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周辺光量落ち

今日はちょっと、イメージ的にフルサイズのデジイチが一番良いのだと思い込んでいる方達にはウザい話をしてみたい。
よく、このレンズだと周辺光量落ちが激しい…とか言う表現を耳にする。フィルム時代にはあまり聞かなかった話。
それって一体何?
っていう方の為に、一応申し上げておきますと、その名の通り、要はこんな風な写真になると言う事。
ファイル 17-1.jpg ファイル 17-2.jpg

パチリと撮った写真で、真ん中辺はちゃんと写っているが、周囲になるほど光量不足で暗くなってゆくという物。円形に現れるので何となく穴から覗き込んで撮影したような写真になりますね。ちなみにこの作品例は、レトロな雰囲気を醸す為に、デジタル処理でわざとこのような仕上がりにしてる事を一応付け加えておきます。
さて、
この周辺光量落ち、デジタルカメラになって声高に叫ばれるようになりましたが、厳密に言うとフィルム時代にも無かった訳ではないです。(面倒なのでポラロイドやポケットカメラは除外)簡単な構造のおもちゃ、所謂トイカメラと呼ばれる物やピンホールカメラでは当たり前のように起こっていましたし、日光写真ともなると、周辺光量どころか光ムラがありまくりとか…。しかし、これらはどれも写真の原始的な方法や光学的な考慮が全く為されていないようなカメラでの話だ。当然一眼レフはもちろん、バカチョンカメラ言ったしっかりしたフィルムカメラではまず起こる事は無かった。それはなぜか、当たり前だ。35mmフィルムのサイズに合わせてカメラ本体が設計されたからだ。ライカ判135フィルムに如何に均等に光を当てて、綺麗に像を造り、フィルムに焼き付けるかを何十年もの年月を掛けて連綿と改良開発が繰り返されてきた歴史があるからだ。この構造は基本的にはキヤノンもニコンも今もって変わっていない。本来ならデジタル一眼になった時点で、それに見合う最新の技術と先見的な構造を持ったボディとレンズに造り替えてしまうのが理想的だが、基本構造を変えてしまうという事は、今までのレンズ資産が全てパァになってしまうからだ。キヤノンは来たるべきオートフォーカスの時代を見据えて、FDからEFに一度思い切って基本構造を変えている分、より新しいデジタル時代にある程度は順応する事が出来た訳だが、EFマウントでさえフィルム時代に設計された古いフォーマットだ。若干のアドバンテージはあるが、100%順応出来ているかというと、そういう訳ではないというのが正直な所だ。
では、フィルムでは起こらないようにできた周辺光量落ちが、なぜデジタルでは起こらないように出来ないのか…?
それは、フィルムに相当するセンサーの構造に起因するからだ。
専門的なややこしい話を用いての説明は、ネット上に幾らでもその手のマニアがいるのでそちらを参照して頂くとして、簡単に言うと、デジカメのセンサーの構造というのは障子を考えて貰えれば良い。縦横の木枠が電気配線で障子紙の部分が感光体である。で、木枠が手前にあるので、感光体はその分だけ奥にある事になる訳だ。
この障子に懐中電灯で光を当てるとどうなるか。
真ん中辺には綺麗に光が回るが、周辺に行けば行く程木枠が邪魔になって障子紙に影が出来る事になる。影になった部分は当然光量が少ないので写真に置き換えると周辺光量落ちという形になって表れてくる訳ですな。では、簡単に感光体を配線の前に持ってくれば良いではないかという話になってくる。私もそう思った。しかし私はカメラセンサーの技術者でもないし、興味も無ければ、なりたくもない人間なので良く分からないが、何かそうは問屋が卸さない理由があるんでしょうな。マニアなら知ってるかもね。
