き込まれてよく聴いていましたね。

高校生辺りになってくると、バイトしたお金で買った自分専用のミニコンポを持つようになっています。ビクターのPC55というオートリバース付きコンポだったので120分テープで録音すれば120分の録音が出来ました。もちろんタイマー録音も出来ました。貸レコード屋で借りてきたレコードからの音楽録音も思いのままです(笑)。おまけに親の「寝なさい攻撃」などどこ吹く風でヘッドフォンで聴いていましたね~。
FM放送は専ら歌番組になってくるので割愛しましてやはり思い出に残っているのはAM放送ですね。
私は大阪と言っても京都に近い地域ですので、KBS京都の放送が拾えたんです。コレが大きかった。日本放送ではオールナイトニッポンは1時~3時までの第一部までしか放送されませんでしたが、KBS京都は3時~5時の第二部も放送されてたんですね。
よく聴いていたのがオールナイトニッポンの始まる前にやっていた「ハイヤング京都」と言う番組。今となっては金曜日の若宮てい子ぐらいしか覚えてないですけどね。このKBS京都のテーマソングになっていたのが尾崎亜美のmy shiny townという曲。FM802(当時はまだ無い)のヘビロテどころじゃ無いです。とにかく事ある毎にかかってました。この歌を聴いてニヤッとした人がいたら、その人はKBS京都を知っていますね。それ位かかってました。
本命のオールナイトニッポンは月曜日が中島みゆき。そうですよ、あの中島みゆきさんです。歌からは想像もつかないようなハイテンションな声色と番組進行は最高でしたね。初めて聴いた時は本当に中島みゆきなのか?と疑った程でした。あの人バラエティに出てたら今とは絶対にイメージ違っていたと思うけどなぁ・・・。それ位ギャップとインパクトがありました。それと火曜日の第二部だった山口良一のオールナイトニッポン。当時はプロレスブームでプロレス好きだった山口良一もよく話題にしてましたね。途中から金曜日の第一部に変わったような気がします(だからハイヤング京都の若宮てい子だけ覚えているのかも)。一番好きだったのは木曜日のビートたけしのオールナイトニッポン。今や伝説になっているのかな。色々な人と一緒にやっていたようですが、高田文夫と二人で進行していたのをよく覚えています。2時間全体的に笑えるのですが特に面白かったのが「中年エレジーコーナー」。中年のおっさんの失敗ネタ(もちろんネタです)の投稿をビートたけしが読み上げるのだが、あまりに馬鹿馬鹿しい物ばかりで、とにかく笑いましたね。たけしのオールナイトニッポンだけは録音しながら生で聴いて、翌日またテープで聴いてましたね。ビートたけしが歌う「たかをくくろうか」と言う歌がエンディングなのですが、この曲は今もよく聴きますね。土曜の晩、つまりサンデースペシャル(サンスペ)は1時~5時までの通しで相変わらず鶴光がやっていましたが、下ネタが多過ぎで正直あまり好きでは無く、後半はダレてきますので聴いていませんでした。

ヤングタウンの心に残る大失敗を聴き、ハイヤング京都を聴き、オールナイトニッポンに繋がって寝る。ラジオしか無かったけど、娯楽としては何だか今よりも充実した毎日を送っていたような気がしますね。
長くなったのでここらで終わります。