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お葬式。ファンタジーの話と現実の話。

暇に任せてネットを彷徨いていたら、親の葬式に平均幾らかかったかのアンケート結果が掲載されたページに辿り着いて、その最も多い金額欄を見て思わず目を擦った。一番多かったのが100~200万円で全体の約1/4だった。ちなみに2位が50~100万円、3位が200万円以上と続くのだった。
葬式というのは、故人となった方を悼み偲んで、最後のお別れとして行う物で、今は古き昭和の時代は親戚縁者から近所の袖を触れ合った程度の付き合いの人まで集まって、坊主もお布施に応じた演出を行い盛大にやった物だが、2023年現在、そういった盛大なお葬式は最早なりを潜め、著名、有名人であっても近親者のみで葬式を行う、所謂「家族葬」と言うのが一般的になりつつある。が、その現代においても尚、1/4の人達が100~200万円もの費用をかけた葬式をやっているという事実に正直驚いた。
ちなみに私は17年前に父を病で亡くしているが、その時は母が有無を言わせぬ事運びで某総合葬儀社に依頼し一般葬を行った為、通夜から初七日に至るまで、まさに至れり尽くせりの待遇ではあったが、後に届いた請求額は実に250万円前後であった記憶がある。つまり、家族葬だか一般葬だかは知らないが、こじんまりとした葬儀が中心の令和の今も、規模的にはあれほどの事をやっている方が多数いるという事が現実のようだ。
 
が、ここで疑問が一つ湧く。
 
葬儀を行った家族(配偶者or子)は、実際にそこまでお金をかけて葬儀をするつもりだったのだろうか・・・。
「小さなお葬式」とか「家族葬」とか「1日葬」という言葉に感けて、小じんまりと「安く」済ませようと思ったのに、気が付いたら100万円以上の葬儀になっていた・・・という事例がかなりあるのではないかと私は思ったのであるがいかがなもんでしょうか。
 
<葬儀を安く上げるのは意外に難しい>
久しぶりのサブタイトルですが、そうなんです、葬儀を安く上げるのは意外に難しいのです。それは、病院で亡くなって故人となると、病院はほぼ時間に関係なく家族に連絡をしてきます。で、亡くなったので死亡診断書を渡すから、すぐに葬儀屋に連絡して病院から連れ出してくださいと言う雰囲気になります。死亡の知らせと葬儀屋を取り持つ「役場」はこの件に関しては24時間対応していますので、遺族は間髪置かずに葬儀に向けての行動を起こさなければならないのです。ここで、意図も無く適当に葬儀屋に連絡すると、後はもう数百万コースです。或いは、兄弟や親類の言葉に絆されて流れに任せると、これまた100万円は下らない葬儀になってしまいます。そうです。あなたが「全てを取り仕切る」と割り切って、しっかりしないといけないのです。それも冷静かつ冷徹にです。
 
身内(特に親)が死んだらまず考えましょう。
 
あなたの親は、自分の葬式を盛大にやって欲しいと生前申していたかどうかです。私の場合、父は一切金をかけるなと、生前にクドいくらいに言ってましたが母がヤラかしてしまいました。しかし、同じ年に病で亡くなった兄の場合は私が同じ轍を踏むまいと出しゃばって仕切りましたので市葬にて行いました。それでも70万円ほどかかった記憶があります。
父と兄を17年前の同じ年に亡くし、残された母と私の年齢差は30年丁度。つまり50-80問題にドストライクの関係でした。そしてその母も86歳になった今年の秋口に認知症と老衰にて亡くなったのですが、まだ元気だった頃に何度も母亡き時の葬儀について私は話していたことがあります。
 
私は家内と子供が2人いるが、実際に葬儀を仕切るのは一人なので葬式はできない。つまり直葬をしますね。
 
という事でした。
母は、最初は何だか寂しそうでしたが、何度も話しているうちに、死んだ後はどうでも良くなったのか最終的には「あんたの思うようにしてくれたらそれで良い。」となりました。その頃はまだ70歳になった頃でしたのでバリバリ元気で痴呆もありませんでしたが、レビー小体型認知症という非常に進行の早い認知症になり86歳になったばかりの年齢で急激に記憶がおかしくなり身体が弱ってゆき、1月の誕生日から僅か9ヶ月ほどで亡くなってしまい、まさに「その時」が訪れたのです。
ここから私が行った母の「お葬式」を話します。世間的な良い悪いは別にして、私はこれで正しかったと思っていますので参考になればと思い書き記すことにします。
 