とにかく、そういう訳なので、単純にデジタルカメラになり、しかしカメラ本体の基本構造を変えられないという縛りの中で、この周辺光量落ちを解消しようと思ったら、それ以外の要素でカバーするしかない訳よ。まずはレンズの構造。レンズ先端から取り入れた光は、できるだけロスのないようにカメラ本体に届けて、できるだけセンサー全体に均等に近い形でビカっと光を当てる構造にする必要がある。レンズのメーカーが従来のレンズをリニューアルして、デジタル対応のレンズだと謳っているのは、恐らくこれが一番の理由だ。それ以外の反射がどうとかいう最もらしい話は枝葉末節の事だろう。枝葉末節の話で偉そうに一席ぶっこいている者も見掛けますけどね…。まぁどうでもいいや。私は物事をシンプルに捉えたいので…。
というわけでレンズでまず周辺光量落ちを防ぐ努力をするのが一つ。もう一つは撮影したデータをカメラ本体でリミックスして周辺光量落ちを打ち消してしまう処理を行う事。ニコンはExpeed、キヤノンはDIGICとか言ってますね。それプラス、その処理がし易いようにセンサーには僅かな光でも敏感に感じ取って貰うようにする努力をして貰う事。これは高感度耐性という良い意味での副作用に寄与する。高感度耐性がどうとか一席持っている者がいるが、作る側は恐らく結果的にそうなったと言うだけの事だと思われますよ。どどちらかというと撮像に濃淡が出来てしまう周辺光量落ちの方がカメラとして深刻だからね。
と言う訳で、デジタルカメラの場合はこういった総合的な観点で欠点を除去していると言う訳です。凄いね。
しかし、この欠点の克服も道半ばというのが正直な所だ。と言うのも、どんなに高価な本体とレンズを使おうとも、周辺光量落ちは発生しているのが現実だからだ。機械側での克服が難しい状況であるならば、今度は撮影者が努力する必要性が生じてくる。要はセンサーの隅々にまで満遍なく光を届けてあげれば良いのが理屈なんだから、じんわりと時間を掛けて光を届けてあげれば良いという理屈になる。それは撮影条件で言うと、絞りをある程度絞って、シャッター速度を落とすという事になる。古いレンズで周辺光量落ちが目立つ場合でも、この方法で撮影すれば大抵は問題の無い撮像が得られるはずだ。それでOKならデジタル対応とか言うレンズは無理に買う必要はないわけで、風景写真をまったりと撮っておられる写真家さんは、ほぼ周辺光量落ちの悩みは持っていないと思われるがいかがだろうか。
深刻なのは野鳥撮影とかスポーツ写真など、激しく動き回る被写体を追うように撮影される方だ。パシっとした写真を撮るには当然シャッター速度を上げる必要があるわけで、その為には感度を上げたり絞りを開いたりと周辺光量落ちの発生する方向へとカメラを操作する必要に迫られる。ちなみにD750には1/8000秒が付いていないと最もらしく嘆く輩がいるが、私は要らないと思う。まぁD750にどんなレンズをくっつけて撮影するのか知らないが、1/2000以上のシャッターで撮影が出来る場面というのは非常に限られているし、1/2500秒以上の速度になってくると、F5.6辺りでも周辺光量落ちが目立つし、撮像もあまりよろしくない物になる。一面が雪という現場だとF9辺りまで絞り込んでも1/2500秒位で切れる事もあるが、私はそういう場合はフィルターを付けて1/2000秒位までに落とすようにしている。1/2500秒や1/3200秒って、周辺光量落ちもさることながら、現像処理していても、なーんかおかしながっかり撮像なんだよね。大体1/2000秒あれば、大抵の鳥の動きは止ります。ハチドリでも撮るんですか?って感じですね。じわっと光を当てて撮影…これ、写真の基本ですよ。AE-1Pなんて1/1000秒までしか付いてなかったけど不自由なかったし、F801は世界初の1/8000秒が付いているけど使った事ねぇし…。

でだ。
最後にフルサイズが良いのかAPS-Cがよいのかと言う話に触れておこうと思うんだけど、結論から言うと真剣にカメラメーカーがカメラを作ったらAPS-Cの方がいい物が出来ます。これは断言出来ます。周辺光量落ち=光量ムラという事を考えると、フルサイズ用のレンズをAPS-Cのカメラに付けて撮影するのが現状では一番良い結果が得られる道理があるからだ。しかし、ユーザー側にフルサイズの方がフィルム時代からのなじみがあるという事と、APS-Cはデジカメの過渡期に作られた通過点のカメラというアナウンスをメーカーがしちゃった事と、メーカーはユーザーの尻馬に乗ってカメラの技術を誇示出来るという点と、収益性が高いというメリットが重なってフルサイズを上級だと嘯いて販売しているに過ぎない。
