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写真評価のくくり。

たまにこんな事を聞かれることがあります。
 
「どんな写真が良い写真で、どれが良くないのか?」
 
この場合の「良い」の反対が「良くない」になるのかどうか微妙な表現ですが、まぁ良い写真と言っても色々とあるわけでして、人によっても評価は分かれるだろうし、フォトコンも全く同じ応募写真で選考人を変えると選考結果もがらりと変わるのは想像に堅くない話だ。それぐらい写真の評価という物はある意味曖昧な物だ。
写真家もそこそこ有名になってくると、1枚の写真が話題になる機会が増えるが、これはその人を知る人が増える為で、特にネット評価の場合は、ある一定のレベルからはファンによる組織票のような形になってくるからだ。そうなると中心にいる写真家としては、自分の写真が世間様から真に評価されているのかどうかの判別が難しくなってくる。コアなファンは、道ばたの犬の糞の写真でも評価するだろうが、中心から外に近い位置にいる閲覧者は、そのような写真を評価しないわけで、そういう外郭にいる人達の評価こそが真の評価値と言うことになってくる。それがどういう風に見てくれているかは、判別は事実上不可能だからだ。
というわけで、この辺りで述べよ論ぜよと言われても、述べて論じる事は難しいので、あくまで私個人として、写真を目の前にしたとき、どういう括りで批評をしているかを記しておきたいと思います。要するに写真の批評のためのジャンルです。
 
<批評に値しない写真>
とりあえず、どんなに素晴らしい写真であっても、ルール違反を犯していると思われる写真は、三文の値打ちもない写真だと思っていますので、以下のような写真は批評にも登りません。
1)私有地や立入禁止区域に忍び込んで撮影した写真。
2)不法行為を行って撮影した写真。
3)公共物損壊など一般への迷惑行為を行って撮影した写真。
4)樹木を蹴っ飛ばしたり、無理矢理に演出した写真。
5)撮影禁止場所で盗撮してきた写真。
などなど。要するに違反写真に名作無しというわけです。撮影者は分からないと思ってそんな写真をフォトコンに応募したりしているようだが、どっこい分かるんだなぁ、これが。
ちなみに、興味深い「おや?」と思う写真を見つけたとき、その写真から望遠率、背景の角度、位置関係、気象条件などから、どの位置から撮影したかはもちろん、撮影データが掲載してあれば、その日の気象条件など、判りうる事由を割り出す所まで私は結構やります。こういう写真を入選させているようなフォトコンは、選考者を調べて名前を留めています。要するにボンクラカメラマンというわけですね。選考者に求められるのは観察眼であって、有名とか実績とか、そういうの関係ないので・・・。でも、結構いるよねー、ボンクラが。
 
<普通に批評する写真>
一番幅広い写真ですね。プロもアマも関係なく、一般の方が一般的に撮れる位置から撮影されたきちんとした写真です。カメラや気象条件、使用レンズなどによって撮り方は千差万別で、そこへ撮影者の主観や表現手法など色々な要素が加わってくるので、見ていてとても勉強になる部分もありますし、自己の閃きを手伝ってくれることもあります。良い物は良い・・・の世界で、見る事が出来ますね。
 
<一般の方が撮れない写真>
ちょっと有名になったカメラマンが、その優越感から勘違いに陥ってしまう事の多いジャンルの写真ですね。要するに、「あなたなら・・・」という理由で特別な計らいで一般の方とは隔離された場所から「撮影させて貰った」写真、特別に航空機などに乗せて貰って「撮影させて貰った」写真などなど・・・。
こういう写真は私は「報道写真」という括りで見る事にしております。つまり、そういう写真は、そのジャンルで活躍している「報道カメラマン」達が撮影した写真と同列に並べて私は批評すると言うことです。最も優れた写真は「ピューリッツァ賞」と言うことになります。報道カメラマンは、報道という錦の御旗を掲げて特別な計らいを受けて「撮影をさせて貰います」よね。そのような写真を一般の方の写真と同列に並べて批評することは出来ません。これら報道写真は戦場や秘境など、とてつもなく幅広い写真が犇めいております。優越感に浸っていないでがんばってくださいよ。
ちなみにそのような写真をフォトコンに投稿するカメラマン、またはフォトコンで入選させている選考者がいたら、私はうれしがりだなぁ・・・とバカ扱いして、やはり名を留めております。(笑)
ちなみに私はそのような写真は、撮影許可を頂いた方に全ての権利があると理解し、私的にネットでも一切公開しておりませんし、撮影に行ったことも伏せております。撮影者をその写真に添えるか、どこに公開するかは「撮らせて頂いた」方の胸三寸というわけです。
 
まぁ、だいたいこんな感じですね。
批評をする場合は、大まかに括りを設けておかないと、何が何だか判らなくなるので特に批評となると結構大事です。
実は昔会ったちょっと有名なフォトコン選考者に会ったことがあるのですが、奴は私が師匠の横でたまたま持っていた写真を、私の写真だと勘違いして、最初は大した評価はしなかった。まぁ当時は私も駆け出しですからねー。少し話をしていて「勘違いしてやがる・・・」と、すぐに私も師匠も感づきました。(笑)
で、師匠はそのままやり過ごすつもりだったようですが、私はどうなるのか興味深かったので、
「この写真、xxさんの眼には駄作ですかね。これはうちが先ほど預かってきたxxさんの作品なのですが・・・。私にはこんな写真は撮れないです。すごいなぁって思っていたんですが。」
と言った途端に顔色が変わりました。しかしプライドがあるのか勘違いしていた事を言わず、そこから徐々に弁舌でリカバーし始めたんですね。
後ほど、師匠と「あいつは絶対に写真の批評を名前で決めてるよな。」って笑いながら話したのは今も面白い昔話です。
と、同時に私にとってもフォトコンへの興味が全くなくなった瞬間でもありました。それからしばらく、師匠は写真の評価眼について色々と教えてくれました。実は上記の括りも私の独りよがりや自己満足ではなく、その昔に師匠から受け継いだもので今も大事にしている事柄の一つであります。
 
「いいか、写真だけで飯を食おうと思うな。写真ほど曖昧な芸術はないからな。1枚の写真には高い評価をする者もいれば、三文の値打ちもないと批判する者もいる。それが写真の世界だ。大事なのはきちんと自分の足を地に着けて、決して他言に揺るがず奢らず、自分の世界で切磋琢磨してゆく事だ。そんな写真にお金を払ってくれるような人が出てきたら、それは稼いだのではなく、ただのご褒美だと理解しろ。そうしないと前には進めないし、いつか廃れてしまうだけだ。」
 
言われた言葉は大阪弁だったが、内容は同じだ。
こんな師匠にマンツーマンで習ったので、私は今も自分の世界でカメラを構えて、撮影していられるのかも知れない。