<ファンタジーの話と現実の話を分けて考えた>
まず、第一目標は父の言っていた「葬式に金をかけるな」という遺言とも言える言葉。そして、生前の母と話していた「葬式をしない葬式」を行うことです。この二つを現実の物にする為には、周囲の全ての意見を聞きつつも、自分のやるべき方向を決して曲げないで実行する勇気を持つことです。
ここで言うファンタジーの話とは、故人をどう扱うかという世間一般の話です。役所と葬儀屋に連絡をして、遺体を病院から運び出し、早速、通夜の段取りや葬儀の格式を決めたりと話が進み始めます。つまり古来より行われてきた「儀式」がファンタジーの話です。これを分厚くすればするほど、派手で盛大なお葬式になってゆきます。
しかし、このファンタジーの話の陰には「現実の話」が付いてきます。それは「費用」と言う名の「お金の問題」です。
小さなお葬式であろうと、家族葬であろうと、ファンタジーを厚くすれば100万や200万はあっという間に突破します。なぜなら冠婚葬祭には別費用となるオプションが無数にあるからです。
 
例えば・・・。
 
病院から葬儀場へ運び出すにはクルマが必要になります。このクルマ代は別料金になります。
このクルマが霊柩車なら10万円前後、寝台車なら2万円前後が相場です。この区別も知らない人が多いのではないでしょうか。
あと、うまく葬儀場又は斎場が空いていれば良いですが、混み合っていて数日待機しなければならなくなった場合は、ご遺体の保管料が1日につき12000円前後かかってきます。
家族葬も一般葬も関係なく、もうこれだけで何も知らなければ10万円を突破します。葬式ってそういう物なんです。
私が行った事に話を戻します。
母が亡くなったのは夜19時を回っていましたので、とにかく病院に翌日まで母の遺体を保管して欲しいとお願いしました。幸いにも病院の遺体保管室(霊安室ではない)が空いているという事で、翌日の昼間でならOKという事で、エアコンを18℃にして保管をしてくれました。ちなみに役所(の当直係)は1日分のドライアイスを無料で提供していますと言ってくれましたが、病院側が翌日の昼までなら大丈夫という事でこれは断りました。
翌日私は朝一番に病院から受け取っていた母の死亡診断書を持って役所に駆け込みます。すると役所の係員は「市葬」を行う前提で話をしてきました。これに乗っかると通夜から葬儀に至るまでの盛大な70~100万円コースのお葬式になってしまいます。ので、私ははっきりと「違います。葬式はしません。直葬でお願いします。」と告げました。係員は最初は驚いたような顔をしましたが、私の家内と家内の妹(葬儀屋経験あり)も直葬を告げて係員は実際にどうするのかを逆に聞いてくる形になりました。
私は続けました。
「とにかく母は今病院で預かって貰っていますので、安置場へ運び出して欲しいです。まずはそこから。」
と言う訳で、係員は安置場へ運ぶ葬儀屋の手配をまずしてくれました。そうです。人が亡くなると、やっぱり必ず葬儀屋が必要になるのです。しかし、ここは市の指定業者ですから「ぼったくり」のような事は絶対に無いです。が、「寝台車」でお願いします。と必ず告げなければなりません。霊柩車で運ばれたらファンタジーは厚くなりますが現実では予算を圧迫します。
運び出す時間が分かったら、即座に病院へ連絡を入れます。私の場合は午前11時に運び出す事になりましたのでその旨を病院に告げました。あとは係員と実際の式の話です。
葬式はしませんので、斎場が空いているかどうかの確認となります。ちなみに法律の定めによって人が死亡した場合は、それを医師が確認した時点から24時間安置する必要があります。つまり私の母の場合は前夜の19時半頃に死亡確認がされていますので、直葬と言っても病院から運び出してそのまま斎場でお棺を焼き場に入れて・・・という事は出来ません。だから安置場へ一旦運び出し、死亡確認から24時間以上経った日取りで臨焼する必要があります。
私の母の場合は、病院から運び出した翌々日に焼き場が空いているとの事でしたので、2日分の安置料金と病院-安置場、安置場-斎場のクルマ代がかかりました。シメて4万円程です(先払い)。
ここまでの段取りができると、あとは病院へ行って安置場への送り出しの立ち会いと、実際に臨焼を行う日に斎場へ行くだけです。
翌々日になり、予約した時間に斎場へ行くと既に母の遺体が到着していました。先に事務所へ顔を出して現実の話を済ませます。そうです遺体を焼く費用を払います。約7万円です。この時の領収書は後に市から葬儀の補助金をいただく時に必要になりますので、大切に保管しておきましょう。
さて、ファンタジーです。
議場の裏にある別室で棺も横に用意され、係員数名と私の手で母の遺体をお棺に入れます。入棺が終わると台座に乗せられ、実際に炉に入れるまでの時間を使って荼毘に伏します。結構小一時間の時間を戴けました。この時はまだ棺は開いていますので、お花を手向けたり、母の思い出の品等を許可を得て棺に副装品として入れることも出来ます。そして、母は炉に入り、その後、私の家族だけで骨揚げまで済ませました。こうして母の直葬は、本当に極近親な者だけで済ませ、遺骨は実家の仏壇に上げて霊前としました。
 