フィルム時代、プロが挙って使っていたカメラは35mmではなくライカ判120、つまりブローニーや、4x5、8x10と言った中判以上のカメラだ。35mmは試し撮りに使われていたと言うのが正直な所である。それはなぜかというと、中判以上のカメラの場合は丸いレンズの真ん中辺りを結像に使うからだ。これはレンズ収差の少ない、つまり美味しい所だけを使う事はもちろん、アオリと言ってレンズをティルトさせて撮影する事も容易に出来たからだ。これはAPS-Cのカメラにフルサイズ対応のレンズを装着した時と全く同じ理屈になる。だから私はフルサイズカメラにはあまり興味が湧かないのだ。APS-Cとの結像に差があまりない昨今の技術だと、フィルムと同じセンサーサイズである必要性を全く感じないのだ。この辺りはメーカーは損をするのであまり言わない(ニコンは言ってましたけど引っ込めましたね…藁)。そして、この理屈を知っている風景写真家は、今もフルサイズデジイチ等を鼻で笑いながら試し撮りに使い、本番では中判フィルムを使い続けているから言う理屈がない。つまりフルサイズを手放しに褒めちぎっているのは…、おっと、この先は批判になるので言うまい。笑
まぁ、ビールはラガーやでと言ってはばからないおっさんと同じ次元って事ですわ。申し訳ないが私にはそう見える。
確かに、オリンピックやプロ野球などではフルサイズの凄いカメラをプロは使っています。しかしあれは野鳥や学芸会の撮影とはやってる内容が違うでしょ?その時、タイムリーな写真をいち早くお茶の間に届けるのが彼らのやっている撮影であって、画質とか色味とか周辺光量落ちとかレンズ収差とかは二の次、如何に新聞映えのする1枚を確実に写し留めてゆくかが勝負なのだ。求めてる物が根本的に違うのよ。その為のD4sであり1DXなのよ。それを勝手にユーザー側が自分のニーズに当て込んで一席ぶっこいているだけなのよ。メーカーは、んな事まで考えてないのよ…。車で言ったら営業車、ライトバンですわ。でも、何か勝手にワゴン車なんだと解釈して売れてくれるからメーカーは笑いが止らんのよ。
レンズはデジタル用に構造を改良してある事はあっても、別にフルサイズ用に設計なんてされていないしね。キヤノンなんてデジタル用とすら謳っていないし…。(これは今もフィルム機も視野に入れているという事であればキヤノンは偉いと思うし、蛍石に余程の自信があるのだろうと思われる。)
まぁ、デジタルな昨今、トリミングは簡単にパソコン上で出来るようになったので、1000mmを超えるような超超望遠レンズも必要では無くなったし、アオリもパソコン上でちょちょいと出来るようになったので、レンズ全体を使うフルサイズでも良いのでしょうな。しかし見方を変えればAPS-Cなら1000mm越えのレンズは存在し、レンズ収差も殆ど無い上質なレンズのオンパレードである。これはフルサイズ用レンズに力点を置けば置く程その傾向になるわけでして…。だからニコンは7Dmark2のような生粋のAPS-Cカメラを作りたくないのかも知れませんな。ユーザーさん、ある意味メーカーに馬鹿にされてますよ…。
APS-Cのデジカメを真剣に作れば、今以上のカメラが出来る可能性は、フルサイズを追求してゆくよりも、遙かに低コストで新機能の実現の可能性も飛躍的に高まるのである。キヤノンはその片鱗を少しばかり見せてくれたのは評価出来る。
レンズはフルサイズ用、カメラはAPS-Cと言うのが、デジタル時代のスタンダードであるべきだと思いますが…。ブン屋のカメラマンも、実はAPS-Cで充分だと思っているはずだが、メーカーがフルサイズを売り込んでくるので、そう言うなら使ってやるか…ってな理由だと思うけどな。タダで配ってくれるし…。一番馬鹿を見ているのは誰なんだろう…?