さて、ここで言い忘れていたことがあります。
母の訃報をどこまでの人に伝えたかですね。
これは、母の妹(私の叔母)以外には例外無しで誰にも伝えませんでした。また叔母にも四十九日(三月渡りになるので実際は三十五日)の納骨まで他言しないように口止めもしました。つまり、母が遺骨になった時は、叔母以外は誰も母の死を知らなかったという事です。つまり、まだ皆の中では母は生きている事になっているんですね。実はこれこそが私の本懐だったのです。訃報をもたらすという事は、その知らせを受けた人の中で母は死ぬことになります。知らなければ生きていることになります。でも実際は母は亡くなっていますので、訃報は水の垂らした絵の具のように、そのうちじわじわと伝わってゆくだろう事に私は母の死を阿ることにしたのです。
その代わり、葬儀も訃報も出していませんので、私が出来るファンタジーな事はきっちりとやってあげようと思い、初七日から四七日に至るまで霊前に伏し続けました。そして、平日ではありましたが変更することなく「その日」に納骨を行い、母の現世での歴史を閉じさせていただきました。これが4人家族だった最後に残された私の送り人としての勤めであると信じて・・・。この日を境に母の霊前はお墓に移ったことになりますので箝口令を解きました。そして、もしお参りを・・・という方が出てきた場合は、お墓の方向を指してお手を合わせてあげて頂けるだけで充分です。と今も答えています。が、実はこの間にちょっとバレちゃって、有志の方でお別れ会をして頂いたんですが、これはこれで有り難かったです。
 
いかがでしょうか。
ファンタジーの部分は最小限です。
現実の話は、補助金を差し引くと10万円かかっていません。
元々お金が無かったのと、実は母は非常に顔が広かったので、葬儀を行うと何人来られるかが予想できず、私一人では到底対応が不可能出会ったこと、香典等を差し出されてもお返しなどを用意・発送する余裕など無かったこと、と言った事を考慮しつつ父母の生前の話も織り交ぜて、斯様な壇を行った次第です。
これは、今はまだあまり行われていない「直葬」と呼ばれる葬儀になります。周囲に納得してもらうのは非常に難しいかも知れません。が、亡くなった故人は、決してあなたに派手な葬儀をしてもらいたくて預金や財産を残して無くなったのでは無いと思います。
私は後悔はしていません。むしろ有志でお別れ会をしてくださったり、本当の家族葬が出来た気がしております。と、同時に故人の意にそぐわない事を私がやったのなら、私は死んだら父母とは別の世界に行く事になるのだろうとも思っております。それでも、送り人としての任務は完遂したと胸を張って生きています。
自分の思う葬儀を母にしてあげること。
凄く難しかったです。ある時は強引に、ある時は冷徹に・・・。
世間から何と言われようとも、これは今後皆さんの視界に入ってくる新しいお葬式の形だと思って、ここに書き記させていただきました。
なお、どうしてもお金をかけて盛大にやりたいと言う身内がいらっしゃって意見が分かれるなら、「ならば、そのお金を私にください」とまで言い切る勇気を持ってください。
ちなみに葬儀代を10万円未満で済ませたと言う方は、アンケートの結果では最小の2%でした。お陰で私は、葬儀ローンを組むことも無く、その後の自己の生活に影響をする事も無く家を引き継ぎ、生活が出来ております。貯金はあまりありませんでしたが、借金も無かった母に感謝です。
 
さて、これは葬儀までのお話。
身内、特に家の筆頭主が亡くなった時は、実はその後の方が100倍大変だったりします。一言で言うと「相続手続き」です。
私は実はもう先日全ての手続きを済ませましたが、本当に大変でした。この話については、その気になったらまた書くかも知れません。が、書かないかも知れません・・・。相続人は私一人でしたが、本当に大変でした・・・。( ̄。 ̄;)